グランドトロール
「ふっざけんなーー!!」
俺は憤慨しながら、荒れた道を歩いていた。
左にアリス、右にウォルターを連れて。
事の起こりは、先の冒険者ギルドである。
掃除の依頼を所望した俺に、ミランダが持ってきた依頼がグランドトロールの討伐。掃除って、そういう意味じゃないから!!
断ろうと思ったが、既に受注手続きをしたので、キャンセル扱いになって、評価はマイナス、違反金まで取られるという。まさか、冒険者ギルドそのものが悪質だとは誰も思うまい。もちろん、この世界にクーリングオフなど素敵なものがあるはずも無い。
戦いはウォルターに任せておけば良い。トロールは動きが遅いし、遠距離攻撃もないから離れていれば安心。ギルドマスターからの指名依頼を受けたとなれば、箔がついて、どこへ行っても尊重してもらえる。そんな勢いのある説得に押されて、渋々承諾してしまった。
依頼はパーティで受けているので、ウォルターが討伐しても、全員の功績になるらしい。まあ、せいぜいウォルターには頑張ってもらうとしよう。ボコボコにされた怨みが晴れるまでコキ使ってやる。
思えば、街の外に出るのは初めてだ。
外壁や門があるのかと思ったが、そんなものはなかった。街の中心から離れていくと段々と家屋が少なくなって、田畑が広がるようなって行く。真っ直ぐ伸びる主要道路の脇には田畑に繋がる細いあぜ道が複雑に伸びる。なんだか、日本の田舎にもありそうな景色。
田舎風景をさらに進んで行くと、完全に街を離れて広大な草地が広がる。街道は細くなり、道も荒れている。通行人とすれ違うことは少なかった。ふと先導するウォルターが立ち止まる。
「ここからは、あちらへ参ります。」
ウォルターが指差すのは、街道の先ではない。
街道から外れた草むらの先。その先に広がる岩だらけの場所。草は好き放題に伸びており、腰の高さくらいまである。アリスにしてみれば顔の近くまである。
しかも、岩場は俺の何倍もありそうな岩がごろごろと転がっている。歩くというよりはロッククライミングと表現した方が適切かもしれない。
「嘘だろ……。」
「情報によりますと、あの岩場の奥にグランドトロールがいるとの事でございます。」
ウォルターが何でもないような顔で言うが、いきなり俺は心が折れそうだ。温室育ちの俺に言わせれば、こんな草むらに突っ込んで行くのだけでも抵抗が強い。汚れそうだし、虫とかが服に入ってきそうだし、想像しただけで、たまったものではない。
「あー、アリス……、平気か? 辛いよな?」
「兄さま、どうしたの……? 早くいこ?」
アリスを理由に引き返そうなどという、ずるい作戦は一瞬で霧散した。よく見れば、俺以外は楽しそうな表情をしているじゃないか。ウォルターは腕がなるって感じだし、アリスは探検にワクワクと胸を躍らせているような感じ。
「はあ……、分かったよ。」
俺はアリスに手を引かれる様にして、草むらの中へと分け入った。
おっかなビックリの俺と違って、アリスはするすると草むらに吸い込まれて行く。手馴れたものだと感心してしまう。いや、俺がこの世界に不慣れなだけなのだろうか。
「そういえば、グランドトロールの討伐って、本来なら冒険者ランクいくつくらいの依頼なんですか? 指名依頼って事で、依頼ランクが分かりませんでしたが。」
「そうですな、普通のグランドトロールであれば、Aランクぐらいかと思われます。少し大きいサイズとの事でしたので、Aランクでは少々厳しいかもしれませんな。」
「は? なにそれ、素人にそんなドギツイ依頼だしたんですか。めちゃくちゃですね、あの人!?」
「全くでございます。私の方にも連日依頼を押しつけにくる御仁ですからな。その上、執拗な態度で、お断りするのも苦労でございます。
昨日も大きな魔物が出たとかで、押しかけられました。いやはや、困ったものです。」
「そうなんですね……って、今、なんて!?」
「ふむ……? お断りするのも、苦労でございます?」
「いや、そこじゃなくて、大きな魔物って!!」
「左様でございます、大きな魔物が出たとか申しておりました。」
「じゃあ、今倒しに行っているのは、どんなグランドトロールでしたっけ……?」
「ふむ……確か少し大きな…………あ!」
「おまえかあああああああああーーーー!!!」
この依頼を押しつけられたのは、ウォルターのせいだった!
これはもともとウォルター宛ての依頼で、それを断られたので俺経由で受けさせたという事。完全なとばっちりだ。
「報酬は、きっちり山分けな!」
「も、もちろんでこざいますとも。すべて差し上げても構いません!」
「よーっし、アリス。
終わったら、美味しいもの食べようなー!」
「うん!」
草むらを抜けて、岩場へ。
遠くから見ると巨大な岩ばかりが目立ったが、近くまでくると小さな岩も見えてきて、決して移動出来ないような場所ではないことが分かった。岩と岩の隙間を縫うように歩いていける。ロッククライミングが山登りに変わったような感じだろうか……。
アリスもウォルターも、こなれた動作で登っていく。ウォルターはともかく、アリスも随分と体力がある。街を出てから、もう随分と経つ。距離にしても10キロ以上は進んでいると思う。異世界の住人は日本人とは明らかにスペックが違うのかもしれないな。
岩場を進んで一時間。
地響きを感じた。ドシンドシンと芯にくる重たい響き。巨大な岩に阻まれて、前方が見通せないが、近くに何かがいることだけは分かる。
「近いですな。おそらく、この岩の向こうでしょう。」
「ど、どうしたら、良いですか!?」
「カイト様とアリス様は、この場で動かないようにお願いいたします。」
「わ……分かりました。」
アリスの手をしっかりと握る。やばいな、ちょっと俺の手の方が震えているかもしれない。不安がらせてしまうかもしれない。
「アリス、絶対に離すなよ。」
コクコクと頷くアリス。
これまで飄々としていたアリスも流石に怖いらしい。表情が固かった。怖いもの同士、静かに黙って待機していよう。
「では、まいります。」
ウォルターが腰を落とし、拳を構えた。そして、そのまま、拳を目の前の岩に叩き込んだ。
「え!?」
ドカシャアアアアン!
巨大な岩が粉々に吹き飛んだ。岩が消えたことで、視界がクリアになる。そしてーーーーー
いた!
「ウガアアアーーー!!」
凄まじい咆哮。
鼓膜がピリピリと震える。
それにしても、デカイ、デカすぎる! 俺の身長の数十倍、50メートルはあるのではないだろうか。姿は人間に似ているが、岩と同化したような肌の色。筋骨隆々な巨人。これがグランドトロール……。
トロールは、飛んできた岩の破片を邪魔そうに振り払う。破片と言っても、まだまだ巨大な岩石だ。
破片をすっかり払い落とすと、眼下に立ちはだかるウォルターを見る。どうやら、敵として認識したらしい。
ウォルターは、こんなバケモノに勝てるのだろうか。どう見ても人類が勝てる相手には思えない。ウルトラマンあたりを呼んでこないとヤバイんじゃないか。
あ、ウォルターは人間じゃなくて、龍人か。逆にウルトラマンが人間だったっけ……。
トロールに向かって突進していくウォルター。トロールが拳を握り迎撃の姿勢をとるが、遅い。
ドスン!!
トロールが飛んだ。
ウォルターのひと蹴りで、とてつもなく巨大なトロールが先日の俺と同じように宙を舞っていた。
ドシャアアアアーーーン!!
天変地異。地面に落ちた衝撃は俺の時のそれとは桁が違う。轟音を響かせ、地面を激しく揺らす。先ほどの地響きが、微震に思えた。
軽やかにトロールの上に飛び乗るウォルター。横たわるトロールの頭を見下ろす姿は強者の風格。トロールはぐったりとして動かない。
「は……、はは、一撃かよ。」
あとは、このまま討伐の証として右耳を切り取って持ち帰れば依頼達成である。しかし、この巨体。右耳だけでも、かなりの大きさになる。重さだって相当なもののはずだ。
「ウォルターさん! サクッとトドメさして耳取っちゃってくださーい!」
俺の言葉に、ウォルターが片手を振って応える。そして、その手を拳に変えた。何だか簡単すぎて、拍子抜けしてしまう。移動が一番の敵だったな。
「兄さま、だめっ!!」
勝利を確信し、近づこうとする俺の手を、アリスが引っ張った。そこで、初めて気づく。
「……なっ!?」
トロールが横たわる岩場が動いた。
そして、岩のような腕が伸びて、ウォルターを吹き飛ばした。
「ウォルターさん!」
岩に叩きつけられるウォルター。
その勢いは凄まじく、岩を砕いてめり込んでいき、岩棚を粉砕した。ウォルターの姿は岩に埋もれて完全に見えなくなった。
「う、嘘だろ。」
死んだのか!?
これまで、ウォルターの攻撃力は目の当たりにしてきたが、耐久力についてさ定かではない。
トロールはもう一体いたのだ。
寝ていたので、岩に同化して見えなかった。完全にただの岩山だと思っていた。アリスには見えていたのだろうか。
しかも、さっきのトロールよりも一回り大きい。もうどれくらい巨大なのか目測では全くわからない。さっきのトロールが子供のように思える大きさ。
その大きなトロールが光った。
光は頭部で収縮し、口から吐き出される。ウォルターの埋もれている瓦礫に向けて。
放たれた光で、目が眩む。
刹那の内に岩棚に突き刺さると、視界は光で包まれて真っ白になる。何も見えない、何も聞こえない。とっさにアリスを守るように抱きかかえた。
キーーーンと言う煩わしい音がする。
地面の揺れが収まり、ゆっくりと目を開くと、視界の中にしっかりとアリスが見えて安心する。
アリスは俺の方を向いて、何かを喋っている。だが、何を言っているのか聞き取れない。大きく口を開けて叫んでいるように見えるのに一向に聞こえない。聞こえてくるのは、キーーーンと言う音だけ。
アリスの視線が、俺からズレていることに気づく。その視線を辿り、背後に目をやるとーーーー。
砂煙がもうもうと立ち昇る中、二体のトロールの上半身が見えた。さっきウォルターに蹴られたやつも復活している。
それが、こちらを見ていた。
……最悪だ。