ウォルターの本気
安全な依頼だったはずだ。
ウォルターが敵を倒し、俺とアリスはそれを見ているだけ。そんな簡単な依頼だったはず。なのに、どうしてこうなった。
巨大なトロールが2体、そびえ立つ。
ウォルターがどうなったのか分からない。トロールが放った光によってウォルターが埋もれていた瓦礫の山は消滅して、隕石が激突したクレーターのような大穴が空いていた。
そして今、トロールがこちらを向いている。浅黒い岩肌の中で俺たちはよく目立つ、間違いなく見つかっているだろう。もう時間の問題だ。距離のある内に……
「アリス、逃げよう!!」
俺はアリスの手を取って走り出した。それと同時にトロールが咆哮を上げて走り出す。
元来た道を引き返し、岩の隙間を全速力で走る。つられるようにトロールの足音も加速する。響く振動が、近くなっていく。当たり前だ、相手の一歩と俺の一歩は桁が違う、巨大なトロールの方が早いのは自明の理。
「くっそおおおー!!」
ガシャンッ!と激しい音で岩が削れた。
トロールが伸ばした手を紙一重で掻い潜り、岩場の深い溝に飛び込んだ。人にしてみれば道だが、トロールにとっては隙間だ。指は通るが手は入らない。絶妙な狭さ。
トロールの指が、目の前ギリギリで止まった。あとちょっと溝が浅かったらアウトだった。
しかし、袋小路に追い詰められてしまった。溝は浅く、奥がない。持久戦と行きたいところだが、あの怪力では岩はすぐに抉られてしまうだろう。それに、あのデタラメな威力の光線もある。留まるのは危険だ。
「アリス、街までの道は覚えているな?」
こくりと頷く。
「よし、それなら、俺が逆方向へ走るから。トロールが俺を追いかけたら、ここから出て街へ走れ。」
「やだ!」
一瞬で顔色が変わって、ありえないと言う顔を見せる。
「いや、助けを呼んで来て欲しいんだ。」
「一緒じゃないとやだ!!」
「だから、二人が助かる為には必要なんだ。分かってくれ!」
「やだーーー!!」
駄々っ子のように、イヤイヤと首を振る。この状況を理解して欲しいところだが、そんな仕草が不覚にもカワイイとも思った。
ふと、トロールが手を引っ込めて静かになっていた事に気がつく。振り返ると、小さなトロールも、大きなトロールも少し距離を取っていた。
あ、まずいーーーーーー!
大きいトロールが光っている。さっき見たあの光だ。
「くそ……アリス、走るぞ!」
再び、アリスの手を引いて走る。
あれが直撃しては骨すら残りそうにない。何とか距離を稼いで躱すしかない。それでどさくさに紛れて逃げるしか。
背後で起こっていることなのに、容易に想像がつく。背後の光が感じられる。まるで太陽のように。今や俺たちの影はトロールの蓄えた光で太陽よりも色濃く不気味に長く伸びていた。
そして、全てが光に飲まれる。
俺とアリスの影が真っ白になって、何も見えなくなって、そして全ての境界が消える。あまりの眩さにたまらず瞳を閉じた。
強い力で、吹き飛ばされる感覚。
痛みはない。麻痺したのか、即死したのかは分からないが。風を切る感覚に違和感を覚えて、目を開く。
「え……。」
眼科に砂煙を上げる大地と二体のトロールが見えた。横にはアリスもちゃんといる。良かった、いや本当に。
「死んだかと思いましたよ、ウォルターさん。」
「いやはや、面目御座いません。随分遠くまで飛ばされておりました。」
俺とアリスをガッチリと両脇に抱えるウォルターがいた。上半身の服が無くなり、たくましい体が露出しているが、元気そうである。
一際高い岩棚の上に着地すると、ウォルターは俺たちを離した。
「アリス、痛いところはないか?」
「うん……。」
「一応、ウォルターさんにも聞きますが。大丈夫ですか?」
「い、一応……健在にございます。」
怖かったのだろう。真っ先に俺の手を握ってきた。アリスを怖がらせたウォルターには後で説教してやらねば。だけど、その前にーーー。
「それで、倒せそうですか。」
「問題ございません。特殊な能力を持っているようですが、それだけの事でございます。」
「じゃあ、サクッとお願いしますよ。もう、疲れました。」
「御意に。」
踵を返すと、ウォルターは高く跳躍し、トロールの前に降り立った。ここからはウォルターもトロールもよく見える。絶好の観客席だ。
再び相対する二匹と一人。
戦いのことはよく分からないけれど、ウォルターのオーラみたいなものが見える気がした。空気が蜃気楼のように震えて見える。
トロールとウォルターが同時に動く。
だが、雲泥の速度差があり、ウォルターの姿は動いたと言うより消えたと言った方が正確。一瞬、前に動いた小さなトロールが、刹那に反転して吹き飛んだ。
先程の殴られて飛ぶなどと言うかわいいものではない、文字通り首から上が吹き飛んで粉々になった。そのまま、首なしの巨体が仰向けに岩に倒れこんだ。あれは、間違いなく即死だ。
「す、凄すぎだろ……。ってか、やれるんなら、最初からそうしろって話だよな。」
あ、そういえば、あれって素材回収できるのかな。耳の部分はおろか、頭全部吹き飛んじゃっているのだが。
次に大きいトロール。
例の光線を打とうと、光が頭部に凝縮している。先程ウォルターは、あれを直撃しても平気だったようだが、岩の吹き飛び方を見るに威力は相当にヤバイ事が分かる。
それに、煩いし、眩しいしで、あまり打って欲しくない技だ。出来るなら、さっさと片付けて欲しいところ。それにしても、安心すると贅沢な悩みが出てくるものである。
そんな、俺の希望に応えるようにウォルターがトロールに向かって跳躍する。狙いは頭部、一匹目と同じように手早い動作で突っ込むが、如何せん先程のトロールよりも大きく頭部までの距離がある。
紙一重、光線が射出する前にウォルターの拳がトロールを捉えた。
ドッバーーーーーン!!
「うわっ、なんか飛んできたああああ!?」
力を溜め込んだ頭部は、ウォルターの一撃で花火のように破裂し、肉体が粉々に飛び散った。なんだかよく分からない肉片が、ここまで飛んでくる……。
「って、おい、アリス!!」
「んぅー、ねとねとする……。」
見れば、アリスの頭に、肉片がべちょりと張り付いていた。これはモザイクかけないとちょっと人様には見せられないレベル。アリスは肉片を不快そうに拭っているが、返って被害を拡散していた。
結局、返り血をべっとりあびたアリスはウォルターの浄化魔法で綺麗にしてもらった。
「まったく、もうちょっとスマートにやれないんですか。実力はありそうなのに、不器用すぎるでしょ。」
「いやはや、面目ございません。」
そんなやりとりをしながら、俺たちはトロールの耳を探し回った。広範囲に飛び散ったトロールの頭部から耳の部分を探すのは、なかなかに大変。何とか探し出してギルドに戻る頃にはすっかり日も暮れていた。
「いやー、あんた達かい。1日で終わらせるなんて、さすがだねえ!」
ギルドに戻ると、ミランダが朗らかに迎えてくれたが、嵌められた恨みは忘れない。
「よくも嵌めてくれましたね?」
「な、なんのことだかね……!?」
「身に覚えが無いと?」
「さ、さあねえ。あははは、今日はあたしの奢りで何か食わせてやるよお。」
なんだろう、素直に謝るならまだ許せるものの、この態度は許しがたい。いかにゴリラ相手と言えども、ただでは引き下がってやるものか。
「俺とアリスは死にかけました。」
「い、生きてるじゃないか。」
「そう言う態度で来るんですね。
ならば、ちょっと今から領主のところに行って報告しましょうか? 新米冒険者にSランクの依頼を半ば強制的に受けさせて、死なせかけたと。
そうすれば、最悪ギルドマスターの席を追われる可能性もあるでしょうね。」
「そんな事……」
「出来ないと思いますか?
俺の後ろにいるウォルターは、領主との繋がりも深いんですよ。ご存知だとは思いますが、まさかお忘れですかね?」
ミランダが癇癪を起こしたように髪をかきむしる。これで、詰みだな。
「ああーー、もう悪かったよ!!
ウォルターが依頼受けてくれなくて困ってたんだよ。ウォルターほどの腕利きはこの街には他にはいなくてよう。
お詫びにあたしに出来る事なら何でもするからさ。目を瞑っておくれよ。」
「では、貸しって事で、何かあればよろしくお願いします。」
「はは、高くつきそうで怖いが、分かったよ。」
「それと、ご飯もきっちりご馳走してもらいましょうか。」
ミランダは驚愕の表情で肩を落としたが、断らなかった。まあ、当然であるが。その夜は、この街でも有名な高級料理店で豪遊した。やはり、人様の金で食べる飯は格別にうまい。アリスも大喜びだったし、俺も大満足である。
ウォルターは、自ら注文したのは最初だけで、あとは終始申し訳なさそうにしていた。
ミランダは俺とアリスが追加注文する度に、体をピクリと硬ばらせるが、口を挟むことはしなかった。お会計の段になって、大きくため息をついていたが、俺には関係のない事である。
「何と申しましょうか……私は時折カイト様を恐ろしく思います。決して、敵に回してはならない御仁でございますな。」
帰り際に、ウォルターがそんなことを呟いていた。
今回の依頼は、金額50枚。
5000万円相当の凄まじい依頼だ。流石に、ウォルターから全額掻っ攫うのは気が引けたので、3人で均等に分けることにした。一人、金貨16枚。端数が2枚あるが、それはウォルターのものとした。
ウォルターは頑なに辞退したが、ウォルター無しには絶対に達成できない依頼なのだから、受け取ってもらわねばこちらが困る。俺を困らせたいのかと問い詰めたら、素直に受け取ってくれた。
アリスの分は、俺が管理することにして、金貨一枚だけはいつでも使えるようにと渡しておいた。アリスはキラキラと光る金貨を、これまたキラキラと光る瞳で撫で回し、大事にポケットにしまい込んでいた。
「いやー、ようやく帰ってきましたね。」
「おうち!」
「そうですな、今日はいささか大変な1日でございました。」
思い思いの言葉を吐いて、金龍の都亭にたどり着いた。今日は疲れたので、さっさと寝ることにしよう。
ふと、闇に紛れる人影が見えた。
すっかり夜も遅い時間、人通りの少なくなった表通りで建物の影でガサゴソとする人物は妙に目立つ。
「あの、ウォルターさん。あれって……。」
「む、怪しいですな。私の宿に良からぬ輩が蔓延るのは看過できませんぞ。」
ウォルターは、その人影の方へ向き直り、スタスタと歩いていく。
「そこの方々、当宿になにか御用ですかな!」
幾分、低い声で威嚇するように声をかけると、人影はピクリと震えて路地に出てきた。
「おうおう、舐めてんじゃねーよ。俺がどこで何してようが俺の勝手なんだよ。」
「アニキを怒らせねー方がいいっすよ、痛い目見ないうちに失せるっす!」
あ、特徴的な雑魚口調……。
聞き覚えのある声に目を見開くと、太った男と痩せた男が、街灯に照らし出されていた。
そう……例のアリスを追いましていた、あの男たちだった。