愛情 ーナマモノー
支部で任務報告を終えた後はちはるちゃんがマンションまで送ってくれることになった。支部の車じゃなくてちはるちゃんの自家用車。今日の仕事はもう終わりでこのまま直帰らしい。
「そうだ。流華ちゃん達知ってる? 来週、扇野支部に籠田希恵ちゃんが来るんだけど」
ハンドルを握って前を見たままちはるちゃんが言った。
「へぇ」と美織が隣で呟いた。少し興味あり? ギャルっぽく見えて実は子供好きとかいうギャップを狙ってるのかな。
籠田希恵ちゃんは陣野原支部所属の国内最年少徒花。まさか転勤ってこともないだろうし、
「遊びに来るの?」
「うん。Adabanaで環ちゃんと仲良くなったみたいで、会いに来るんだって」
「へぇー」
三星環ちゃん。何度か会ってるんだけどあんまり話したことないんだよねー。麗さんがいた時はずっと背中にくっついてたし。麗さんがいなくなった寂しさのあまりSNSの世界にいっちゃったのかな。
「そういえば私、Adabanaって全然使ってないなぁ」
一般向けSNSなら使ってるけど。しかも公式アカウントとプライベート用の裏アカウントの二刀流。
「そうなの? 莉乃ちゃんや美織ちゃんは?」
「私はたまに。コメント届いたら返してやりとりするくらい」と美織。
「使ってない」と莉乃。
「へぇえ。でも二人はコメント届いたりしないの?」
「それって待ち受けに通知が来るものなの?」
美織に聞くと首肯が返ってきた。
「でも一度ログインしないと来ないよ」
「あー、じゃあそのせいだ」
「通知が来ないだけでコメントは溜まってると思うけど。マイページ自体は全徒花にあるし」
「えっ! それじゃあ私が無視したみたいじゃん!」
「実際無視してるし……」
「無視してないし! 気付かなかっただけ! ちょっとログインしてみよう……」
アプリを開きながら斜め前を見ると莉乃もスマホを取り出していた。
シンプルなログイン画面。
「ねぇねぇ美織、パスワードって部隊で使ってるやつでいいの?」
「うん。専用のにしたかったら後から変えることも出来るし」
隊員番号とパスワードを入力してログイン。マイページに移動すると、百六十九件のコメントが届いていた。
「うえー」
「たくさん来てた?」
「百六十九」
「うわ」美織は顔をしかめてから視線を前に向けた。「莉乃は?」
「百十三件」
「それでも三桁か。やっぱ有名な人達は違うね」
「美織、どうしよう。これ全部に返さなきゃ駄目?」
「コメント欄に『今更始めました。コメントくれてた人返事しなくてごめんなさい』とでも書いとけば?」
「それいただき」
美織が言ったことを殆どそのまま書いてから最近のコメントをいくつか読んでみた。話し合いをするから参加しませんか、とか、戸舞班が担当した任務について訊きたいことがある、とか書かれていた。話し合いに関してはもう終わっちゃってるし、一週間も前の任務のことなんていちいち覚えてない。ていうかどっちも面白くなさそう。
アプリを終了してスマホを鞄にしまう。莉乃はまだスマホをかまっていた。文字打つの遅いからね。
何気なく窓の向こうを眺めていると歩道を学生カップルが歩いていた。前に向き直って、運転席の肩部分に手を置く。
「ねぇねぇ、ちはるちゃんって結婚しないの?」
「いきなりどうして?」
「なんとなく」
来年で三十歳になるわけだし。
「予定はないかなぁ。相手もいないし、そういう気持ちにもあんまりならないし」
「少しはなるんだ」
「時々ね」
「ふぅん」
ちはるちゃんは今となっては数少ない対カフカ部隊扇野支部創設時のメンバーの一人。麗さんがいなくなっちゃったから、あと残っているのは私が知る限りじゃあ隊長とちはるちゃん、それから事務の幸恵さんくらい。幸恵さんだってもうすぐ定年になるんじゃないかな。
対カフカ部隊の人員の入れ替わりは激しい。まぁ徒花は仕方ないとして、それが一般職員にも当てはまる理由は、基本的に職員さんは女の人しかいなくて、結婚したり子供が出来たりするとみんな辞めていくから。
表向きはただの退職だけど、多分そうなんだろうなぁっていうのはなんとなく分かるものだし、他のみんなも何も言わないけど察していると思う。徒花に気を遣っているのか、ただ単に自分の気が咎めるのか知らないけど、個人的な意見を言うなら結婚しようが子供を産もうが気にせずに仕事を続ければいいと思う。お給料もそれなりにいいだろうし。
「彼氏とかもいないの?」
「いないよ。雄猫なら飼ってるけど」うわぁ、典型的独身アラサーだ。「流華ちゃんは? 彼氏と上手くいってる?」
「うん、ラブラブだよー」
「あはは。そうなんだ。えっと、要君だっけ?」
「え? あー、違う違う。要は一コ前の元カレ。今付き合ってるのは孝介」
「え、もう別れちゃったの?」
「うん。えっとー、一週間前に」
それでも一ヶ月くらいは付き合った。誰が相手でも大体そのくらいで一通りのことは終えて飽きちゃうものだし、そんな気配を察してか告白してくる人が増え始める。そしたらその中に気になる人がいてーーっていうサイクルをもうどれだけ繰り返しているんだろう。
一週間前、要に別れを切り出した時のことを思い出しながら窓の外に目を向ける。
でも、やっぱり慣れ親しんだ相手より知らない相手に好きって言われる方が嬉しいし、何より新鮮さがある。多分、恋っていうのは生もので、駄目になる前に愛情で包んであげないと腐ってしまう。でも私はそのやり方がよく分からない。何もしなくてもみんな私を大事にしてくれたし、好きでいてくれたし、愛情を注いでくれたから。
鞄の中でスマホが鳴った。仕事用じゃなくて私用の方だ。
「噂をすれば彼氏?」
スマホを取り出して画面を見る。ちはるちゃんの言葉通り、電話は孝介からだった。
「電話していい?」
「どうぞ。でもあんまりのろけないでね。運転荒くなっちゃうからね」
興味ないって言ってたくせに。
通話をタッチしてスマホを耳に近付ける。
『流華? 俺だけど、今大丈夫?』
「大丈夫だよー」
心臓なんてない筈なのに少しだけ鼓動が早まった気がした。
私は恋をしている。
この感情は、まだ、腐ってない。