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回顧 ーカイコウー1



 

 あさやけ園は、カフカもいなかった十年以上前では珍しく乳児院と児童養護施設が併設された福祉施設だった。敷地内に家屋風の建物は四棟あり、乳児院が一棟、児童養護施設が三棟あった。幼児、児童数はそれぞれの家屋に六人程、四棟全て合わせると大体二十五人前後となる。

 住居を分けている理由は出来る限り実際の家庭に近い場所を作るためとかだった気がする。おかげで各棟に当たり外れがあったけど。主に職員さんの面で。

 私がそこに入所したのは生後半年の頃だった、らしい。当然、その時の記憶なんかないし、乳児院で暮らしていた半年のことだって覚えていない。

 うっすら記憶が残っているのは児童養護施設に移って三年が経った四歳くらいの頃。

 当時私が住んでいた西棟には他に五人の児童がいて、その全員が私よりも歳上だった。一番歳の近い龍一郎りゅういちろうでも五つ離れていたし、他の棟に歳が近い子はいても同い年の子はいなくて、なんとなくそれが寂しかった。

 そんな曖昧な記憶。

 他にも、幼稚園でなんとかごっこをしたとか、駒を回したとか、朧気には覚えているけど他人に説明できるくらい鮮明な記憶となると、やっぱり莉乃と初めて会った時のことになる。

 五歳の頃だった。

 新しい子が来ること、その子が私と同い年だということ、女の子だっていうことは事前に聞いていて、その日は来訪の時を今か今かと待っていた。あぁ、幼稚園にも行かずにずっと家にいたことを考えると休日だったのかも。

 お昼ご飯を食べ終えた頃にその子はやって来た。可愛い子だったけど無口で無表情で無気力だった。まぁここに来たばかりの子は大体そんな傾向があるから誰も気にしていなかった。私以外は。

 なんせ同い年。幼稚園にも友達はたくさんいたけど、その子達は歳が同じってだけで私とはどこか違う存在のように感じていた。

 でもその子、莉乃は、本当の意味で同じだった。歳も、境遇も。

 施設の案内を買って出た私は、西棟、北棟、東棟、南棟を順に回りながら莉乃にたくさん話し掛けた。どこから来たのかとか、好きな食べ物とかテレビを訊いたりした。莉乃は『遠くから来た』とか『梨』とか『テレビ見ない』とか一応答えてはくれたけど一様に反応は薄くて、仲良くなれた気は全然しなかった。でも、何がきっかけになったのか、その時から莉乃は私になついてくれて、それから四年間は殆ど一緒にいた。莉乃の心配性、お節介はこの頃から健在で、昔の記憶を探ると必ずといっていいほど困り顔や心配そうな顔が浮かんだ。でも、何をそんなに困ったり心配したりしていたんだっけ。まぁ色々と子供特有の無茶はしていたし、そのせいかもしれない。

 記憶の中に新しい人物が現れたのは小学三年生の頃。

 戸舞健作、綾乃と名乗る夫婦が私を訪ねてきたのだ。

 もちろん見覚えはなかったけど、園長先生立ち会いのもと話をすると、どうも私を養子にもらいたいということらしかった。遠縁すらない赤の他人の夫婦。当然抵抗はあったけど、二人の柔らかい雰囲気と園長先生の猛プッシュもあって、少しずつ会うようになり、お出掛けするようになり、家に行くようになり、そのまた次には泊まるようになり、私と戸舞夫婦の距離は急速に縮んでいった。

 そんな私に対して、妬みからか、それとも寂しさの裏返しだったのか、ちょっかいを掛けてくる子も施設にはいたけど、唯一の気掛かりだった莉乃が養子に賛成してくれていたから他の子のことなんて全然気にならなかった。

 戸舞夫婦と出会って半年、小学三年生の二月に養子縁組を承諾した。進級する頃には私の苗字は戸舞になっていて、戸舞夫婦の呼び方もおじさんおばさんからお父さんとお母さんに変わった。

 新しい家で過ごし始めた日の夜、親子三人川の字で並んだベッドの上で、二人にこう訊いた。

「どうして私を選んだの?」

 ずっと気になっていたことだった。なんとなく怖くて聞けなかっただけで。

 でも結局答えは聞けなかった。お父さんは何も言わず、お母さんはそっと私を抱き締めて「また、いつか教えてあげるね」と言っただけ。

 今もまだ、その答えは知らない。昔ほど気にもならなくなった。単純に、あの施設で一番可愛かった子を選んだだけかもしれないし。

 記憶の景色が変わる。子供の声があちこちから聞こえる、大きいけど質素な家から、静かで、聞こえる声と言ったらお母さんのものくらいの、大きくてお洒落な家。

 寂しさは感じなかったし、施設を恋しく思うこともなかった。ていうか帰りたいとすら思わなかったし、それは今も継続している。

 そして、新しい生活に少しずつ慣れてきた六月上旬。

 私の記憶の中の景色は変わらなくても、世界が大きく変わった。

 カフカの出現。 

 その日のことはよく覚えている。

 休日だった。私は朝から両親と買い物へ出掛けていて、その時は服屋さんにいた。

 後日知ったことだけどこの日に出現したカフカの数は国内だけで千を越えたらしい。つまり単純計算で一県につき二十体以上、更に細かく分けると、全国の市町村が大体二千くらいだから二分の一の確率でカフカが出現していたことになる。もちろんそんな綺麗に割り振られるわけもなくて、運悪く複数のカフカが殆ど同じような場所に出現した地域もあって、扇野市もその内の一つだった。

『当店にお越しの全てのお客様にご連絡いたします。ただいま警察から連絡があり、扇野駅に危険生物が出現したとのことです。詳細は不明ですが、えー……全国で同様の……現象? が発生している模様です。お忙しい中手間をお掛けします、どうか、再度警察から連絡があるまで外に出ないようお願い致します』

 私も両親も、私の前にしゃがんで服を当ててくれている店員さんも、天井を見上げたまま首を傾げた。

「あの、今の放送は……」とお母さんが店員さんに問う。多分お母さんも分かっていたとは思うけど、今まで私達と一緒にいた店員さんがそんなことを知るはずもなく、我に返ったように目を見開くと勢いよく立ち上がり「く、詳しい話を聞いてきますので少々お待ち下さい」と行ってレジの方に歩いていった。周りを見ると、他のお客さんと店員さんも同じようなやりとりをしていることが分かった。

 何かあったのかな、とお父さんお母さんと話していると、空気を震わせるほどの轟音が外から聞こえた。 

 なんだろう、と自然と足を浮かした瞬間、轟音をかき消すほどの咆哮が耳をつんざいた。

 足どころか全身が硬直した。それでも左手は安心を求めてお母さんの手を探し、ギュッと握った。お母さんも握り返してくれた。もう片方の手をお父さんが握ってくれたことで恐怖心は大分治まったけど身体の震えは止まらず、心配した両親が「お店の奥に行こう」と言ってくれた。

 手を引かれてゆっくり歩きながら入り口の方を振り返った。入り口に面したガラス戸の前では、他のお客さんが咆哮にも怯まず外の様子を窺っている。なんとなく気になった私は、両親が店員さんと話をしている間もずっとその人達を見ていた。

 話が終わり、奥の休憩室に入れてくれることになった。「大丈夫だからね」とさっきとは別の店員さんは笑顔で言いながら『関係者以外立ち入り禁止』の扉を開いてくれた。

 細い通路を数歩進み、背後で店員さんがドアを閉めた瞬間。

 さっきとは比べ物にならないほどの轟音が響いた。地面、建物の揺れからしてかなり近い、というよりこの建物が攻撃を受けたと見て間違いない。けど。

 こんな建物を壊せる動物ってなに? 象? いや、象はあんな鳴き声じゃない。

 店員さんがドアを開くと、店内の様子は一変していた。

 通りに面したガラス戸は砕け、そこから吹き込む風が砂埃を舞い上げている。そこにうっすらと浮かぶシルエットは、一見人のようで、どう考えても人間のものではなかった。極端に小さな頭と胴体。極端に長い手足。土埃の中で鈍い赤色の光を放つ二つの眼。

 宇宙人?

 視覚情報の処理をなんとか終えると、続いて聴覚が機能し始めた。

 店内のあちらこちらから聞こえる悲鳴や呻き声。宇宙人っぽい影が動く度、 声が一つずつ消えていく。

 その意味も理解出来ないまま、私達は身動き一つ取れずにいた。

 動けるようになったのはドアを開けたまま固まっていた店員さんが殺された瞬間だった。驚愕を恐怖心が塗り潰したおかげだと思う。

 三人で店の奥まで走った。店員さんの身体を貫いた黒い槍みたいなのが後ろから伸びてくるんじゃないかという恐怖が痛いくらいに背中を押した。

 幸運なことに、私達はカフカの視界に入っていなかったらしい。その後はバックヤードの隅っこで身を縮めて過ごし、翌日の朝にやってきた救助隊によって保護された。殆ど丸一日睡眠も食事も取らなかったのに眠気も空腹も感じなかったのは心が恐怖に支配されていたからだったのだろう。病院へ向かう救助隊の車の中で、助かったという現実を理解すると同時に涙が溢れて、お母さんに抱き締められたまま眠って翌日まで起きなかった。

 翌日、病院で目を覚ますと、横の丸椅子に莉乃が座っていた。

 夢だったのかな。

 願うようにそう考えたけど、鮮明に焼き付いた記憶、恐怖は確かに現実で感じたものだった。

「流華、大丈夫?」

 心配そうに莉乃が言った。

「う、うん。ちょっとまだ怖かったのが残ってるけど。莉乃は大丈夫だったの? お父さんとお母さんは?」

「おじさんとおばさんはご飯食べに行ってる。呼んでこようか?」

「ううん、大丈夫」本当はそばにいてほしかったけど。「莉乃は? 怪我とかしてない?」

「うん。あさやけ園にあの生き物はこなかったから」

「そっか。よかった」

「流華も怪我してなくてよかった」

 莉乃と話しているうちに両親が戻ってきて、それからはカフカや徒花(この時点じゃあ名称はついていなかったけど)について聞いた。

 ヘドロの化物、同じ力を持った人間。現実離れした内容だったけど、ニュースでは徒花とカフカの戦い、徒花へのインタビューなんかが流れていて現実と認めざるを得ない状況だった。

 それから間もなく、危険生物は『フカ』、フカと同じ力を持った人は『徒花』という名称で呼ばれるようになった。そしてそれから一月もしないうちに『フカ』が『カフカ』へと変わり、徒花がカフカを殺すことが当然のようになると、一般人の恐怖心はカフカよりも徒花に向けられた。

 今にして見れば、あの頃の周囲の変化は面白いものだった。カフカが出た頃は徒花に感謝していたのに、少し時間が経っただけでそれを当然のように享受し、彼女達の力に恐怖し(これは神眼教のデモとかの影響も大きかったのかもしれない)、果てに管理しようとした。当然ながらそれに反発する人々もいて、それが後に徒花人権の会とかになるわけだけどそこはよく知らない。

 それまで自警団的、あくまで個人的な意思で活躍していた徒花が国軍の傘下に自ら入ったのは、一般人に行き過ぎた管理をされないための自己防衛だったのではないかという噂がある。

 そうすることで国、国民に対して翻意のないことを表明し、最低限、徒花を徒花で管理すまもることの出来る組織を作ることに成功した。

 その組織ーー対カフカ部隊も始めこそ不評だったけど、その活躍をニュースなどで挙げられるようになると、一般人達は再び掌を返したように称賛を始めた。

 まぁ、この時は私もそんな一般人の一人だったわけだけど。

 徒花に感謝して、怖がって、一般人わたしたちの明確な味方になったんだと喜んだ。それまで敵だったわけでもないし、私達を助けてくれていたのに。

 だからきっと、味方になったことが嬉しかったわけじゃない。

 飼い犬に手を噛まれる心配がなくなったとか、そんな感じの気持ちだったんだと思う。

 悪印象がなくなると、対カフカ部隊に入隊を希望する徒花がぐんと増えた。それをきっかけに、徒花への新たな差別ーー徒花は対カフカ部隊に入るべきであるという正論面した新たな常識が蔓延り始めることになるんだけど、この時点では誰もーー差別する側も、される側さえも、そのことには気付いていなかった。

 訓練校の設立が決まったのは部隊が結成してから数ヵ月が経った年の瀬のことだった。会見では初老のおじさんが設立理由をあれこれ言っていたけど、コスト削減が一番の理由だったと思う。徒花は高給取りだから。

 現在部隊に所属している徒花も異動の対象となり、各支部により選抜された数十名がそのまま部隊に在籍し、それに洩れた隊員は訓練生に降格となる。

 隊員と訓練生の給与格差は激しい。この決定に対して徒花から反対の声がなかったわけではないけど、それは『一支部の人数に対して管轄が広すぎる』『降格する前に支部を増やすべき』というものが多数を占めていた。給与に関する抗議が殆どゼロに近かったのは、徒花という立場の弱さからか、あるいは高給よりも安全を望む人が多かったからか。

 当時の私はそんなことにあまり興味がなく、朝のニュースや友達との会話でそんな話が出ても『ふーん』としか思っていなかった。

 でも、傍観者の立場はなんの前触れもなく、唐突に変わった。

 開花。

 学校を休んだ莉乃にプリントを届けるため施設に行った時のことだった。その時のことは何故か殆ど記憶にない。莉乃の驚く顔が珍し過ぎたせいかも。その翌日に莉乃が開花したって聞いた時は私も同じくらい驚いたけど。

 莉乃を家に呼んでお父さんお母さんと四人で話し合いを行った。

 莉乃は開花した時から部隊に入ることを決めていて、私は、まぁ開花したなら入るべきなんじゃない? という感じ。お父さんは入隊に抵抗がないなら入った方がいいと言い、お母さんはそれを理解こそすれど賛成は出来ないといった様子だった。まぁそれでも数だけ見れば三対一。お父さんかお母さんを説得するかたちで、私と莉乃の入校は決まった。

 入校の際、戦花と違って吸花や双花には簡単な検査がある。それは吸収という役割を担うに当たって負の感情に対する得手不得手を測るというものだった。内容は、用紙に書かれた簡単な質問に答えたり、知らない人達と一対一、二対一、一対二など複数の状況で話したりといったよく分からないものだった。

 一週間後に出た結果によると私は全ての感情に耐性があるということだったけど、莉乃も同じようなものだったし、徒花に対しての知識も乏しかったから、それがすごいことだとは思っていなかった。莉乃が「すごい」って言ってもいつもの無表情だからすごさがまるで伝わってこなかったし。

 でもその数日後、莉乃と共に国軍の偉い人に呼び出された時は少しだけ実感が湧いた。初対面の大将は私の測定結果を見ながら絶賛し、期待の言葉をたくさん掛けてくれた。

「君なら部隊に空席が出来次第上へ上がれるだろう。そこで困ったこと等があれば遠慮なく連絡してほしい。出来る限り力になろう」

 大将とはこの頃からの付き合いになる。といっても今みたいにあれこれお願いするようになったのは二年後くらいからだけど。

 私達が入校したのは訓練校設立が決定してから三ヶ月そこらが経っていた頃。訓練校の建設なんてまだまだこれからで、普段の訓練や週末にある勉強会などは部隊の施設を借りて行われていた。寮なんかも最初期は支部の空き部屋を借りることが出来たらしいけど私が入る頃には寮は満室、近くの賃貸物件も残室僅かといった具合だった。

 まぁ私は家から通ってたから関係なかったけど、施設を出て独り暮らしを始めるつもりだった莉乃はちょっと面倒があったらしい。

 支部の寮が満室だったから近場のアパートやマンションを探したけど、徒花とはいえ未成年、しかも小学生ということでどこも契約してくれず、仕方なく部隊の人に相談してなんとか寮に住めるようにしてもらったとか。

 このことを聞いたのはそれが全部終わってからで、私は「うちに来ればいいのに。お父さんもお母さんも莉乃なら大歓迎してくれると思うよ?」と言ったけど、莉乃は首を横に振った。

 訓練校では、平日は模擬戦、休日はそれに加えて勉強会が行われた。

 模擬戦は今でこそ毎朝毎晩やってるみたいだけど、当時なんか、場所は借り物、寮に住んでいない訓練生も多い、ということからシフト制になっていた。土日以外では確か週に二回くらいだったと思う。寮に住んでた莉乃はもうちょっと頻度が高かったみたいだけど。

 模擬戦の内容は単純で徒花同士の一対一タイマン。当然ながら核を狙うわけにはいかないから頭に致命打を与えた方が勝ちというルールだった。

 平日は一週間に二回、土日は必ず参加だったから、週に四回。一ヶ月で大体十六回戦ったことになる。

 もちろん全勝。楽勝だった。

 同期の新人も、実戦経験のある元隊員も等しく相手にならない。

 入隊から半月ほどで訓練校内のトップを取り、一ヶ月が経った頃、同じく無敗だった莉乃とともに部隊への昇格が決まった。

 当時は仁美ちゃんの活躍もあって全国的に徒花人気が高まっていた。私と莉乃のこともテレビで紹介されて、道を歩いているだけで声をかけられたり、応援の手紙が支部へ届いたりするようになった。

 今までと違って部隊では訓練がない代わりに任務が毎日のようにあり、そこでは三人一組での行動が基本となる。

 入隊後、私と莉乃が最初に組んだのは糸氏樹里亜ちゃん。ギャルっぽい名前だけど男っぽい性格で化粧っ気もない女子高生。私達と同じ双花だった。

 期待の新人二人を任されるくらいだから、きっとそれなりに実績、実力のある人だったんだと思う。

 ただ単に、私と莉乃がそれ以上だったっていうだけで。




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