回顧 ーカイコウー2
訓練校で無双した徒花が最初の実戦で命を落とすというのは珍しいことじゃない。単純に慢心や力み、緊張、模擬戦では感じ得ない恐怖による不調といった、徒花自身に原因があったと思われる死亡例も当然ある。
だけどそれ以上に。
初実戦の時に限って、トラブルというものは起きるものなのだ。本当に不思議なことだけど。
小型カフカが出現。現場である工業地帯へ向かう車の中で、樹里亜ちゃんに「三人で敵を囲むけど二人は攻撃の回避に専念して。敵が私を狙って大きな隙があれば攻撃に転じてもいいけど、無理はしないでね。二人なら普通に動ければ大丈夫だから」と言われたけど、いざ到着するとそこにはカフカが三体もいた。
小型が二体。中型が一体。ヘドロに捕まってたり怪我をして動けずにいる人、既に死んでいるっぽい人達はみんな作業服を着ていた。血で汚れているのか、それとも元々付いていた汚れなのか。工場内から漂ってくる油の匂いは吐き気を催す程だ。あの服からも同様の臭いが発せられているとすれば、それを平気で口に入れるカフカのことを少し尊敬ーーーーはないな。普通にドン引きだ。
小型の一体が二足歩行、残り二体が四足歩行タイプで、中型は死体を、小型は息のある作業員をバリボリ食べている。周囲に響き渡る悲鳴とか、立ち込める血と油の臭いとか、飛び散った血と臓物とか、今考えてみるとなかなかにショッキングな映像だったけど、私も莉乃もそこまでショックを受けることもなかったと思う。そういう写真なら勉強会とかで何度か見ていたからかもしれない。
「これはちょっと駄目だね」と工場の影に隠れたまま樹里亜ちゃんが言った。カフカに見つかるのは平気だけど一般人に見つかると助けざるを得なくなる。
「応援を呼ぶ」
ポケットからスマホを取り出して支部に連絡を入れる。通話のBGMは大声量の悲鳴。
「はい……。はい」と頷いている樹里亜ちゃんから顔を逸らして、もう一度建物の陰から顔を出す。
三体は変わらず人間に夢中だ。しばらくそれを観察してから顔を引っ込めると電話を終えた樹里亜ちゃんが私と莉乃を見た。
「応援を送ってくれるらしい。それが着くまでは見張り。もし三体が分散するようならここに一人残して、もう二人は孤立したカフカを狙おう。その場合は私と流華が戦闘、莉乃が見張りね」
莉乃はコクリと頷いてから「三体とも別行動を始めたら?」と聞いた。
「私達も分かれるよ。でもカフカの居場所を見失わないよう見張るだけ。あとは応援を待つ」
樹里亜ちゃんはそこまで言ってから「まぁ」と表情を軽く緩めた。
「二人も知ってると思うけど、カフカは同族間の仲間意識が強いからね。人気のない山奥とかならまだしも、人間だらけのこんな場所で単独行動をすることはないと思うよ」
「でもさー、樹里亜ちゃん。応援待ってたらあの人達みんな死んじゃうんじゃない?」こうしている間にも断末魔が次々に上がっている。さっき見たときは二十人くらい生きてたけど、あと何人残ってるのかな。「カフカって私達のことは襲ってこないんでしょ? なら仲間のフリして近付いて、三体まとめて倒しちゃうのは駄目なの? 一人一体でイケるし」
「うん。相手が小型だけならそれでもよかったかもしれないけど中型がいるからね。失敗した時のことを考えるとリスクが高い。それに、二人とも身体能力は高くても実戦は初めてでしょ? 間違いなく核を砕ける自信はある?」
ある、とは言いにくい聞き方だった。ずるい。
それから二十分ほどで増援が到着した。
現在ならこんなに時間がかかるなんて有り得ないけど(ド田舎は別として)、訓練校設立の時に抗議がきたように当時は徒花の数に反して支部数が少なく、その分管轄区域が広かった。扇野支部という名前も扇野に設立されたという理由で付けられただけで扇野市外も管轄区域に入っていたのだ。そして今回のように現場が管轄区域の端の方だとどうしても到着が遅れてしまい、更に増援が必要となると生存者は諦めるしかなかった。いや、徒花が死ぬ気でやればもしかしたら数人は助かるかもしれないけどね。でも安全第一。どんな仕事だってまずはそれでしょ。
増援にきたのは霧崎班。霧崎麗さん、猪坂恵さん、紺野彩夏さんの三人組。
麗さんは支部設立メンバーの一人。カフカと徒花が現れた日に開花して、それからずっとカフカ討伐を行っていた人だから、徒花という大きなくくりで見ても最古参の一人といえる。そんな立場から新人教育を任されているみたいで、同班の恵さんと彩夏さんは私と莉乃の一つ前の新人さんである。
麗さんとは訓練校の頃に一度会っているけど、他の二人とは初対面だ。
挨拶した方がいいのかな、と考えているうちに班長二人は現状の確認を始めて、現場を覗いた恵さんは口を手で押さえて気分悪そうにしていた。それをチラリと見た麗さんが意地悪な笑みを浮かべたように見えたけど気にしないことにする。
恵さんが見た現場に生きた人間はいない。三体のカフカが死体を貪っているだけだ。まぁ確かに気分のいい光景ではないけど、聴覚的な刺激が少ないぶん数分前よりはマシだ。あの時いたら吐いてたんじゃないかな。
憎むべき敵がいなくなったことにより、カフカはすっかり落ち着いている。さっきまでと比べると人間を食べる仕草もどこかお上品だ。
「えーと、そこの……胸が大きい方の小学生」
呼ばれたので顔を向けると麗さんと目があった。
「はいっ」
「あなたと、そっちの胸が小さ……背が高い方の子に小型カフカを一体ずつ討伐してもらうわ。間違いなく一撃で仕留めなさい」
「はいっ」
「はい」
麗さんは頷いてから隣に目を向ける。
「中型はあなたよ、恵」
「は、はい」
「あら今日は元気そうね」
うぐ、と悔しげに下唇を噛む恵さんを麗さんはニヤニヤ顔で見ている。
「じゃあ行きますか」と樹里亜ちゃんが立ち上がると他の人達も続々続いた。吸花の彩夏さんは物陰でお留守番だ。
近付いていくとカフカは血だらけの顔を上げてどこか嬉しそうに鳴いた。本当に襲ってこないんだ。ていうか仲間だと、同種だと思ってるんだ。ていうかていうか。
仲間だったら、同種だったら。
絶対に敵じゃないって思えるんだ。
麗さんが指した小型カフカに近付く。四足歩行タイプだから分かりにくいけど体長は二メートル強くらいだった。当時の私の目線ちょうどの場所に顔があったことをよく覚えている。
じっと私を見る赤い瞳は宝石みたいに綺麗なのに、その身体からはボトボトとヘドロが垂れている。その綺麗な瞳に自分自身の身体はどう映っているのだろう。私達と同じように汚く見えるのか、それとも綺麗に見えるのか。もし後者だというのなら、本当に汚いのはカフカの身体なのか、あるいは私達の瞳か。
今から殺すんだよね、このカフカ。
心の中で再確認して。
笑顔を作った。
麗さんの声が響く。
刀を形成。
再度聞こえた声に合わせて、カフカの胸へ真っ直ぐ突き出した。
切っ先に感じた確かな手応えと同時に声が聞こえた。息を吐いたみたいな、魂が抜けたみたいな細い鳴き声だった。
だけどその声は咆哮に掻き消された。
声は二種類。中型と小型。横を見ると莉乃の刀は硬化により阻まれ、恵さんは攻撃を避けられていた。
敵意を認識した赤い瞳が獰猛に光る。
なんで二人してミスってんのさ。
ベテラン戦闘員の二人は刀を形成すると近くのカフカに向けて振る。目に見えるレベルで麗さんの方が早く、そしてその差がそのまま結果に表れた。
麗さんの刀は小型カフカの核を身体ごと両断し、一方の中型カフカは樹里亜ちゃんの攻撃が届く前に後方に跳んでいた。
「す、すみません」と恵さんが刀を構えながら言う。
「実戦を経験する良い機会とでも考えればいいわ」麗さんは刀を一度振り、刀身に付着したヘドロを落とした。「樹里亜、ここは新人の三人に任せてみない?」
「えぇ!? 小型ならまだしも……」
「大丈夫よ。そっちの新人さん二人の力は見たことあるし、恵だってそこまで柔な鍛え方してないわ」
「でも、もし別のカフカが現れたら?」
「ここをさっさと片付けてから向かえばいいじゃない。私か樹里亜の一人を先に向かわせておけば足止めには十分でしょうし。まぁ唯一考えられる最悪は、まだ中型に体力が残っている今この瞬間に大型カフカが現れるっていうパターンくらいだけど、流石にそれはーーーー」
なんて言っていた、まさにその瞬間だった。
悲鳴が聞こえた。




