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花冠 ーフランー2




 目を覚ました、という感覚はなかった。ただベッドに寝て天井を見上げている現状を認識して眠っていたのだと理解しただけ。

 顔を少しだけ動かすと丸椅子に莉乃が座っていた。背後のカーテンは夕焼けで橙色に染まっている。

「莉乃」

「流華」

 莉乃は心配そうな顔で私を覗き込んだ。見慣れた顔よりも、ずっと感情が表れていた。すごく心配したみたい。

 ゆっくりと上体を起こす。身体はとんでもなく怠かった。

「大丈夫?」

「うーん。なんか凄く怠い。それより先生は?」

 莉乃の顔が僅かに曇る。どうしたんだろう。今日はやけに表情豊かだ。

「肩を脱臼してたみたいで、病院に行った。明日からはまた普通に来るって」

「そっか、よかったぁ」

「流華……」

「ごめんね、莉乃。心配かけて。なんか分かんないけど私変になっちゃって。でももう大丈夫だから」

 莉乃は首を横に振る。『心配かけてごめん』に対する返事かと思ったけど、莉乃は続けて、

「大丈夫じゃない」と言った。

 莉乃が私の言葉を否定した。それに自分でも驚くくらいショックを受けて少しの間固まってしまった。でもすぐに気を取り直して笑みを浮かべる。

「あはは。大丈夫だってば。なんか疲れてたのかも。昨日、何でか久しぶりにあさやけ園に行っちゃったし、しかもそのまんま栃澤さんのところに行っちゃうし、なーんか変な行動ばっかしちゃってるんだよねー。あ、そうだ。莉乃ー、私、進路希望調査に就職って書いて提出してたんだけどーーーー」

「もう部隊は辞めよう」

 私の話を遮るように、莉乃はそう口にした。

北詰きたづめ大将にも許可はもらってあるから」

「え? な、なに、いきなり莉乃。そんなこと出来るわけーーーー」

 莉乃はポケットから折り畳まれた紙を取り出して私に差し出した。

「なに? なにこれ?」

 受け取って紙を開く。

『摩耶と美織に関する記憶』

 進路希望調査と同じ字の書き出しを見た瞬間、私の頭の中に摩耶と美織の記憶が鮮明に浮かび上がった。

 それだけじゃない。昨日あさやけ園で思い出したこと、栃澤さんを尋ねた理由。全てを忘れていた。

 でも、それよりも。

「なんで莉乃がこれを持ってるの?」

 莉乃は目線を下げたまま口をつぐんでいる。

 今日私は学校に来る前にマンションへ戻った。その時に洗面台の棚を開けたけど、この紙はなかった。莉乃が取っていたから? なんで? このタイミングで、偶然? そんなわけない。

「いつから知ってたの?」

 莉乃は迷うように口を動かしてから「そのメモのこと?」と聞いた。

 なにそれ。

「これを見る前から莉乃は知ってたってこと?」

 莉乃の表情が強張る。図星だ。図星? 知ってたの?

「知ってたの?」

 莉乃は逡巡した後にゆっくりと頷いた。

「じゃあなんで黙ってたの? ねぇ! いつから知ってたの!? どこまで知ってるの!? なんで何も言ってくれなかったの!?」

「ごめんなさい」

 手に握り締めていたメモを莉乃に投げ付ける。

「ごめんなさいじゃなくって! いつから知ってたのって聞いてんの!」

「摩耶と美織のことは、確信したのは美織が死んじゃった後……」

「摩耶の時からうすうす分かってたってこと? ならそこで止めてくれれば私は美織を殺さずに済んだのに!」

「ごめんなさい」

「あさやけ園のことは?」

 莉乃は俯いていた顔を上げる。泣きそうな表情をしていた。でも知らない。気にかける余裕なんかない。私はとっくに泣いていたから。叫びながらも涙が止まらなかった。

「知ってたんでしょ? おかしいもん、キサキちゃんも園の先生も私が記憶を取り戻さないようにしてるなんて。莉乃が言ったんでしょ? 私自身も知らなかった記憶を他の人に言い触らしたんでしょ?」

「それは……」

「ねぇ、いつから知ってたの? 私が島屋に好き放題されてたって」

「私も流華もまだ園にいた時から……」

「へぇ、そんなに前から知ってたんだ。でも莉乃は何もしてくれなかったじゃん。私が島屋を殺したんだよ? 殺さなきゃ莉乃が犯されると思ったから! 摩耶だって莉乃の悪口言ってたし、美織だって莉乃に吸収させてばっかりだったし……! 莉乃のために三人も殺したのに! 莉乃は何もしてくれなかった! 私が島屋に酷いことされてても雪に夢中で気付かなかったし! 摩耶の最低な顔にも気付かなかったし! 美織がちゃんと仕事しなくても何にも言わないし! だから私がやったのに!」

 自分が何を言っているのか分からなかった。ただ言葉が口から出るだけ。

 俯いたままだった莉乃は「ごめんなさい」と口にしてからゆっくりと私を見た。

「流華はもう無理しなくていいから。今まで何も出来なかった分、私が頑張るから。流華はもう……」

「部隊を辞めろって!? 辞めれるわけないでしょ、バカじゃないの!? 部隊を辞めた徒花がどういう扱いを受けるか知ってるでしょ!? あの麗さんでさえーーーー」

「私がなんとかするから」

「信用出来るわけないでしょ! 今まで何もしなかったくせに! それとも何!? 私がいなくなれば自分が一番になれるからそう言ってるわけ!? 私はまだ限界なんかじゃないし、全然やれる!」

 莉乃は泣きそうな顔を横に振る。

「今の流華、死んじゃう前の結羽ちゃんに凄く似てるの。急に気を失って、感情のコントロールが出来なくなって……」

「そっ、それは莉乃のせいでしょ! 莉乃が勝手なことばっかりやったから私は……!」

「ごめんなさい」

 莉乃はベッドに付くくらい深く頭を下げた。その姿を見て、荒れた心にまた別の苛立ちが混ざった。

 もう話したくない。見たくない。ここにいたくない。

 ベッドから降りる。莉乃が私を見ているのは分かったけど、私は莉乃を見ないまま「帰る。付いてこないで」と言った。

 カーテンを開けると窓から差し込んだ夕日が目を刺激した。それに苛つき、拳を振り上げて窓を叩き割る。校庭で部活をしていた生徒がこっちを見ていたけど気にならなかった。そこから校庭に出て全力で校門へ走る。窓をくぐる際、足の裏が切れたらしく、ヘドロのベチャっという感触があった。でも、島屋の手に比べれば気持ちいいくらいだった。




 足を止めたのは実家の前に着いてからだった。栃澤さんじゃなくて、莉乃と繋がりのあるお父さんとお母さんを選んだのはどうしてだろう。記憶がない時に栃澤さんを悪く言ってしまった罪悪感からか、或いはまた栃澤さんの部屋に泊まったとして翌朝記憶をなくしているであろうことを考えてか。我ながらそこまで頭が回る状況じゃあなかったとは思うけど。

 軒先に立ったまま改めて自分の格好を見てみる。

 ブレザーを着ていないシャツ姿。タイもしていなかった。ベッドに寝かせる時に脱がされたんだろう。あ、髪もまとめてない。極めつけに靴も履いてない。

 酷い格好だ。

 小さな門扉を抜けて短い階段を上がる。玄関灯に照らされた扉の前に立ってインターホンを押すと、屋内から小さな物音が聴こえて、その数秒後にパタパタと小走りする音が近付いてきた。

 あ、もしかしたら学校から連絡が来てるかも。

 不意に浮かんだ可能性に踵を返しそうになったけど、全身を包む倦怠感がその行動を止めた。

 解錠音の後に扉がゆっくり開く。

「ただいま」

 目を丸くしているお母さんに、出来る限りの笑みを浮かべて言う。

「おかえりー。って、えぇー。流華ちゃん、どうしたの? 今日帰るなんて言ってなかったよね?」

「うん」

 そう返したところで私の格好に気付いたらしく、お母さんはあわあわと見るからに狼狽しながら「な、なにかあったの?」と聞いてきた。とりあえずご近所さんの目に触れたくないから家の中に入って上がり框に腰掛ける。

 なんて答えよう。

「莉乃ちゃんとなにかあったの?」

「なんで分かるの?」

 もしかして連絡があったのかな。

「流華ちゃんがそんな顔してるっていうことはそうかなぁって」

 そんな顔ってどんな顔だろう、と思いながら「喧嘩した」とだけ答えた。

 お母さんは「そっか」と言ってから私の前にしゃがんで笑みを浮かべ「お風呂入る?」と言った。

 頷いてから靴下を脱ぐと、足裏部分に大穴が空いていることに気付いた。市販の靴下が徒花の全力疾走に耐えられるわけないか。

 お母さんは苦笑し、「タオル持ってくるから待ってて」と言って廊下をパタパタと駆けていった。



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