耳なんて聞こえなくていい、声なんか出なくていい、それで誰かが救われるのなら。
ある寒い日のことだ。
指も足先も、かじかんでいくら息を吹きかけても温まることはなかった。
「寒いだろ、こっちこいよ」
何人かが固まって焚き木を囲んでいて、その中の1人が声をかけてきた。
その言葉に甘えて私は薪へと近づく。
「なんでまた、若いのにこんなところにいるんだ」
「……」
彼の質問に答えられず、私はだんまりとした。
深く毛糸の帽子をかぶり直す。
彼も見るからに周りとは歳が離れていた。染めたことがないような真っ黒な髪の毛に、茶色い瞳。気になるのは泣きぼくろが両目に一つずつ付いてることだった。おそらくは、自然にできたのだろうが、ちょうど対照的にほくろがあるので、少し不自然さを感じる。
彼が不思議そうな顔をした。
しまった、と思って目をそらす。じっと顔を見つめていたんだろう。
「なあ、なんか喋らないか? 他の人たちはだんまりでさ…。君もだんまりなの?」
「…そりゃあ、まあ、みんなだんまりするんじゃないですかね」
少し喋ってから後悔した。
吸った息が異様に冷たく、肺に突き刺さるような痛みを感じた。
「喋ればあったかくなるんじゃないかと思ったんだけどな」
彼は苦笑した。私の顔が苦痛に歪んでいるのを見て、喋ることを諦めたようだった。
何時間こうしているのだろう。わからない。
周りは真っ暗で、何も見えない。ただ焚き木の灯りだけが周囲の人々を照らす。
でも今はこうして耐えるしかなくて、朝が来ればきっとまた少しは温かくなるのだろうと期待していた。
誰も喋らず、パチパチという薪の爆ぜる音だけが響く。
彼もまた、喋ることをやめたようでじっと焚き木を見ていた。
照らされた彼の横顔は凛としていて、今まで真っ直ぐ歩んできたのだろうと感じた。たまにまぶたを伏せた時に、長い睫がきらりと光る。
彼はそう、曲がったことが嫌いで、優しくて、正義感が強くて、そのせいで追い込まれて。そして他人なのに誰にでも優しくして、そしてまた自分の負担を増やしていく。
ああ、だから、私はここにいる。
(だから、私は喋る時…)
朝焼けがぼんやりと見える。
彼が喋っていないのではない、もう聞こえないんだ。
ごめんね。
彼が付いてきたのは、正直予想外だった。
でも記憶が互いに消えていたのは幸いだったのかもしれない。
「 」
私は出ない声でそう言って、彼を焚き木に突き飛ばした。
彼は心底驚いた顔をして、そして炎に包まれる。何かを叫んでいるが、もう私には聞こえない。
さあ、帰って。私のいない世界へ帰って。
さようなら愛しい人。
「さて、みなさん、行きましょうか」
返事はないが皆頷いた。
「一人ほど足りないのですが、まあ、予想通りというか…」
そういって一人の女性を呆れた目で見た。
別に珍しいことではない。
そうして彼らは一列に並ぶと歩き出す。朝日が背中に照り付けるが、温度など感じない。
溶けるように、いなくなった。
そして彼は二度と、彼女を思い出すことは無かった。