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花冠 ーフランー5




 篤人さんのマンションで暮らし始めてから一ヶ月が経った。

 朝六時。二人揃って起き出し、支度を済ませ、それぞれ学校へ向かう。

 今の暮らしに満足はしているけど通学時間がかなり長くなってしまったのはマイナスポイントだ。タクシー通学っていうのも苦学生である篤人さんに悪い気がするし。

 学校に到着するのは始業五分前くらい。私の席に集まっている三人に「おっはよー」と挨拶する。

「おはよう」と真っ先に返事をしたのは莉乃。それに続いて奈緒と新鷲さん。

「流華、昨日の夜、任務だったんだってね。お疲れ様」

「あはは。ありがとー。でもすぐに終わったからよかったよ。カフカが見付からないとーーーー」

 新鷲さんが提供してくれた話題を適当に消化したところでチャイムが鳴って朝礼が始まる。

 以前と変わらない学校生活を送って、放課後。

 通学路の関係で、莉乃とは途中まで一緒に帰ることになる。

「考えてくれた?」

 奈緒と新鷲さんと別れてすぐ、莉乃はそう切り出した。

「んー、考えたは考えたけど、やっぱり辞める理由がないもん。別に調子悪くないし、大学も行きたいし。それに莉乃は辞める気ないんでしょ?」

「うん」

「なら私も辞めない」

 莉乃は納得していないらしく渋々といった様子で「うん」と頷いた。

 交差点で莉乃と別れてから一人で歩き出す。道中、自転車に乗った健君と偶然会って、小さく手を振った。向こうはペコリと頭を下げた。私と健君の通学路は微妙にかぶっているらしく、たまにだけどこうして会うことがある。だからどうだってこともないけど。

 通学路の途中にあるスーパーに寄ってお弁当とパンを購入した。お弁当は今日の晩御飯。パンは明日の朝御飯。篤人さんが家でご飯を食べるなら何かしら手料理を作るんだけど、今日みたいにバイト先の賄いがある日は私一人だしお弁当やお惣菜で済ませてしまう。それに作れる料理もまだまだ少ないから毎日作ると飽きちゃうしね。来週の休みに実家に帰るからお母さんにまた教えてもらおう。

 マンションに到着。お風呂掃除と入浴を済ませてから晩御飯を食べる。無味。

 テレビを見て時間を潰しているうちに篤人さんが帰ってきた。お風呂から上がるとすぐベッドに入る。

「夕飯はなに食べたの?」

「スーパーのお弁当」

「また?」

「またです」

 小さく笑い合う。

 今日はしないだろうな、という予想通り、それから何度か言葉を交わしているうちに篤人さんは寝息を立て始めた。

 セックスレスは夫婦間だと離婚事由になるくらい深刻な問題らしいけど、私としては少ない方が有り難い。しなくてもいいくらいだ。

 相変わらず、島屋の記憶はデリカシーの欠片もなく最悪のタイミングで頭に浮かび上がり、現実を侵食する。私に触れているのは篤人さんに化けた島屋なんじゃないかという馬鹿げた妄想を、一時的にとはいえ本気で考えてしまうくらいに。

 でもまぁ、それ以外は特に大きな問題もない。

 莉乃もお父さんもお母さんも、記憶のないフリさえしてれば以前と変わらないように接することができるし。もしかしたら莉乃辺りは怪しく思っているかもしれないけど、だからといって私に確認することもできないだろう。その行為は、本当に忘れていた場合、記憶を取り戻す助勢をしてしまうことになるから。

 記憶のないわたし。莉乃やお父さんお母さんがそれを望むのなら私は応えるまでだ。

 公の場に出る時、元カレ達と付き合っていた時みたいに、相手が望む私になるだけ。

 私の居場所には、もうなり得ないけど。


 そして、同棲を始めてから二ヶ月が経った初夏の夜。

「ごめん、他に好きな人ができた」

 テーブルを挟んで正座をしている篤人さんはそう言いながら小さく頭を下げた。

「別れてほしい」

 そうして、私の居場所は呆気なく消滅した。

 でも、よく考えてみれば何もおかしなことはない。私だって前までは一ヶ月やそこらで男をとっかえひっかえしていたわけだし。

 ただ勘違いしていただけ。私が好きでいれば相手も私のことを好きでいてくれると。

 着の身着のままで部屋を飛び出して元のマンションに戻った。数ヵ月ぶりなのに室内は綺麗なもので、隅々まで掃除の手が行き渡っていた。むしろ散らかす人がいない分、前より綺麗かもしれない。

 ソファにダイブしたところでチャイムが鳴った。多分莉乃だろう。でも今は誰とも話したくない。クッションに顔を埋めたまま無視していると、カチャ、と小さな解錠音が聴こえた。廊下を歩く小さな足音。莉乃だ。

 足音が止まる。気配はリビングに入ったところ。

「泥棒かと思った」と莉乃の声。笑って返す気にもなれず無視した。

「何かあったの?」

「別に」少しだけ顔をあげる。「ただ、なんかめんどくさくなっちゃっただけ」

「流華、大丈夫?」

「どうでもいい」

 上体を起こしてから莉乃をじっと見る。

「どうでもいいから聞いちゃうけど、莉乃、私に隠してることあるでしょ」

 莉乃の瞳が僅かに揺らぐ。

「あ、言っとくけど摩耶とか美織とか島屋とか、あと戸舞家のことじゃないからね。それ以外でってこと」

「流華、思い出したの? それともやっぱりーーーー」

「例えば私の耐性のこととかさ」

 ひゅ、と小さく聞こえたのは、おそらく莉乃が息を飲んだ音だ。

「やっぱそうなんだ」

「なんで?」

「なんで知ってるかってこと? 別に誰かに聞いたわけじゃないよ。莉乃と話してて、なんとなく気付いちゃっただけ」

 そんな気分じゃないのに「あはは」と笑い声が口からこぼれる。

「要するに、私が自分の力で手に入れたものだと思っていた居場所も地位も権力も、全部莉乃が用意してくれたものだったってことでしょ? ごめんね、前に『私は莉乃のためにやった』なんて偉そうなこと言っちゃって」

 声は返ってこない。

「ねぇ、莉乃。なんでこんなことしたの? 戸舞家の人達に私を引き取るようお願いしてくれたのは子供だからで済ませられるし、美織や摩耶のことは納得のできる想像が出来なくもないんだけど、耐性のことは別に嘘吐く必要なくなかった?」

 返事はない。

「島屋に犯された私に同情してたの?」

「違う。それはーーーー違う」

「じゃあなんで、私が『全能』だなんて嘘吐いたの?」

 返事はない。

「本当は莉乃が『全能』なんでしょ? そうじゃなきゃ大将達が私のいうことを聞く理由がないもんね。それで、私が『万能』? あ、そうとも限らないか。なんせ殺される可能性があっても吸収役の三人目をいれるくらいだもんね。もしかして私ってばすごく耐性が低いの? あー、今となっちゃあ納得かも。じゃなきゃ記憶を消したりしないよねぇ。一種の防衛本能ってやつだったのかなぁ。となるとこうなる引き金を引いたのは篤人さんの負の感情を吸収したことだったのかなぁ。ねぇ、莉乃はどう思う?」

 返事はない。

「何か答えてよ」

「私も、そうだとおも」

「そうだと思うじゃねぇだろうが!!」

 莉乃の肩がびくりと跳ねた。

「あ、ごめんね。あはは。ちょっと興奮しちゃった。別に莉乃が悪いなんて思ってないんだよ? これはホントに。むしろ莉乃がいなきゃもっと早くこうなってたと思うし。もうどうしようもなかったんだって。島屋に犯された時点でもう決まってたんだと思うよ。あ、いや、でもそれを言うならあさやけ園で暮らし始めた時かな。あはは、なにそれ。生まれてすぐにこうなることが決まってたとか本当にどうしようもないじゃん。だから莉乃は悪くないよ。今生きている人で悪い人はだーれもいない。なのになんでだろうね、なんで、こんなに死んでほしいって思うんだろう。悪い人なんていないのに、いい人の方が多いのに、みんなまとめて死んでほしいの。人間も徒花もカフカも他の動物も植物もーーーー」

 言葉と同時に何かが込み上げてくる感覚。ごふ、と口からこぼれたのはヘドロだった。

「流華……!」

 駆け寄ってこようとする莉乃を片手で制止してから笑みを浮かべる。

「みーんな死んでほしいの。この世界に死んでほしい。駄目かな、そんな風に言ったら」

 込み上げてくる感覚。咳き込んでヘドロを吐き出す。

 顔をあげると泣きそうな顔をした莉乃が私の前に立っていた。右手には真っ黒な銃。なにあれ? 普通の銃じゃーーーーどうでもいいか。

「あ、やっぱこれって腐化なのかな。なんか今まで見てきたのと違うよね。こんな風にヘドロ吐いたりする人なんていなかったし」

 あはは。

「莉乃、私のこと殺すの?」

 涙の溜まった瞳が大きく揺れた。指先が僅かに腐った手を伸ばして莉乃の服を掴む。

「やだよ、莉乃。殺さないで」

 そのまま手を引いて、ギュッと抱き寄せた。でも莉乃は抵抗するように私の肩に両手を置いた。

 十センチあるかないかの近距離で見つめ合う。涙が溢れだしているにもかかわらず莉乃の目からは強い決意を感じられた。

 バッと両腕を前に出して莉乃を突き飛ばす。

「殺すの? 莉乃に私が殺せるの?」

 莉乃は答えない。でも、答えは私のなかで出ていた。

「そっか、殺せるんだ。莉乃の中で私なんて結局その程度の存在でしかなかったんだ。ならもう早く殺してよ! もうこんな最低な世界ところには私だってうんざりしてるんだから! 徒花とカフカと人間で殺し合ってみんな死んじゃえばいい! 莉乃もお父さんもお母さんも篤人さんも健君もみんな死ーーーー」

 銃声。

 どうでもいい。

「みんな死ね!!」

 莉乃はその場に座り込んだまま動かない。

「ごめんね、流華」

「うるさい死ね!! 謝るくらいならお前がみんなを殺せよ!」

 莉乃は俯いたまま首を横に振る。

「ごめんなさい」

「うるさーーーー」

 ぼやけ始めた視界の中で、莉乃の右手がゆっくりと上がっていく。

 聴力がなくなったのか、怖いくらいの静寂の中で、その銃先は莉乃自身の胸へと向けられた。

 無意識に私は叫んだ。

 自分の声すら聞こえない。

 銃声だけが、耳の奥で響いた。







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