金竜の都亭
この街で、一番高級な宿『金竜の都亭』に来ていた。
堅牢な石垣づくりの3階建て。背の高い佇まいは周辺の建物とは一線を画しており、さすが高級宿といった感じ。俺がここにやってきたのには理由がある。この宿には宿泊するという以外にももう一つ、大きな理由があるのだ。露店での情報収取で聞いた話だが、この宿にはぶっとんだ武勇伝があるという。
金竜の都亭は、客を選ばない。
宿泊費さえ払えば、どんな相手であろうとも客として受け入れると言われている。
なんでも、その昔、この街を二分する大きな勢力争いがあったらしい。
「イングラとアルテゴの争い」と呼ばれるそれは、街のいたるところで血なまぐさい武力衝突を巻き起こし、たくさんの負傷者を出した街の黒歴史。
そんな勢力闘争も次第に均衡が崩れ、アルテゴか優勢となっていく。己の敗北を悟ったイングラは、数名の配下を連れて金竜の都亭に逃げ込んだ。命からがらの苦肉の策。
金竜の都亭の支配人ウォルターは、凄腕の冒険者として名をはせており、これまでにも数々の逸話を持っていた。宿にやってきたならず者を力づくで黙らせたとか、凶悪な窃盗団を叩きのめしただとか、宿泊客に向けて放たれた暗殺者を返り討ちにしただとか。そんな話に縋りつくようにイングラは宿にやってきたのだ。
しかし、今回の件は規模が違う。アルテゴは街の半分を牛耳る実力者、その政敵を庇えばタダですむはずがない。宿は潰され、関わった者は皆殺し、そんな結果すらあり得る。それを知ってか知らずか、支配人ウォルターはイングラを客として受け入れた。大銀貨1枚の宿賃で。
誰もが正気を疑ったという。所詮はただの街宿に過ぎない金龍の都亭に逃げ込んだイングラの正気を。街の厄介者をおいそれと受け入れてしまったウォルターの正気を。
アルテゴはウォルターに、イングラの身柄引き渡しの勧告をするが、ウォルターは「客を守るのが、俺の仕事。」そう言って頑として拒否。
結果、7日目の昼に、アルテゴは金龍の都亭に攻め込んだ。総勢200を超えるアルテゴの手下。練度の程はさておき、数は力である。対するは、ウォルターただ一人。宿の入り口に立ち塞がり、白銀の剣を抜いた。
その日、アルテゴの勢力は消滅した。
瞬く間に斬り伏せられ、混乱し、逃げる間も無く全滅したと聞く。油断していたのは間違いないろう。だが、そうだとしても200を超える武装集団がただの一人に敗北するなど、にわかには信じがたい話だが。
この後、アルテゴの自滅によりイングラが街の支配者となった。イングラは、ウォルターに感謝し、永遠の友好を約束する。こうして金龍の都亭は、武力に加え権力者による絶大な加護を手に入れた。
ちなみに、今はイングラの5代目にあたる人物が街を取り仕切っているらしい。金龍の都亭は、すっかりお伽話の観光地として有名になり、遠方からも客がやってくるのだとか。大銀貨1枚は10万円相当、安くはない。実際の観光客も泊まる人は稀で、外から立派な建物を眺めて楽しむ人が多いらしい。
まあ、今の俺ならば余裕で泊まれる金額。
先ほど、チンピラともめてしまった以上、ただの宿に泊まるのは怖い。値段が高くとも安全という付加価値がある金竜の宿に泊まりたい。そんな思いでここにやってきたのである。
カチャリッ。
鈍重そうな扉を押してみると、思いの外抵抗なくスーッと開いた。
広々とした木目調の空間が目に入ってくる。正面に見えるのはフロント。その横には食堂や酒場のスペースが広がっている。質の良さそうなテーブルや椅子は高級感があるが、あまり飾り気がなくて無骨な印象。よく言えば、質実剛健。
昼を過ぎているからか、客は少ない。身なりの良さげな1組のカップルと、厳つい冒険者風の男が一人。それぞれ、テーブルを囲んでのんびりとしていた。そして、フロントの奥には初老の男が立っており、こちらを見ていた。俺と少女の組み合わせを少し訝しんでいるようにも見える。男は、そのままこちらへと歩いてくる。
「ようこそ、金竜の都亭へ。ご宿泊でしょうか?」
男は、丁寧な物腰でふわりと頭を下げた。白髪にパリッとした黒い燕尾服の様な姿で、さながら良家の執事を思わせる。きっと名前はセバスチャンだろう、間違いない。
「あの、宿泊したいのですが……。」
「お一人様ですね。一泊で大銀貨1枚を頂戴しております。」
「ん……、え、お一人様??」
見れば少女がいない。どこにもいない。
慌てて、後ろを振り返ると、少し離れたところ。ドアの向こう側にちょこんとこちらを覗き込む少女がいた。……なんでそんなところに。
ちょいちょいっと、手で手招きをする。だが、少女は一向に入ってくる気配はない。仕方がないので、こちら側から少女の方へと歩いていく。いったいどうしたというのだろうか。
「どうした?」
「あの……わたし、お金もってない……です。」
「ああ、金なら俺が持ってるから、心配しなくていい。」
「でも……。」
「ほら、いいから、いいから。」
俺は少女の手を引いて、宿の中へと引きいれた。
元からボロボロであり、先ほどの暴行を受けて少女は酷いありさまだった。それを見て、男は顔をしかめるが口には出さなかった。
「お二人様でございますね。では、一泊につき大銀貨を2枚頂戴いたします。」
「では、とりあえず5日分で、金貨1枚を。」
「確かに、では台帳の方へ記帳をお願いいたします。」
促されるままに、フロントで記帳する。
改めて、この世界の文字を普通にかける事に驚く。生活に支障が無いのは良い事だが、いささか気味が悪いとも思う。そのうち神様だか、女神様だかが現れて、この現状を説明してくれる日が来るのだろうか……。
っと、途中まで台帳を書き進めて、手が止まる。
そう言えば、俺は少女の名前を知らなかった。
「あー……、えっと、今更なんだが……。」
隣にいる少女に気まずそうに、名前を尋ねようとするが、どうにも決まりが悪い。すぐ隣には宿の男もいるのだ、ここで名前を聞くのは相当に不自然な気がする。だが、少女はきょとんとするばかりで、望む返事を察してくれそうもない。……仕方がない。
「すまない、名前を教えてくれ……。」
「アリス……です。」
ぽつりと呟く少女。俺は努めて動揺を隠して、冷静に記帳を終わらせた。男は特に何か口をはさむ事は無く。台帳に目を通すと、顔を上げた。
「カイト様に、アリス様ですね、ようこそ金竜の都亭へ。申し遅れましたが、私支配人のウォルターと申します。」
ん、ウォルター……?
例の武勇伝に出てきた名前と一致することに違和感を覚える。数百年前の争いの事。だが、目の前のウォルターと名乗る男は、どう見ても初老を迎えた普通の男性にしか見えない。まだまだ人生の現役と言った感じだ。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いえ……ウォルターさんって、あのウォルターさんと関係があるのかな………と。」
「ふむ、どちらのウォルター氏を仰られておるのかは分かりかねますが、私はこの宿で300年ほど支配人を務めさせていただいておりますウォルターでございます。」
「え……?」
「ああ、若く見えますかな? 私は人族ではなく龍人族でございますので、1000年以上の寿命を持っております。確かにこの世界でも長寿で1000年を超える種族は珍しいですからな。」
なるほど。色んな種族が入り混じっていれば、当然ながら寿命もバラバラという事か。まさか伝説の宿に、伝説の人が揃っているとは思わなかった。
「ところで……、何かお手伝いできることはありますかな?」
ウォルターはちらりと、アリスに視線を傾けるとそう言った。見れば、アリスは未だボロボロの状態でそこにいた。まずは傷の手当てをしてやらなければならないし、服もズタボロだった。
「あ、えっと……、治療ができればと思いますが、応急手当だけでも結構ですので。」
「なるほど、では、ちょっと失礼しますよ。」
ウォルターは、アリスの前で膝を落とし、目線を合わせた。
そのまま掌をアリスにかざすと、光が溢れてアリスを包み込んだ。いきなりの事に驚いて、アリスが瞳を閉じると、みるみる内に傷が塞がっていく。植物の発育を早送りでみるかのような奇妙さで、傷も痣も白い肌に消えていく。
「おお……凄い。」
思わず歓声がこぼれる。これは魔法だ。これが魔法でなくて、何だというのか。
不思議な世界にやってきたとは思っていたし、魔法が存在するという話も聞いていた。けれども実際にこの目で見てみると、驚きと興奮が抑えられない。
「ありがとうございます! 本当に凄いですね。」
「いえ、嗜み程度の治癒術でございます。」
アリスは、何が起きたのか分からないと言った風で、自分の身体をきょろきょろと見回していた。その動きもスムーズで、動いても痛みに顔を引きつらせることも無かった。どうやら、本当に完治してしまったらしい。
「……ありがとう……ございます。」
「いえいえ、どういたしまして。」
「もう、どこも痛くないか?」
「平気……です。」
にっこりと笑う少女は可愛らしかった。
だが、傷が消えると今度は、汚れが気になる。まとっているのは薄汚れたぼろ布、これを衣類と呼んでいいのかは疑問が生じるレベル。不衛生な髪はぼさっとしていて、いかにもストリートチルドレンといった風貌である。
「良し、あとはその服と汚れを何とかしないとな。」
「そうですな。客室にお風呂を備えておりますので、どうぞお使いください。よろしければ、御召し物も何か見繕ってまいりますが、いかがいたしましょうか?」
「本当ですか? それはありがたい。ぜひお願いします。」
「では、すぐに手配させましょう。のちほどお部屋へお持ちいたします。」
さすが高級宿、サービスが素晴らしい。
色々とあって疲れたが、ともかくこれで一息つけそうだ。アリスはずっと所在なさげにしている。おそらく疲労も相当のものだろう。これからの事は後で考えるとして、今はゆっくり休むとしよう。
「アリス。客室へ行こうか。」
「あっ、はい!」
名前を呼んでやると、アリスはまた笑顔を見せた。
ここに来るまではあまり笑顔を見せなかったが、これが安心できた証だというのなら何よりだ。物静かでミステリアスな子供だと思ったけれど、本当は良く笑う子供なのかもしれない。年相応の表情を見るとホッとする。
それから部屋に上がり、アリスを風呂に入れた。
子供とは言え、女の子なので一人で浴室に送り込んだのだが、使い方が分からず難儀しているようだったので、髪を洗って、背中を流してやった。
もちろん、やましい気持ちなどないが、少しだけ変な気持ちになってしまう。アリスはそんな俺の葛藤めいた事などつゆ知らず、戸惑いながらも最終的には気持ちよさそうにしていた。
まあ、そういう俺もアリスの気持ちよさそうな顔を見ていたら、悪い気はしなかったので、これはこれでありなんじゃないかと思えてきた。
風呂は日本の様式と似たような感じで蛇口をひねればお湯が出るものだった。どうやって沸かしているのかは分からないが、随分と文明的なものである。
高級宿だから風呂があるのか、この世界では一般的なものなのかは分からないが、日本と同じ文明のものがあるのは嬉しい限りである。とりわけ、お風呂の様な、心の安寧を担保してくれるものは大歓迎だ。
洗いあげてやると、アリスは見違えたように綺麗になった。
背中まで伸びた銀色の髪は、それまでホコリ色と形用して差し支えないものであったが、今は白銀となって輝いていた。さらりと流れる絹の様な細く真っすぐな髪質。クシャクシャだった以前では分からなかったが、彼女の頭には小さな2本の赤い角があった。ちょこんと控えめに生えているのが、何だか可愛らしい。
風呂から上がると、入り口のところに服が置かれていた。先ほどウォルターに頼んでいたアリスの服である。仕事が早いのはさすが。とりあえず、濡れたアリスを乾かして着せてやる。
「おおっ……。」
服が上等なのか、アリスが上等なのか、思わず声が漏れる。きょとんと不思議そうにするアリス。いやいや、これはかなりレベル高いと思う。服は黒を基調としたドレスコート。ゴスロリと言えなくも無いけど、ちょっと違う。軍服みたいな雰囲気もある。某ゲームの赤魔導士みたいな服装だ。
しっかり羽飾りのついた帽子までついている。もはやコスプレであるが、この世界ではそういう概念もあるまい。帽子をかぶせると可愛らしい赤い角がすっぽりと隠れた。
ちなみに、ハイソックスとスカートの間に素敵な絶対領域を確保してはいるが、その中身はショートパンツなので隙が無い。世の男性陣の期待を煽るだけ煽って、中身はかっちりガードしているので一応は安全である。え、何で知っているのかって? それはもちろん、着せたのが俺だからである。
「ま、とりあえず帽子は、屋内にいるときは要らないな。」
身体もすっきりしたところで、ベッドに横たわる。部屋に二つあるベッド。俺は通路側、アリスは景色の良い窓側。ベッドはふかふかで、体重をかけると身体がふんわりと包まれるかのような心地良さ。温かく、肌触りも素晴らしい。いやー、日本で使っていた俺の布団なんかよりもずっと良いかもしれない。
アリスはどうしているのかと横を見てみると、いない……。そこで初めて、アリスがまだ俺のベッドの前に佇んでいる事に気づく。さっきまでの柔らかな表情とは違って、深刻そうな顔をしている。
「……どうした?」
俺の視線を受けると、今度は俯いてしまう。いったいどうしたというのか、さっきまではあんなに元気だったというのに。俺は重たい身体を起こして、アリスに近寄って腰を落として目線を合わせる。
「まだ、どこか痛いか?」
アリスが首を振る。よく見れば、手が震えていた。震える手を優しく包むように握ってやると、アリスの細い指が俺の指にしがみついた。伝わってくる震えを、握りしめた手で止めてやる。
「怖かったな。」
アリスが頷いた。たしかに……、あんな目にあっていたのだ。大人に暴行されて命からがら逃げてきたところを、偶然に助けられただけ。一歩間違えていれば、殺されていたかもしれない。
それにきっと、俺と出会うまでも相当に過酷であったに違いない。ボロボロの衣類、いくつもの痣傷、それらを鑑みるだけでも逃げる前の生活がありありと想像できる。
「もう大丈夫だから。ここは安全だ。怖い人達はやってこないよ。」
「……。」
「安心して眠ると良い。疲れただろ。」
「……でも。」
「うん?」
「なんだか、夢みたいで……。こんなの……嘘みたい。きれいな服も、お部屋も……。」
アリスが重たい口を開いた。饒舌ではないが、返事以外の長い言葉を聞くのはこれが初めてだった。
「きのうまでは……、暗くてかたい床で寝てたのに。こんな真っ白なベッド……見た事ない。眠ると、朝は叩いて起こされて……、毎日、殴られてて、血の味がするご飯を食べてた。」
震えながら話すアリスに、なんと言葉をかけて良いのか分からない。
アリスは、俺に構うことなく、うつろな目で話し続ける。かける言葉は見つからないが、アリスから視線を外さず、黙って聞くことにした。
「まいにち、殴られて……痛くて、泣いてた。
なんで殴るのって聞いたら、魔族だからって、人間じゃないからって……。わたしと同じ子も殴られてて、血を吐いてた。
昨日……朝起きたら、その子がいなくなってて……。
今日のあさ、赤い血でべっとりになって帰ってきて、ピクリとも動かなくて……。それを埋めろって言われて……。」
聞くに堪えない内容。想像以上の地獄だった。小さな身体、容易く折れてしまいそうな身体、そんな身体で、俺の人生なんかと比べ物にならない程の不幸を受け止めている。いてもたってもいられなくなって、アリスをそのまま抱きしめた。こんな小さな子供が、そんな地獄に晒されていいはずがない。
「もう、そんな明日はやってこない。だから、安心して良いんだ。」
「……でも。」
「たとえ……、たとえ悪者が来たって俺が守ってやる。
今日みたいに守ってやるから。明日も、明後日も、この先ずっと。
それでも怖いというのなら、俺が手を握っててやる。寂しいなら、こうして抱きしめてやる。アリスが、寝るまで、安心できるまで、ずっとだ。絶対にだ!!」
まくし立てる様に言い放つ。守ってやれる保障なんかどこにもない。だけど、この感情は嘘なんかではない。感情論による妄言と言われりゃ、そうかもしれない。知った事か。俺はアリスを助けたいと思ったのだ。
アリスは言葉を無くし、目を大きく見開いた。
涙が溜まり、瞳が細くなるにつれて目じりから大粒の涙が飛び出した。そのまま、俺にしがみつくようにして、大声をあげて泣いた。そこにあるのは、本来あるべき解放された子供の姿そのものだった。
長い時間、そのままでいた。
アリスが落ち着くまでずっと。
涙が枯れて、声も枯れて、静かで吐息と鼓動の音だけが響く温かな時間が流れるまで。
「……カイト……様、ありがとう……ございます。」
そして、ぎこちなく礼を言った。
「はは……ぎこちないな、敬語とかいらないし。どうせ様をつけるなら『兄さま』とでも呼んでくれってな。」
「兄さま……。兄さま!」
「あ、いや、そこは冗談……。」
「兄さま、ありがとう!」
満面の笑みに押し込まれてしまった。
名前を呼ばれたのが気恥ずかしくてつい冗談を言ったつもりだったが、全く冗談になっていなかったようだ。冗談というのは相手が理解して、初めて冗談として成立するのである。こんな幼女に兄さまと呼ばれるのは少し背徳的な感じがして、背筋がぞくりとする。まったく、この笑顔は犯則だな……。
その夜、食事をとってアリスを寝かせたところで、静かに部屋の扉がノックされた。
扉を開けると、ウォルターが立っていた。「お話があります。」そう言われ、そのまま部屋を後にして一階の食堂へとついていく。奥のVIP用みたいなテーブルとふかふかのソファに案内され、そこに座る。俺が腰掛けるのを見て、ウォルターも対面にすっと腰を下ろした。そして開口一番にこういった。
「あの少女を譲っていただきたい。」
To be continued
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