神の否定
「ここに、ルエ様がいるだか?」
「僕が最後に見たときはいたね」
グリークが、ひとつ吐息を落とす。
「──それで。君は相手を知っているの?」
ローサは自身の胸元をぎゅっ握りしめた。
どくどくと、鼓動がこぶしに伝わる。
なにか言うよりも、奥歯を噛みしめ沈黙することをローサは選んだ。
「知っているなら、しゃべってはいけない。ルエは相手をかばいたいようだ」
「相手……って、なんの」
声が震えた。
ただ怪我を治療してもらった相手、とはローサもおもっていない。
けれど、ローサでさえ、それ以上のどんな存在なのかルエの口から聞いたことはなかった。
「神にではなく、自らを捧げたいと望んでいる、男のことだよ」
「の、望んでいるだけだで! そんでなにをしたわけでもねーのに、ただ、心に想うことすら許されねーだか。神に心を捧げた蝶など、どこにおるだ。『舞徒の宮』がどういう場所か、外の人らは知らねーだけずら!」
蝶たちは、舞とともに外見のうつくしさを磨き、競う。
『宮』の外の女性たちがうつくしさを磨くのは異性から愛されるためだが、『舞徒の宮』とはその異性の縛りから永久に逃れた女性たちが自由な愛を謳歌する場所だった。
内に入ってみるまではローサも、そこでは、抱き合い、くちづけを交わすことがごくふつうだなんておもいもしなかった。
十才で蝶になり、舞だけに情熱を注いだルエは、おそらくは稀な例だろう。
ローサは蝶になって間もないものたちが六人で使う部屋に寝台を割り当てられているが、夜に同室者がそろっていた試しは数えるほどしかない。
蝶同士ならば外には知られずにすむ好意を、ルエが抱いた相手がたまたま男だったというだけではないのか。
それも、ルエはカーナにくちづけはおろか、抱擁さえ求めてはいない。
ルエほど潔白な蝶が、はたしてどれほどいるだろう。
男の元へ忍びはしたが、それをいうならローサだって同罪のはずだ。
「──いや。神を否定することばを吐いた。ヨーク師は、許したくても許せない」
ローサはアッ、と声を上げ、目を見開く。
グリークは、昨夜見たことをかんたんに話してくれた。
それによれば、ヨーク師に暇を乞うた、というのは一応、事実らしい。
が、休暇が欲しいという意味ではなく、蝶を引退したいという意味でだ。
もちろん、そんなことは仮に白蝶でなくても許されはしない。
ならばと、ルエは破戒した蝶に対する追放刑を望んだのだという。
私には神など感じられない、神は私に触れてはくれません、ただの女になり、あのひとの人生に寄り添いたいのです──
そう訴えたのだと聞き、ローサはぺたりと地面に座り込んだ。
だれのために舞うの、と問うたルエは、もう舞うことにさえ価値を見出せなくなっていたのだろうか。
それほどまでにルエの心は、ゲルーン人の医学徒に奪われたのか。
「月のうつくしい夜、僕はよくここに来て歌うんだ。ルエがそれを聞きに来るのはべつに昨日が初めてじゃないけど──初めてルエは、舞うことなく僕の歌を聞いていたよ」




