現実 ーリソウー2
運転席から伸びてきた左手がハザードスイッチを押し込む。カッチ、カッチという規則正しい音とともに車は減速して、マンションの前で停まった。
「それじゃあお疲れ様でーす」
「うん、お疲れー」という言葉が返ってくると同時にドアが自動で開いた。バッグを持って外に出てから振り返り、ゆっくり閉まっていくドアの向こうに手を振る。
車を見送ってから踵を返した。マンションに入ってエレベーターに乗り込み、浮遊感を感じながら鞄からスマホを取り出す。
時刻は夜の七時過ぎ。外はとっくに真っ暗。莉乃から連絡がないけど、もう帰ってきてるのかな。
四時間くらい前のロケ中、近くにカフカが出現してため莉乃はそっちに向かった。よく考えたら珍しい。許可が降りたとはいえ莉乃が進んで単独行動をするなんて。鬼踊ちゃんの影響かな。
エレベーターを出て、明るく照らされた外廊下を進んでいく。
隣室の前を通りすぎる際、ドアをチラリと見た。鬼踊ちゃんの部屋。昨日引っ越してきたらしい。まだ顔は合わせてないのは、Adabanaでちょっと話した時に取っ付きにくそうな感じだったから。
自分の部屋のドアを開けるとリビングから光と良い匂いが漏れていた。
「莉乃ー、ただいまー」
リビングのドアを勢いよく開けながら言うと、キッチンに立っていた莉乃がこっちを見た。
「おかえり。お疲れ様」
エプロン姿でそんなことを言う莉乃は若妻以外の何でもなかった。ご飯にする? お風呂にする? とか訊いてきそう。
「ご飯もうちょっとかかるから先にお風呂入ってきたら?」
「ううんー。向こうでシャワー浴びてきたし待ってるー」
バッグをソファに置いて、服を脱ぎ捨てながら寝室の洋間へ。衣類棚から適当にロング丈のTシャツを取り出して、ブラを外してから着る。そして脱ぎ捨てた服を回収しながらリビングを抜けてお風呂場へ。洗濯籠に丸めて突っ込んでからリビングへ戻った。
ソファにドサッと座って、バッグから私用のスマホを取り出す。祐司先輩からメッセージが届いていた。デカデブと違って反応に困ることなく返事を打って送る。
「そういえば空木さんに会ったよ」
キッチンの奥から聞こえてきた声に、スマホを見たまま返事をする。
「へー。マンションで?」
「ううん。現場の中学校」
「えー? もしかしてもう一人で戦う気だったの?」
「どうだろう。本人は様子を見にきただけって言ってたけど」
「怪しいなぁ」
「あとね、二中の演劇部の講演に誘われたんだけど流華も一緒に行く?」
「演劇ー?」あんま興味ないなぁ。「いつ?」
「月末の日曜日。時間は一時から二時まで。場所は文化センターで、入場は無料。演目は『草臥れた猫』」
「ふぅん」
二時間くらいって予想してたけど意外と短いし、それなら行ってもいいかも。
「じゃあ他の用事が入らなかったら行こっかな。でも行くなら一時間だけ警報切ってもらわないといけないねー」
演劇中にジリリリ鳴らすわけにもいかないし。
「鬼踊ちゃんは? 一緒に行くの?」
「誘ってみたけど興味ないって」
「ふぅん」
正直者だ。
「どんな子だった?」
「えっと……普通? クールな感じ。話しにくいとかはなかったよ」
「ふぅーん」
「歓迎会とかする?」
「え? なんで? 今までそんなのしなかったのに」
「でも今までの人とは毎日一緒にご飯食べてたでしょ? 空木さんはご飯は一人で食べたいみたいだけど、一回くらいは三人でご飯食べたいし」
「んー。そだねぇ」
なんか鬼踊ちゃんにはあんまり興味をそそられないんだよねー。んー、なんでだろ。仲良くしたいとは思ってるんだけどー。
まぁでも実際に対面したらニコニコ笑顔で接する自信はあるから大丈夫かな。
それから四月一日までの数日間、どういうわけか鬼踊の結羽ちゃんとはマンション内や周辺で度々出会した。最初は軽い自己紹介や挨拶をしたくらいだったけど、意外とからかい甲斐のある人だということが分かってからは積極的に絡んでいった。
でもまぁそれは接し方が分かったっていうだけであって、相変わらず興味は湧かない。その理由もなんとなく分かってきた。
結羽ちゃんはお子ちゃまなんだ。
同年代の子と比べても、精神年齢がずっと低い。周囲に対して敵意を撒き散らしているところなんて特に。
だから正確には『興味が湧かない』じゃなくて『対等に見れない』ってだけ。なんか、仲良くなるとかじゃなくて、面倒を見てあげなきゃいけない気になる。でも私は人の面倒を見るのは好きじゃない。ついでに言えば子供も好きじゃない。
どっちも好きな莉乃なんかはやっぱり結羽ちゃんのことが気になるみたいで、たまに『ちゃんとご飯食べてるのかな』とか口にしたりする。私としてはちょっとだけ、もやっ、だ。
エイプリルフールの今日は結羽ちゃんの歓迎会を開く日だけど、私にとっては先輩と会う日でもある。
大学生相手だから大人っぽい格好をーーなんて考えるのは素人だ。成人してから高校生と付き合うような男は総じてロリコンなんだから、慣れてないけど頑張ってお洒落しましたーくらいの、大袈裟に言えば中学生みたいな格好がウケる。特に私なんか、ネットで言われてるように同年代と比べたらロリの部類だし。ロリ巨乳ってやつ。
んー。今日は暖かいしインナーはタンクトップでいっか。下は濃いベージュの膝丈スカート。長袖白ニットを着て完成。
鏡の前で身体を揺らして横から見たりしてみる。なんか足りない気がする。棚からロングタイプのニット帽を取り出してかぶってみる。ニット帽ってなんか幼い感じ。ちっちゃい子がかぶってるイメージがあるからかな。ボンボン付きのやつを。
んー……。悪くはないんだけど、なんかくどい。ロリアピール過多な感じがしないでもない。どうしよ。莉乃に感想を聞いても『可愛い』としか言わないしなぁ。
うん、帽子はやめとこ。寒い日だったらまだアリだったかもしれないけど今日は晴れだし。
ベッドの上に置いていた小さなショルダーバッグを肩に掛けてから寝室を出る。
リビングでは莉乃が布巾でテーブルを拭いていた。
「莉乃ー、これどう?」
両腕を軽く広げてみる。
「可愛い」
即答である。
「ニット帽かぶるのはどうかな?」
「可愛いと思う」
「子供っぽ過ぎない?」
小首を傾げて思案顔(いや普段の無表情なんだけど)の莉乃。
「子供っぽくて可愛いと思う」
服装とか全然気にしない莉乃がそう感じるということはやっぱり子供っぽいんだなぁ。やめといて正解だった。
「もう出掛けるの?」
「少し前に『今から向かうね』って連絡あったし。あ、ついでに結羽のところ行って今夜のこと言っとくねー」
そう言いながらリビングを出ると莉乃が付いてきた。
「流華も七時までには帰ってきてね」
「分かってるって」
靴を履きながら答える。立ち上がってドアノブに手を掛けると「いってらっしゃい」という声が後ろから聞こえた。振り返り、
「うん。いってきまーす」と言いながらドアを開ける。
「あ、鍵お願いね」
莉乃が頷いたのを確認してからドアを閉めて隣室へ。背後でカチャ、という施錠音が小さく響いた。
結羽ちゃんの部屋の前に立って『ピンポーン』とチャイムを鳴らす。
反応なし。
留守かな。
ドアに耳を当ててみる。なんか微妙に気配感じるんだけどなぁ。もしかして寝てる? もう昼過ぎだけど。
『ピーンポーン』
『ピーンポピンポーン』
なんか楽しくなってきた。こういうの小さい頃やったなぁ。
『ピンポピンポピンポーン』
『ピピピピピピピーンポーン』
『ピピピピピピピーンポピピピピピピピピ』
うん? なんか中から物音が聞こえたような。
やっぱりいるっぽい。
あ、そういえば。
鞄を開けて内ポケットを確認すると、見慣れないキーホルダーリングと鍵があった。
やっぱり。昨日隊長からもらったまんま入れっぱなしだった。莉乃の部屋の鍵と一緒に部屋に置いておくつもりだったのに。
まぁちょうどよかったか。
鍵穴に差し込んで解錠。
ドアを開いて「へい、結羽!」と挨拶をした。返事はない。靴を脱ぎ捨てて軽い足取りで廊下を進む。指に引っ掻けた鍵がチャラチャラ音を立てた。
リビングのドアを勢いよく開く。
「おっはー」うん? 服はちゃんとしてるけど髪ぼさぼさ。「って寝てたの!?」
「うん」
「駄目だよー、沙良さんみたいな生活しちゃ」
いつもは莉乃に同じようなことを言われてばっかりだからたまには言う方に回ってみる。
「今日はたまたま。ていうか流華だって莉乃がいなきゃ不規則な生活するんでしょ?」
バレてた。
「えへへ」
笑って誤魔化す。結羽ちゃんは照れ隠しなのか顔をしかめた。
「ところでどうやって鍵開けたわけ?」
「え? もちろん鍵でだよ」
右手を軽く上げて、指に引っ掛けている鍵を見せる。
「なんで私の部屋の鍵を持ってるわけ?」
あれ。そこら辺の話はしてないんだ。意外といい加減だからなぁ、隊長って。
「隊長がくれたよ。一応私が班長だからね!」
「莉乃が管理した方がいいんじゃない?」
「隊長もそう言ってた!」
「胸を張っていうことじゃないでしょ」
「えへへ。でも大丈夫! 結羽と莉乃のスペアキーは普段私の部屋に置いてあって、私の部屋のスペアキーは莉乃が持ってるから!」
「なにそれ。二人とも私の部屋入り放題ってこと」
「あー。そう言われればそだね。えへへ」
嫌なのかな、部屋に入られるの。私なんか全然大丈夫なんだけど。見られたくないものがあるとか?
「ていうか結羽の部屋入るの初めてー」
感動するフリをしてくるくる回りながら室内に目を光らせる。なにか面白そうなものないかな。
「うわー。引っ越して一週間経つのに段ボールだらけー。しかもちょっと汚ーい」
片付けが苦手なのは私もだから人のこと言えないけど。
うん? テーブルの上に置いてあるのは……。
「あ、漫画! あははは! 恋愛モノだ! 似合わない!」金髪長身の優男が茶髪ロングの気弱そうな女の子を後ろから軽く抱き締めている表紙。なんで二人揃ってこっちを見てるんだろう。浮気現場を恋人に目撃されたところ? タイトルは『私に恋してください』。ぶほぉっ。面白すぎる。うん? なんか結羽ちゃんが怖い顔して近付いてきた。「え、何? あ、痛い! 多分これかなり痛いやつだよ、結羽ちん!」アイアンクローされた! 『私に恋してください』読んでる人にアイアンクローされた!「あははは!」って「うん?」
テーブルの上に手紙が置いてある。私の視線に結羽ちゃんも気付いたらしくて『うげっ』とでも言いそうな表情をした。
「それなに? お手紙? しかも差出人男の子だ!」まぁなんか文字的に子供っぽいけど。同年代ならスマホくらい持ってるだろうからわざわざ文通する意味が分かんないし。
でも、これは絶好のネタだ。
「えー? もしかして彼氏? 結羽ちんそういうこと興味なさそうなのに実は津々なの?」身体をクネクネさせながら言うとこめかみに掛かる力が増した。「う、うん!? 握力強くなったよ!? これ以上やると頭弾けちゃうって!」
結羽ちゃんは私のことをガン無視して手紙に顔を向けている。ファンレターとかかと思ったけど、表情を見た感じ違うのかな? でも兄弟とか親戚はいないって聞いてるし……。
ま、どうでもいいか。
「遠距離? 私遠恋ってしたことないよー。ねぇどんな感じ? ねぇねぇどんな感じ? むふふー」
「彼氏じゃない。小学生の男の子」
呆れたような疲れたような口調で言いながら手を離してくれた。
「小学生? なぁんだ。ファンレターか」
軽く探りを入れてみるけど反応なし。
「でも意外ー。結羽ってそういうの読まなそうなのに」
「暇な時に読むくらいだけど。流華は読まないの? たくさん来るでしょ」
「読まないねー。文字読むの疲れるし。あ、一般人に言ったら駄目だよ」
読んで当然って思ってる人ばっかりだからね。
「はいはい。で、何の用?」
用? なんだっけ? あ、そうそう。
「ふふ」と笑う。結羽ちゃんは眉をひそめた。あんまりやると皺になっちゃうよ。
「今日の夜に班活動をやります」
「班活動?」
訝しげな声。
「内容は決行まで極秘。七時くらいに迎えに来るから家にいてね。あ、他の班の人も来るからね!」
今のところ奈緒だけだけど。
「りょーかい」
「どこか出掛ける用事とかあるの?」
「まぁ、ちょっと」
「へー、そうなんだ。私はね、これからデートなんだー」
「あっそ」
「もー。僻まないの」
しかめっ面の本日記録が更新されると同時に、鞄の中から着信音が聞こえてきた。スマホを取り出してメッセージを確認。『着いたよ』らしい。なんか同時にデカデブからもメッセージが届いたけど未読スルー。デートの後にでも返そう。
「迎えに来てくれたみたいだから私行くねー」
「あぁはいはい。さっさと行けば?」
「もー、相変わらずのツンデレ!」
全然デレないけど。