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変化 ーニゲバー6



 その記憶と向き合うことを決めたーーーーいや、向き合わざるを得なくなったのは、それから一ヶ月が過ぎた四月下旬のことだった。

 そのきっかけとなったのは睡眠中に入ってきた任務。記憶のないまま任務へ向かうことはそう珍しいことではなかったけど、その日のわたしは予想外の行動に出た。

 栃澤さんに、今の関係を終わらせたいという旨のメールを送ったのだ。不幸中の幸いか、送信時間は早朝で栃澤さんはまだ眠っていたらしく、返信より先に私が記憶を取り戻してなんとか事なきを得た。

 わたしがそんなメールを送った理由として、新学期が始まって以来、私も栃澤さんも何かと多忙で一度も会えていないということもあったけど、やっぱり一番は記憶のあるなしによる想いの違いなのだろう。

 そして、状況が少しでも違っていたらーーーー栃澤さんが起きていたら、あるいは以前のように私の記憶がほぼ一日中戻らなかったら、きっと今朝ほど簡単に修復は出来ないと思う。だって、わたしは興味のなくなった相手に容赦がない。自分が嫌な子に思われないよう言葉には気を付けているけど、そんな言葉の節々から興味を失っていることが伝わるように文章を書く。電話なんかしたら一巻の終わりだ。

 そして対カフカ部隊に所属し続ける限りその危険性が消えることはなく、それならメモの隠し場所を変える、確認方法自体を変える等も考えたけど、いい場所も方法も思い付かない。

 それならいっそ、この危うい状況を作り出している私自身を変えるしかない。

 以前感じた恐怖は残っていた。でも、摩耶や美織のことを忘れていた私より今の私の方が幾分まともだと思う。だから今回だって大丈夫。もっと自分と向き合えるようになるだけ。

 タクシーに揺られながら自分に言い聞かせること一時間弱。懐かしい門の前で車体はゆっくりと停止した。

『あさやけ園』と彫られた石銘版。門の先には四棟の家屋とそれに囲まれた園庭がある。ところどころ緑色に染められつつある芝生の上では数人の子供がサッカーやバドミントンをしていて、隅の方にある砂場や遊具では中学生か高校生くらいの女の子が小さな子達の面倒を見ていた。大人はいないのかと辺りを見回すと、一人、赤ちゃんを抱っこした女の先生が建物の影に立っていた。

 子供全員が外に出ているわけじゃあないだろうし、そう考えると私がいた頃より児童数は増えていそうだ。この御時世を考えると全然不思議ではないけど。

 門の前に立っている私にまず気が付いたのはサッカーをしていた子供達だった。その気配に気付いた子達が続いてこちらに顔を向けて、その子達がざわざわし始めた辺りで先生が私を見た。

 知らない顔だった。二十代っぽいし、私があさやけ園ここを出た後に入ってきた人なんだろう。その人は笑みを浮かべると赤ちゃんを抱えたままこちらへ歩いてきた。

「こんにちは」

「こんにちはー」

「園長先生から話は聞いているから自由にしてもらっていいからね」

「あ、はーい。あの、その浅沼先生は……」

「ごめんね、園長先生は出張なの」

「そうなんですか。残念だなぁ」

 関係を絶っていた七年の間に園長の座へと上り詰めていた浅沼先生は、当時当たり外れが激しかった職員の中では一番の当たりとされていた。厳しいけど優しくて、そして何より全ての子供に大して平等だったし、近すぎず遠すぎない距離感(物理的にも精神的にも)も最適だった。

 覚えている先生の名前を何人か上げてみたけど、もう退職していたり、今日はたまたまお休みだったり勤務が合わなかったりで、今この施設にいるのは知らない先生ひとばっかりみたいだった。残念なようなそうでもないような。

「流華ちゃん」という声に顔を向けると、さっきまで小さな子達を見ていた女の子がすぐ傍まで来ていた。いきなり馴れ馴れしい呼び方をしてきたけど、もしかして知り合い? 昔の記憶を探る前に「私のこと覚えてる?」と質問された。当時同じ棟で暮らしていた人達の中にこの子はいなかった。歳の近い子は莉乃くらいだったから。それ以外の棟の子はぼんやりとしか思い出せず、七年経ってすっかり成長したであろう現在の彼女と当てはまるきおくは見付からなかった。

「えーと……」

「あー、やっぱり覚えてないかぁ。でも違う棟だったし、流華ちゃんと一緒にいたのも一年ちょっとだったからね」

「ヒントもらえれば思い出せるかも」

「じゃあ『え』」

「え?」

「名字の最初の文字」

「えー……えー……」

 分かるか。

 えーえー繰り返す私を見て女の子は「ふふ」と満足げだ。ぬぅ、屈辱。

「えー、のー」

「えの?」

 記憶の端に何かが引っ掛かると、その先の言葉は自然と口からこぼれた。

「きさきちゃん?」

 猫みたいな目が僅かに見開かれる。

「正解! 覚えててくれたんだ!」

 嬉しそうに手を叩く女の子、エノキサキちゃん。歳は私の二つ下だった筈。ということは……

「今は高校一年生?」

「歳まで覚えてるの!?」

「ふふん」

 すごいすごいと称賛の言葉を浴びた後、キサキちゃんに先導されて施設の敷地に足を踏み入れた。多数の視線を浴びながら園庭の隅を歩いていく。庭で遊んでいる子達は年齢的にも知り合いじゃあなさそうだし……、

「私のこと覚えてる子ってキサキちゃん以外に誰かいる?」

 前を歩く背中に問うとキサキちゃんは「ううん」と苦笑気味に即答した。

「年上の人達はみんな高校を卒業して退所しちゃったし、あの頃一緒にいた年下で流華ちゃんのことを覚えてるくらい年の近い人は私だけだから」

「そっか」

 嬉しいようなそうでもないような。

 どこを見たいとか言った覚えはないけど、キサキちゃんが西棟へ歩を進めていることは分かった。キサキちゃんこそ私が住んでいたところまでよく覚えてるな。あ、莉乃に聞いたとか?

 二階建ての家屋をゆっくり見上げる。

 側面から見える複数の窓のうち、向かって右、家の一番奥にある窓が私と莉乃の部屋だった。

「キサキちゃん、今って子供は何人いるの?」

「ちょうど四十人。流華ちゃんがいたときと比べると増えてるよね?」

「うん、大分」

「やっぱりカフカが出るようになってから親を亡くしちゃう子が多いみたいだよ。ほら、何年か前、ニュースで児童養護施設が不足しているって話題になったことあったでしょ」

「うん」そうなんだ。

「あの少し前にあさやけ園ここにもドバッと新しい子が入ってきたの。一棟十人、小さな子は一部屋を三人で使ったりしてる状態がずっと続いてるんだよね。って莉乃ちゃんから聞いてるよね、こんなこと」

「うん、まぁ」嘘だけど。

「でもここは他と比べると大分マシだと思うんだよね。職員さんの数も足りてるし、莉乃ちゃんと流華ちゃんの出身施設だっていうことでファンの人からの寄付も多いみたいだから」

 へぇー。初耳。

「職員さんの負担とか経営的な面で言えば昔より楽になったかもしれないってくらい」

 キサキちゃんは苦笑気味に言った。

 西棟内に入ると子供の騒ぎ声とテレビ音、そして二階からはドタバタと走り回る足音が聴こえてきた。

 懐かしいな、と内心顔をしかめながら靴からスリッパに履き替える。

「まずは松安ちゃんに挨拶しなきゃね」

「松安ちゃん?」

 誰だろう。西棟のボス的な子?

 軽快な足取りで廊下を進んでいくキサキちゃんの後を追う。外観もそうだったけど家の中もほとんど変わっていない。むしろところどころ綺麗になっている気がする。男の子が癇癪を起こした時に開けた壁の穴がなくなったりだとか。

 リビングに入ると、中学生くらいの男の子がテレビの前に座ってゲームのコントローラーをバチバチ連打していた。その周りに群がってテレビにかじりついている幼い男の子二人。そしてソファに座って読書している女の子達。しかしゲームの様子が気になるのか、度々本から視線を上げてはまた落としていた。

「松安ちゃーん。流華ちゃん連れてきたよ」

 片手を上げながら言うキサキちゃんの視線を追うと、キッチンカウンターの向こうに立っている女の人と目があった。

「松安……ちゃん? 先生じゃなくて?」

「ん?」と首を傾げるキサキちゃん。「あー、そっか。昔は職員さんのこと先生呼びだったねー。流華ちゃんが出ていってからわりかしすぐに変わったんだよ。先生呼びからあだ名とか○○ちゃん呼びに」

「そうなんだ」

 これまた初耳。

 そんな話をしている間に松安ちゃんさんは皿洗いを終えてキッチンから出てきた。

「いらっしゃい、流華ちゃん。初めまして」

「初めまして。お邪魔します」

「見学は自由にしていいからね。あ、でも鍵を掛けてる部屋とか子供達の部屋は入らないでね」

「はい」

「それと」と松安ちゃんさんは私の耳に口を寄せて「よければ子供達と遊んであげてね」と言った。

「はい」と答えたものの、んー、それはちょっとなぁ。あ、でも自分の部屋は見たい。となると今の住人に許可を取るしかないのか。

「二階の一番奥の部屋を見たいんですけど、今住んでる子って……」

「わ、わたしっ」と食い気味に声が上がった。顔を向けると読書をしていた女の子の一人が挙手していて、更にもう一人も「わたしも……」とおずおずと続いた。そしてそんな様子を遠巻きに観察する男の子達。

「あなた達二人の部屋なの?」

「はい」

「入らせてもらっても大丈夫?」

「は、はいっ。大丈夫だよね、瀬里せり

 瀬里ちゃんはコクコクと頷く。それを見た女の子は私に向き直ると、

「わたしも付いていっていいですかっ」と言った。

 うぐ。嫌だけど会話の流れ的にそうは言えないじゃん。子供への苦手意識も記憶の有無に左右されないのである。施設にいた頃は全然平気だったんだけどなぁ。まぁ自分も子供だったからだろうけどさ。

 女の子(真歩まほちゃんというらしい)と瀬里ちゃんと一緒にリビングを出て早速二階へ向かう。元自室を見てしまいさえすればこの二人も離れてくれるんじゃないかと思ったから。なんとなくそうはならない予感はあるけど。

 二人は私と莉乃のファンらしく、ニュースで流れたいつだかの戦闘が格好よかったとかいつだかのテレビ出演の際に着ていた服が可愛かったとか色々と誉めてくれた。嬉しいようなそうでもないような。というか、嬉しい反面苦手意識が強くなっている気がして自分でも少し不思議に思った。

 元自室に足を踏み入れて、室内をぐるっと見回した。並べて置かれている二台の学習机、衣類を入れる箪笥、ランドセルとか教科書、学校で使うものが入っている棚、窓際の二段ベッド。

「何か昔と変わってますか?」と真歩ちゃんが言う。

「カーテンとかお布団の柄くらいかな。家具が増えたり減ったりはないなぁ」

「これ以上増やすとスペースがなくなっちゃうからね。減ったら困るし」キサキちゃんは笑いながら言った後、「でもカーテンの柄って変わったっけ?」と呟いた。

 それを聞きながら部屋の奥に進んでベッドを眺める。確か私は二段ベッドの上で寝ていた。

 って、あれ?

 ベッドに身を乗り出して窓を覗いてみる。四棟ある家はそれぞれ園庭に向かって建っていて、二階の一番奥に位置するこの部屋からはどう頑張っても庭で遊ぶ子供達は見えない。私の記憶にある景色は正面から見たもので、そもそも二階から見下ろしたものですらない。

 数年前の大雪の日、私はどこから莉乃達を見ていたのだろう。ベッドに寝ていたから当然のように自分の部屋だと思っていたんだけど。

 キサキちゃん達に聞いてみようかと思ったけど一階の部屋を一通り回ればいいかと考え直し、見学するフリをしてから部屋を出た。

「他の部屋も見ますかっ?」と真歩ちゃんが尋ねてきたけど「あんまり邪魔しちゃ悪いから」と断った。半分本音で半分嘘。

 一階へ戻ってもチビッ子二人が離れる様子はない。真歩ちゃんは付いてくる気満々だし、瀬里ちゃんは真歩ちゃんにくっついてるし。二人を改めて見てみると昔の私と莉乃もこんな感じだったのかなぁ、なんて思った。

 見学といっても各ホームは少し大きな一軒家くらいの大きさしかないからそんなに見るところもなく、リビング以外の部屋なんて、子供達の遊び場になっている和室と洋室、お風呂場、トイレくらいだ。と、思っていたけど、一部屋だけ鍵のかかった部屋があった。玄関すぐ横の開き戸。昔こんな部屋あったっけ? その記憶は定かではないけど、少なくとも家の中に鍵の掛かった部屋なんかなかった筈だ。

「物置だよ、そこ」

 そう言ったのはキサキちゃんでも真歩ちゃんでも瀬里ちゃんでもなかった。

 振り返ると松安ちゃんさんがいた。リビングのドア枠に右肩をもたれて、目が合うとニコリと笑みを浮かべる。

 微かな違和感。如何にも何でもなさそうな振る舞い。とはいえ鍵の掛けてある部屋には入らないという約束だ。ひとまず諦めてから松安ちゃんさんに『一階にベッドが置いてある部屋はあるか、あるいは過去にあったか』聞いてみたけど、返ってきた答えは

「私は流華ちゃんと入れ違いでここで働き始めたけど、その頃にはそんな部屋はなかったよ。他のホームにも勿論ないし」

 というものだった。

 まぁ大雪が降ったのは私が小学二年生の頃(調べてきた)だからその間に変わったのかもしれない。ていってもその頃にはまだキサキちゃんはいないし、当時働いていた先生もいない。私のことも覚えていない子供達がそんなことを覚えているわけがないから確認しようがないけど。

「流華ちゃん、次どこに行く? リビングで休憩する?」とキサキちゃん。

「ううん。んー、外に行ってみようかなぁ。園内をぐるっと回ってみたいかも」

「ふぅん?」

 面白いのそれ、とでも言いたげに不思議そうな表情をするキサキちゃんとチビッ子二人。松安ちゃんさんを横目に見てみると、無表情のような思案顔のようなよく分からない表情を浮かべていた。

 松安ちゃんさんと別れて西棟を出た。そのままグラウンドの方に数歩歩いてからくるっと回れ右。ホームを正面から見据えると、グラウンドを真っ直ぐ見ることが出来る一階の窓は三ヵ所だけ。そのうちの二ヵ所は遊び場の和室と洋室だから除外。となると最後の一ヶ所であるさっきの物置くらいしか選択肢がなくなる。カーテンが閉められていて中の様子は分からない。んー、あのカーテンにも見覚えがあるような気がする。

「ねぇ、キサキちゃん」

「んー?」

「あの部屋って昔から物置だったっけ?」

「うん、そうだよ」

 ふーん。

「鍵かかってた?」

「ん? あー、流華ちゃんがいた頃は鍵はかかってなかったかも。勝手に部屋に入った子が怪我してから立ち入り禁止になったんだよね」

「誰が?」

「え?」

「怪我したの」

「あぁ、えっと……、誰だったっけなぁ。退所した誰かだったと思うけど」

 ふーん。

「大丈夫だったの?」

「うん」

「そっか。よかったー」

 そう言いながら笑みを見せるとキサキちゃんも笑った。その笑みには安堵が色濃く出ていたけど。



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