古謡
「あ、……カナリア様、だか?」
「君は、桜桃をもってきてくれたとき、ルエといっしょにいた子だね。──蝶が、こんなところで何をしているの。秘密の逢瀬?」
探るような視線に、ローサは息を呑んだ。
ルエは、医学舎に行くのは治療のためだと言った。
けれど、ローサには、傍目にそれが「秘密の逢瀬」と言われたっておかしくないものだと、ちゃんと分かっていたのだ。
十才になる以前から『宮』にいるというルエは、ローサがおもうよりずっと認識が幼かったのかもしれない。
もっと、強く自戒を求めるべきだった──遅すぎる後悔が、胸を突く。
「逢瀬なんかじゃねーだ。だども、こうしているとそうおもわれるだす、……です」
立ち上がって踵を返したローサの背中を、さっきよりも低く押さえた声が引き止めた。
「『光の蝶』を探してるんだろう?」
反射的にふり向き、ローサは白い衣の胸元を鷲掴んだ。
「ルエ様はどこだす……!」
瞳孔を覗けるほど間近に迫った男性の顔にハッとし、ローサは慌てて距離をとった。
「──君は、カナリアを知らないの?」
「知ってるずら! ……です」
「じゃあ、なぜ僕から逃げる?」
「蝶は、男性とふたりきりになど──」
「そう、なってはいけない。でも、僕は例外なんだ。なぜなら、僕は『男』ではないから。『カナリア』とは、少年のまま大人になった特殊な『小鳥』を言うんだよ」
ローサが彼の言ったことを咀嚼するまでは、かなりの時間を要した。
具体的なことは医師ではないので分からないが、声や外見がそうであるように、男と女、その中間に位置する性別をもっているのだろうと理解する。
肩にとどく黒髪は掻き上げるはしからさらさらと流れ落ち、女性より肩幅がある体は、見るからに力がありそうだったカーナみたいな分厚さは持ち合わせていない。
ほっそりとしたあごや鼻梁は女性に近いが、奥深い瞳はどちらかといえば男性的におもえる。
グリークと名乗った彼は、あたりを見まわすと、太陽に背を向け、不意に歌いだした。
何という曲かは分からないし、どういう歌詞なのかも、ローサにはさっぱり分からない。
謡徒たちが歌うのは古謡という、クァの古語で書かれた千年近く前の詩なため、今日話されているクァ語とはだいぶ音が異なるのだ。
のびやかな高音は天に届きそうで、やはり、天から降ってきている錯覚を抱かせる。
ルエが言うには、彼の声域は四オクターブ近くあるそうだが、ローサにはそれがどのくらいすごいことなのか見当もつかない。
ただ、その声が、歌が、目頭が熱くなるほどうつくしいものだというくらいのことは分かる。
「今のは、古語で、私はあなたのすがたを探しています、と神へ呼びかける歌なんだ」
ローサの視線に、グリークはうなずいた。
「この歌が届くところにルエはいるよ」
おいで、と言って歩き出したグリークについて行くと、間もなく、高くそびえる聖堂の威容が目前に現われた。




