ほほえみ
それからのローサは、どこでカーナと別れ、だれにグリークの行方を訊き、いつルエが運び込まれた礼拝堂へ入ったのか、まるで記憶がない。
気づけば、黒の外衣は脱いで羽衣をまとっており、目の前には、顔だけ見ればただ眠っているような、ルエの遺体があった。
ルエの体が横たえられている大理石の台は、『宮』で葬儀が行われる際、決まって柩の安置に用いられているものだ。
それは、ここに運び込まれる時点で、すでにルエがこと切れていたことを意味していた。
死亡を宣告したという医師のすがたはすでになく、ローサに向かってなにごとか説明していた神官長も、白蝶、ルエ・ムーの逝去を公表せねばならないと、すぐに去って行った。
ルエのそばにはグリークがいたが、ローサに気づくと一言も発することなくその場を離れた。
色を無くした顔とは対照的に、白かったはずの長い上衣にべっとりとついた血はいまだ鮮明な紅色をしていて、それが現実に起きたことを何よりも雄弁に物語っていた。
ひとり残されたローサは、何度もルエの名を呼んだ。
揺り起こそうともしてみた。
けれど、閉じたまぶたが開くことはなく、その鼓動が動きだすこともまたなかった。
ふしぎなのは、それでも、ひとつぶの涙もこぼれてはこないことだ。
紅く染まった衣を着たそのひとは、ルエではないべつのだれかのような気さえした。
いつだって白い衣をまとっていたルエしか、ローサは知らない。
──そう、だからきっと、ローサの玉虫織の羽衣で舞った、などというルエからしてまぼろしだったのだ。
あの日、ローサは羽衣を置いて『学徒の宮』になど行かなかったし、足首を痛めたというルエを医学舎に連れて行ったりもしなかった。
小川で冷やせば大丈夫だという師のことばに逆らってはおらず、ルエを負ぶったりもしていない。
決して、『鬼肌』の男になど出会わなかったのだから、ルエが彼に興味を持つことはなく、また、彼がルエに触れることもなかったはず──
ルエは未だ恋など知らず、白蝶になったことを後悔する理由を持たない。
舞うことだけが彼女のすべてであり、舞以外に彼女の心を捕らえたものなど存在するわけもない。
……それでいい。
それでいいはずだ。
そうであれば、自分はずっと、ずっと、ルエと笑っていられたのだから!
ルエが死んだなど、嘘だ。
目の前のルエがもう笑ってくれないなんて、ぜったいに嘘だ。
『光の蝶』の人生が、こんな残酷な結末を迎えるなんて、到底、受け入れられない。
なのになぜ、幸福な色を失ったそのくちびるには、ほほえみが浮かんで見えるのだろう。
まるで、すべての願いは叶ったとでも言いたげな、安らかすぎる死に顔は、どうして?




