嘘 ーシンジツー3
明日から二学期。補習のおかげで久し振りの学校だーなんて感慨は一切ない。本当はそこまで出席する必要はなかったんだけど、莉乃が望んだことと、それから智幸避けの口実に使うため私も出ていた。
『そろそろ会っても大丈夫なんじゃない?』
そんなメッセージを見てからスマホをポイッと投げると向かい側のソファでバウンドしてクッションに乗った。
夏休み中、智幸とは一度も会っていない。結羽ちゃんが死んじゃったから暫くデートとかは控えるという言葉が効いていたのかデートに誘ってくるようなこともなかったけど、最近になってさっきみたいなことを言い始めた。
智幸への恋心はとっくに腐っている。
腐って、崩れて、蒸発して。
もう姿形も残ってない。
それでも別れずにいるのは代わりが見付からないからかな。
夏休みだからか、それとも結羽ちゃんが死んだことで遠慮しているのか、告白してくる男子の数は去年に比べると体感で四割減といったところ。しかもなかなかイケメンがいない。それでも何人かキープしてるからそっちに乗り替えちゃおうかなぁ。
「流華」
「んー?」
キッチンに顔を向けると莉乃が両手を背中に回してエプロンを外していた。
「買い忘れたものがあるから、ちょっと買い物行ってくるね」
「うん、りょーかーい」
リビングを出ていく莉乃の背中。廊下を進む足音。ドアの開閉音、施錠音。
そういえば。
健君とも会ってない。夏休み前にマンションの前であったのが最後だ。
夏休み中とはいえ部活もあるだろうし私と莉乃が補習だっていうことも多分知ってる筈。会おうと思えば会えるのに。
健君も結羽ちゃんのことで遠慮しているのかな。いやでも前に会いに来てるし、莉乃のことが心配ならもっと様子を見に来ても良さそうだけど。あ、連絡は取り合ってるのかな。でもスマホ持ってないって言ってたし……。
やっぱりなんかあったんじゃ? 何もないとは言ってたけど鈍感な莉乃が気付いてないだけってことも十分有り得る。
明日も来ないようならちょっと会いにいってみようかな。
ふふ。楽しみだ。きっと驚くだろうなぁ。
翌日、やっぱり姿を見せなかった健君に会いに制服のまま二中へとやってきた。
校門から敷地内を覗くと、校庭では野球部とかサッカー部、陸上部の生徒なんかが声を張り上げて運動に励んでいて、耳をすますと数種類の楽器の音が校舎から聴こえた。
あれ? そろそろ下校時間だと思ったんだけど……。今日は五時間授業だったとか? あ、そっか。私の高校は普通に授業があったけど二中は始業式だけで終わりだったのかも。
んー、どうしよ。演劇部ってやってるのかな? やってないなら健君はもう校内にいないだろうし、やってたとしても勝手に入るわけにはいかないし。勝手じゃなくても入ったら大騒ぎになっちゃうだろうし……。そんで無意味にそんな騒ぎを起こしたら隊長にお小言言われちゃいそうだし、ここに来たことが莉乃にバレちゃうし……。
んー……、んー……。
「あ、あの……」という控えめな声が後ろから聞こえた。振り返ると体操服姿の女子生徒が二人。汗で髪が濡れている。運動部かな。
「うわっ、やっぱり戸舞流華さんだ」
その反応になんとなく希恵ちゃんを思い出しながら笑みを作る。
「こんにちは」
「こ、こんにちは。あの、うちの学校に何かご用ですか?」
「うん。えっと、今日演劇部が活動してるか分かる?」
「え? はい。やってますけど……。あの、私達です」
「うん?」
「演劇部です」
「そなの!? 演劇部って走るんだねー」
「はい。普段は練習前だったり朝練でやるんですけど、その、私達二人は体力不足なので、自主練の時間なんかはこうして……」
「へぇー、すごいねぇ」
まぁどうでもいいけど。
「あ、それじゃあさ、健君って今日部活に出てる?」
「たける……?」
「楠健君。三年生」
「あ、楠先輩ですか。はい、出てますよ。文化祭に向けて張り切ってますから! 呼んできましょうか?」
「んー……、ううん。いいや。部活って何時に終わるの?」
「六時には終わると思いますけど、もしかしてそれまで待ってるんですか?」
「うん、頑張ってるなら邪魔しちゃ悪いし。ここら辺ってどこか休めるところとかないかな? カフェみたいな」
「あ、それならーーーー」
女の子二人と別れてから、教えてもらった喫茶店に向かう。六時かぁ。あと二時間もある。急いで来る必要なかったなぁ。
女の子達が言っていた喫茶店はすぐに見付かった。眼鏡を鞄から取り出して装着してからドアを開ける。カランと鐘の鳴る音。
「いらっしゃいませ」という渋い声。カウンターに立っている壮年のおじ様のものだった。灰色の髪の毛に口髭。どこからどう見てもマスターといった風貌。しかもイケメンだ。二十代の頃に会っていたら彼氏候補筆頭だったのに。
残念ながら私はおじさんが嫌いなのだ。特に四十代くらいのおじさんが。お父さんは好きだけど。
「どうぞお好きな席へ」
あれ、私が『全能』だって気付いてない? しかも他にお客さんもいないみたいだし……。
カウンター席の隅っこに座ってメニューを眺める。定番のコーヒー銘柄、オリジナルブレンドの下にココアやらカフェオレ、カフェラテ、烏龍茶やらオレンジジュースやらがある。料理はパスタとかあるみたいだけど今食べると夜食べれなくなっちゃうし……。
あ、ケーキもある。
うん、一個くらいならいっか。
「すいませーん」
「はい」
「アイスティーとフルーツタルトください」
「アイスティーとフルーツタルトですね。かしこまりました。少々お待ち下さい」
微かに笑みを浮かべるマスター。
それからすぐにアイスティーが運ばれてきた。少し飲んで一息吐くと心なしか気持ちが落ち着いた気がした。知らず知らずのうちに昂っていたのだろうか。単純に熱の溜まった身体に冷たいものを流し込んだからかもしれない。
静かな店内にひっそりと流れているジャズ。人の声が入っていない音楽なんて普段は意識して聴くことがないから少し新鮮だ。
音楽に耳を傾けたまま店内をぐるっと見回す。
良い雰囲気。
もっと人気でも良さそうだけど。あ、もしかして料理が不味いのかな。
と思ったけど、しばらくして運ばれてきたフルーツタルトは普通に美味しかった。そりゃあ有名どころと比べると味は落ちるけど、値段を考えれば決して損ではないと思う。
でもそうなるとますます不思議だ。
「店長さん」
「はい、どうしましたか」
「なんでこのお店こんなにお客さんがいないの? 紅茶もケーキも美味しいのに」
マスターは「はは」と笑った。
「それはありがとう。この時間なら普段はお客さんも少しはいるんだけどね」
「じゃあなんで今日だけ?」
「貸し切りだったからじゃないかな」
「貸し切り?」
「あぁ、ついさっきまでね」
「じゃあこれからまた来るかもしれないね。そろそろ五時だし会社帰りのOLとかが」
「いや今日は来ないんじゃないかな」
笑みを浮かべているマスター。
「えー、なんで?」
「今日はもう閉店してるからね」
「へいてん?」
椅子に乗ったままくるっと回って出入り口のドアに目を凝らす。ガラスの向こう側に掛けられた札には『OPEN』と記されている。それはつまり外から見たら『CLOSE』なわけであって。
あれま。気付かなかった。
前に向き直るとやっぱり笑みを浮かべているマスターと目が合う。
「ご、ごめんなさい」
「いや、気にしないでいい。私も黙っていたからね」
「言ってくれればよかったのに」
「涼んでいくくらいは構わないよ。それに、注文を受けたらどちらにせよ説明しなくちゃいけないと思ったからね」
「なんで?」
「ドリンクはまだしも料理は殆ど提供できない状況だからね。特にケーキなんてそのフルーツタルトしか残ってなかった。それを君がドンピシャで注文したことが面白くて、ネタばらしをついつい先伸ばしにしてしまったよ」
「ふぅーん」
「気を悪くさせたかな」
「んーん、全然。悪いの私だし」
「さっきも言ったけど気にせずのんびりしていってくれて構わないよ。誰かと待ち合わせってところかい」
「そんなとこ。六時まで部活なんだってー」
「彼氏かい?」
「ううん。違う違うーーって、あー。彼氏がいるのに他の男子と二人で会うって駄目かな」
今まではなんとなく避けていたけど。
「駄目とは言わないけど嫉妬はするかもしれないね」
「そっかー」
私なんか彼氏が女子と二人でいても全然平気なんだけどなぁ。そりゃあ家とかホテルで二人きりってなるとまた違ってくるけどさ。独占欲って自分に自信がない人ほど強いものだと思うし。
フルーツタルトを一口食べる。サクサクのタルト生地が最高だ。
「あのさー、店長」
「なんだい」
「店長って結婚してるの?」
「いや、独身だよ」
「彼女は?」
「いないね」
「じゃあもしも付き合ってる人がいるとします。ちゃんと妄想してね。彼女は可愛くて良い子で、店長はベタ惚れです」
「あぁ、オーケー」
「ある日、その人に別れを切り出されます」
「いきなり落としてきたね」
「どんな風に言われたらスッと身を引けますか」
復縁メールなんかを見るに今までの断り方だとどうにも尾を引いてしまうみたいだし。
マスターは作業の手を止めてしばらく思案顔をした後に私を見て口を開いた。
「言葉はあまり関係ないんじゃないかな。相手が別れたいっていうならスッと身を引けるとは思うけど、それでもやっぱりベタ惚れしていた気持ちが消えるかっていうとそうでもないからね」
「やっぱそうなのかなー。あ、紅茶おかわりしてもいい?」
「もちろん」
空っぽになったカップをカウンターに置くと、マスターは笑みを見せてからティーポットを持ってきて注いでくれた。
「彼氏と上手くいってないのかい」
「うん、まぁねー。もう別れた方がいいんだろうなぁとは思うんだけど、私の経験上、今の彼氏ってあっさり身を引いてくれないタイプなんだよね」
「身を引くっていうのは別れを切り出される側としてはなかなか難しいことだと思うよ。切り出す側と違って、まだ相手への想いが確かに残っているわけだからね」
「ふーん」想像もつかない。
「個人的に諦めがつきやすい言葉は『好きな人が出来た』とかだけどね」
「えー、そうなの? 嫉妬しちゃわない?」
「そりゃあするかもしれないけど、それでももう可能性がないっていうことがハッキリ分かるだろう?」
「んー……」
今まで何人かそれでふってるけど復縁を迫ってくる人はいたしなぁ。やっぱり性格次第なのかな。
「でも好きな人とかいないし……」
「今から会う男の子は?」
「えー? ないない。中学生だし。私年下には興味ないもん」
「そのくらいの年の差なら大人になれば気にもならないさ」
「仮に付き合ったとしても大人になるまで続くとも思えないし」
「それじゃあ逆に考えてみたらどうだい」
「逆って?」
「人から探していくんじゃなくて条件から探すってことさ」
「年収一千万オーバーとか?」
マスターは苦笑する。
「婚活じゃないしとりあえずお金のことは置いておこう」
「りょーかい」
「『大人になっても付き合えそうな人』と考えて思い当たる人はいないのかい」
「んー……。いるにはいるけど女の子だし」
マスターは「はは」と笑う。
「まぁ学生のうちは色んな人と付き合ってみるのも悪くはないと思うよ。その方が将来本当に気の合う人と出会った時に自分の気持ちにすんなり気付けるんじゃないかな。長年誰のことも想わずに生きているとそういう気持ちには鈍感になるものだしね」
「なんか経験談っぽいですなぁ」
「はは。まぁそうなのかもしれないね」
「んー、でもねぇ、もう色んな人と付き合うのは卒業する頃かなぁって」
「そんなにたくさんの人と付き合ったのかい?」
「まぁねー」
人数まで言う気はないけど。きっと引かれちゃうし。
「私もちょっと前までそれでいいって思ってたんだけど、なんか違うなーって。もっと……なんていうか、長く付き合いたい……は、ちょっと違う気がするな。んー……。なんだろ。よく分かんない」
「ずっと好きでいられる、自分のことを好きでいてくれる相手が欲しいっていうことじゃないのかい?」
「えー?」
「おかしくはないだろう? 老若男女問わず誰もが抱いている理想さ」
「ふぅん。そうなんだ」
誰かと付き合っている時に『ずっと』とか『一生』とかそういうことを考えたことは一度もなかった。
恋を長持ちさせるには愛が必要不可欠で、でも私はそれを他人に向けることが出来ないから。だからすぐに腐ってしまう。
仕方のないことだ。多分私の本当の親だってそうだったんだから。
「それじゃあ君がそういう風に思ったーー心境の変化の理由はなんだったんだい」
んぐ、と内心ちょっと狼狽えた。あんまり訊かれたくないことだったから。
ケーキを口に運んでから紅茶を一杯飲む。
「ふぅ」と息が口から漏れた。
「んーとね、多分なんだけど」
「あぁ」
「友達を見て、いいなーって思ったのがきっかけ」




