回顧 ーカイコウー3
反射的に顔を向けた先は入り口方面。
敷地内に建っている工場に阻まれて様子は分からない、と思いきや、何かがゆっくりと追り上がってきた。
ヘドロだ。そして工場の屋根の向こうから一瞬だけこちらを見た赤い瞳。
カフカ? 大きすぎない?
工場の高さはどれくらいだろう。十メートルは越えている筈。そこから顔がひょこっと出ているってことは十五から二十メートルくらい。
「最悪ね。タイミングもサイズも場所も」
苦虫を噛み潰したような顔で麗さんが言った。
この工場地帯は町中にあるため入り口を抜けるとすぐ一般道に繋がっており、当然ながらそこには一般住居もあれば車だって行き交っている。支部の人がそこまで封鎖して避難を完了していてくれればいいけどあんまり期待できないし。
視界の隅で中型カフカが動いた。狙いは恵さん。それに合わせて樹里亜ちゃんが刀を振ったけど、硬化と突進の勢いに負けて根本からぽっきりと折れた。でも気を逸らすことは出来たらしく、カフカの前足(硬化済み)による連撃を恵さんは後退しながら余裕をもって避けていく。
「恵が狙いね」と麗さんは苦い表情のまま呟いてから私と莉乃をチラリとみた。その視線で、もし狙われていたのが私達だったら恵さんを連れて大型のところに行ったのだろうと察しが付く。
実力的に麗さんは確定。次点で言えば樹里亜ちゃんだろうけど新人ばかりを残していくわけにはいかないし、初陣の私や莉乃を大型のところに連れていくのも抵抗がある、ってな感じかな。まさか大型相手に一人で立ち向かうわけにはいかないし。
となれば私のやれることなんて限られている。とりあえずカフカの狙いを恵ちゃんから逸らせばいいのだ。
刀を形成してから地面を蹴る。
まず背後に回って、無防備な背中を見据える。
えーと、四足歩行で中型以上のカフカの核を破壊する時は横から狙うのが鉄則。でも大抵反撃を食らうから、まずは複数人で挟み撃ちにして、前方は防御、回避を中心に、後方は反撃に気を付けつつダメージを与える。カフカの標的が変わっても慌てずに前後で攻守交代して確実に体力を減らしていく。
いつだか莉乃に誘われて出席した勉強会で聞いたことを思い出しながら再び地面を蹴る。
その私の動きに気付いていたのかそれとも今気付いたのか、カフカのお尻の辺りが僅かに溶けて崩れたかと思うとそこから複数の棘が飛び出してきた。
でも遅い。前進しながら小刻みに地面を蹴って棘を最小限の動きで回避。刀は使うまでもなかった。
とりあえず後ろ足ちょん切っとこう。
回避完了と同時に横目で狙いを定めて前進、カフカの左後ろ足に向けて刀を横に振る。
『攻勢に転じても決して油断してはいけません』という講師の先生の言葉が蘇る。あの人、隊員って言ってた筈だけど、入隊時に見た扇野支部のホームページに写真なかったんだよね。
『何故ならーーこれは徒花にもいえることですが、身体から流れ出るヘドロはそのまま武器に、攻撃の手段になるためです。しかも、この場合は腐化の手順を省略出来るためかなり素早い反撃が可能となります』
両手で握った刀がカフカの左後ろ足を抵抗なく通過すると、プチ、と弾けるように切り口からヘドロが跳ねる。
そんなスローモーションな視界の隅で、講師の先生が講義を続けている。
『皆さんご存知でしょうが、徒花とカフカでは腐化、硬化、再生の速度は比べ物になりません。徒花の場合、腐化速度は一秒、硬化や再生はーーこれは形成するものにもよりますが、硬化は二秒、再生は三秒を切ればかなり速い方だとされています。しかし、カフカはその全てを一秒未満に行うことが可能だとされています。この事実だけでも、傷を負ったカフカの反撃が如何に速く、危険なものか理解出来るでしょう』
スローモーションの世界。刀も振り切ってないうちから私の目は傷口を追っていた。
カフカの足が身体から離れると同時にヘドロが溢れ出た。重量によって地面に落ちていく足とヘドロ。一瞬、後者がそれに逆らうような不自然な動きをしたことを察知し、慌てて横に跳ぶ。傷口から突出した巨大な棘がたった今まで私がいた場所を貫いていた。
あっぶなー、攻撃大振り過ぎたかな。と思っているうちに巨大な棘が腐化して、そこから複数の小さな棘が射出された。
ちょ。
後退しながら刀で捌く。二十センチくらいの棘の一発一発が、訓練校の模擬戦で受けたどんな攻撃よりも重たかった。
訓練校でどんなに良い成績を修めた訓練生でも初任務で命を落とすことは決して珍しくない。訓練生の頃、殆ど毎日、まるで脅しのように言われた言葉。
いや、そりゃあ死ぬよ。
戦いのレベルが違う。
今の攻防だけでカフカは標的を私に切り替えたらしい。それが狙いだったんだけど、思わず『うげ』と顔をしかめてしまった。
カフカの後方で恵さんと樹里亜ちゃんが短い会話を交わしていた。二人はすぐに動きだして、恵さんは麗さんの元へ、樹里亜ちゃんはカフカの背後に位置取った。
莉乃はーーーー、と横目で周囲を確認しようとする前にカフカが動き出した。
左手に小さな盾を形成。本当はあんまり好きじゃないけどしょうがない。
防御、回避優先。でもさっきの棘攻撃からして、あの前足の直撃をくらったらきっと防御ごと殺される。盾は牽制とか不意討ちの軽い攻撃くらいにしか使えなさそうだ。
まぁ問題はないかな。
飛び掛かってきたカフカの巨体を後方に跳ぶことで回避する。カフカが両前足をついた地面はアスファルトが抉れて大きな穴が開いた。
腐化、硬化速度は確かにちょっと驚いたけど、本体のスピードはそこまで速くない。たまに攻撃を誘いつつも一定の距離を保てば、少なくともあの前足をくらうことはない。多分。
カフカの攻撃は距離を詰めて前足を振るという単調なものだった。それは知能の低さ故なのか、腐化、硬化による攻撃は背後の樹里亜ちゃんに使うだけで精一杯なのか。まぁどちらにせよ、少し繰り返しただけですっかり慣れてしまった。
反撃しちゃダメかな。出来るくらいの余裕はあるんだけど。
チラリとカフカ越しに樹里亜ちゃんを見てみる。ヘドロによる牽制で攻めあぐねている様子。うーん、私ならかいくぐれそうなんだけど樹里亜ちゃんは無理っぽい。
反撃したら怒られるかな。読んでないけど多分マニュアル外の行動だよね。
でも、もしそれでカフカを倒せたら、私は樹里亜ちゃんより強いってことなんだから文句を言われる筋合いはないんじゃ?
回避のために絶えず動かしていた足を止めて前を見据える。
カフカが左前足を大きく振り上げたのを見て前傾姿勢になる。頭の中で前足をかいくぐって懐に飛び込み核を破壊するまでをイメージした、けど。左方向から突っ込んできた黒い影によって一瞬にしてイメージを崩された。
集中することによってスローに見える光景の中でもなお速く動いていた影は莉乃だった。両手で構えた大振りの刀。そしてカフカの横から攻めるという行動。それらは全て、一撃で核を破壊するという狙いを明確に表していた。
核への攻撃に本能的に反応したカフカは身体の向きを莉乃の方へ変えながら振り上げていた前足を薙ぐ。
その行動の結果、私の正面に無防備な横っ腹が晒された。そして私はいつでも飛び出せる体勢にある。
莉乃大丈夫かな。という考えが頭によぎったけどこのチャンスを逃すわけにはいかない。
地面を蹴る。カフカの身体が腐化する様子はない。莉乃の奇襲に完全に気を取られているのだろう。
ようやくその兆候を見せたのは私が刀を振る瞬間だった。
残念。一瞬遅かったね。
刀を振り、その勢いのままカフカの懐から飛び出した。
振り切った刀から腕に伝わった確かな手応え。仕留めたという感覚はあったけど確信するほどの自信はまだなかったから、くるっと振り返ってカフカの様子を確認した。莉乃のことも心配だったしね。
カフカは弱々しい鳴き声をあげながら崩れていった。その近くには莉乃が立っていて、カフカの身体が崩れ落ちると樹里亜ちゃんの姿も見えた。
二人とも無事っぽい。よかったよかった。
「流華、大丈夫?」
盾を腐化して、刀を再形成していると、莉乃が私の前に立って小首を傾げた。
「大丈夫だよ。莉乃も大丈夫だった? 最後の一撃、結構ヤバそうなタイミングだったと思ったけど」
「うん。ギリギリセーフだった」
「そかそか。ならよかった」
そんな会話の後に樹里亜ちゃんを見ると、なんだか固い表情をしていた。視線の先にはすっかり溶けて蒸発したカフカが地面に残した染みがある。
莉乃と一緒に近付いても顔を上げない。どうしたんだろう、と思いながら「樹里亜ちゃん?」と声をかけると驚いたようにバッと顔を上げた。
「どしたの?」
まさかベテランの樹里亜ちゃんがカフカを殺すことに抵抗を感じているわけはないだろうし。あ、もしかして怒ってるのかな? でも表情的にそんな感じじゃあないな。
「あ、あぁ、えっと、ごめん、なんでもない」
「そっか。ところで麗さんと恵さんはあっちに行ったんでしょ?」
相変わらず屋根からひょこっと出ている大型の頭を指差して言う。全然動いてないっぽいけど麗さん達が足止めしてるのかな。
「私達も行くの?」
「うん。二人ともまだ戦える?」
「全然いける」
「うん」
「じゃあ行こう」
三人揃って地面を蹴り、工場の屋根を跳んで移動する。錆びたトタン屋根。途中で一ヶ所だけ穴を開けちゃったけど緊急事態だし許してもらえるよね。
樹里亜ちゃんは移動しながら隊長に電話を掛けて、中型の討伐が終わったこと、大型との戦闘に向かうことだけを伝えた。電話を終えた後、振り返って私達を見る。
「見ての通り相手はかなりの大型だよ。他の増援も向かってるらしいから、無茶はせずに命を大事にね。一般人の避難が終わってないようだったら二人はそっちに回って」
「はーい」
大型カフカ。気を付けるべきはその図体に比例したとんでもない破壊力。二足歩行タイプの場合はそこにリーチの長さも加えられる。
カフカの赤い瞳がこちらを見た。ゆらりと身体を揺らしながら私達の方に身体を向け、長い左腕を振りかぶる。
長いと言ってもせいぜい十五メートル。急接近しているとはいえ私達との距離はまだ五十メートルはある。カウンターを狙うつもりだろうか。でもその一瞬を麗さんが見逃すかな。もしかして二人とももうやられちゃったとか? それならこっちに集中してる理由も分かるけどーーーー
「二人とも来るよ!」
うぇ?
先程までの緩慢な動きが嘘のような速度でカフカの腕が斜めに振り下ろされる。
でもここまでは届かなーーーー
一瞬、錯覚かと思った。
しかし、突如遮られた太陽光によってそれが現実のものであると理解してーーーーいや、理解するよりも早く動いていたかもしれない。
屋根を蹴って横に跳ぶ。着地点も体勢も気にする余裕はなかった。
轟音を背に両手からアスファルトに着地。クルリと回って振り返ると、振り下ろされた掌により大破した工場から飛来したトタン屋根の破片が顔に突き刺さった。
痛、くはないけど。
手で引っこ抜いて再生を開始する。今の顔は見たくないし見られたくないなぁ。
砂煙の中で掌が動く。地面を這うような横薙ぎ。普通の人がやってもせいぜい足払いだけど、このカフカの一段と巨大な掌は腕部分でさえ人の身長を軽く越える太さがある。くらえば木っ端微塵だ。
上へ跳んで回避。カフカの腕は道路を挟んで隣接する工場を薙ぎ倒し、瓦礫を撒き散らした。
跳び上がったままカフカ本体の様子をチラリと見てみる。距離は三十メートルくらい。よく届くなぁ。身体のどこを腐化してこっちに回したんだろう。
宙に足場を形成して辺りを見下ろす。
二人は大丈夫なのかな。砂煙でなんにも見えないけど。
カフカの腕は動く様子がない。一撃目から二撃目の時も微妙な間が空いていたけど、もしかしたら本体の方で麗さん達が気を逸らしているのかもしれない。もしそうだったら後でお礼言わなくちゃ。体勢整える前に二撃目が来てたら多分避けられなかったし。
腕が動き出す前に本体へと駆け出す。砂煙を抜けて視界が開けたところで辺りを見回すと少し離れた場所で莉乃と樹里亜ちゃんがほぼ同時に姿を見せた。三人ともお互いの無事に気付いたけど合流することなく距離を保ったまま本体へ向かう。
前方に見えるのはカフカの後頭部。何かを見下ろしているっぽい顔と同方向へ向けられた左手といい、やっぱり別のなにかに気を取られているらしい。
カフカの顔がこちらを見る。後ろから手が追ってくるかと思って振り返る際、ブレた視界の中でカフカの腕がドロリと崩れて形を失った。
そこから飛び出したのは、先端だけでなく薔薇の茎みたいに棘がびっしりついた三本の蔓。徒花には出来ない、腐化と硬化の合わせ技だ。
三本の蔓は別方向へ飛び出して三人の敵へ的確に襲い掛かった。
小さな動きで避けてからカウンター気味に刀を振って関節のヘドロ部分を切断したけど一瞬のうちに硬化が完了し鋭利な先端が再形成される。
弱いけど厄介。厄介だけど弱い。つまり、どう考えても足止め目的の攻撃。その間に向こうの敵を倒しちゃおうって魂胆かな。本当に頭いいんだなぁ、二足歩行タイプって。
まぁ狙いがそれなら馬鹿正直に付き合ってあげる理由はない。鞭のようにしなりながら向かってきた蔓を避けると標的を無くした攻撃はその勢いのままアスファルトにヒビを入れた。足止めでも直撃したら死んじゃいそうだねぇ、と思いながら、刀を振り下ろして関節部分を切断。今度は様子を見ることなくすぐ踵を返して駆け出した。
背後からしつこく襲い掛かってくる蔓に対処しながら、あと一歩で懐に入れる距離まで近付く。そこまで来ると今まで工場の影に隠れて見えなかった麗さんと恵さんの姿も見えた。二人が揃っているということは一般人の避難は完了したらしい。まぁ近くに落ちてるたくさんの死体を見る限り完璧にとはいかなかったみたいだけど。
カフカの頭に狙いを定め、工場の耐久度なんて知ったこっちゃないという強さで屋根を蹴る。予想通りというかなんというか屋根が抜け落ちる音が背後から聞こえた。
接近と同時にカフカの頭が溶けて、私の進行を遮るように大きく広がった。当たる瞬間に硬化して衝突させるつもりなのか、あるいはヘドロのまま包み込んで硬化して閉じ込める気なのか。まぁどっちもゴメンだ。
足場を形成して更に高く跳び上がる。
攻撃するつもりだった頭を溶かされたことに対して面倒だと感じたのは一瞬だけだった。
さらけ出された首の断面は無防備そのもの。普段は存在しない弱点まで気にかける知能はないのか単純に間抜けな性格なのかは置いといて、討伐のチャンスだ。なっがいーー三、四メートルの武器をあそこに突き刺せば核まで届く。
ただし問題もある。
そんな長い武器を形成するほどの隙がない。一度離れてからなら楽勝だけど、徒花もカフカも攻撃よりも再生を優先するためそんな隙を与えればすぐに頭を再生するであろうと予測出来る。私がさっきと同じ行動をしたところで相手まで同じ行動を取るとも限らないし。
この作戦は今この瞬間にしか出来ない。
そのために必要なのは一にも二にも相手の隙。最低ラインとして両腕は塞いでいて欲しいし、出来れば私が大きな刀を形成しても気づかない程度に気を逸らしておいて欲しいし、欲を言えばカフカが頭の再生を後回しにするくらい派手に動いてほしい。とはいえ既に一役買っている麗さんと恵さんにそれは不可能。むしろあの二人が分散したりどちらか倒れたりしたらカフカに余裕が出来てしまう。
可能なのは莉乃か樹里亜ちゃん。でも今は二人の様子を確認するために振り返る隙もない。
私に出来ることは行くか行かないかの決断のみ。それを躊躇うことすら許されない。
だから私は即決し、刀にヘドロを足して再形成を始めた。
何故なら確信していたから。いや、確信っていうのもちょっと違うかもしれない。
普通というか。日常というか。当然というか。そういう感じだ。
初めて会った日から、莉乃は、どんな時だって私に付いてきたから。




