別れ ーユウー1
人間がカフカになる前にーー例え原型を留めていなくとも腐りきる前に殺せば自然と人間としての形を成し、人として死ぬことが出来る。
カフカを殺すとその身体を形成していたヘドロはほぼ消滅する。
徒花を殺すと死亡時の状態で硬化する。
じゃあ腐化しそうになった徒花が死んだ場合はどうなるのか。
答えは単純で、腐化した部分だけ九割消滅して、それ以外の部分は硬化する、だ。
そのまま残る。
腐っていく姿が。
遺体安置室として使われている空き部屋に入ったのは一月以来。大体半年ぶりだ。あれ、前に死んだのって誰だっけ。
まぁいいや。
さっさと思考を切り替えて結羽ちゃんの遺体を改めて眺める。
結羽ちゃんとしての原型を留めているのは上半身の右側だけ。四肢と下半身は腐化してたみたいで完全に消失している。
そっと手を伸ばして、その控え目な胸に触れてみた。
硬い。
大きいとか小さいとかいう問題じゃなくて、人間でいう死後硬直みたいなもの。例え結羽ちゃんの胸が私くらい大きくたって同じようにカチンコチンになる。
手を引っ込めてから遺体の身体に毛布を掛けた。
踵を返して部屋から出ると、廊下には莉乃が立っていた。隊長室で待っててって言ったのに。
「もういいの?」
その問いに私は眉尻を下げて笑みを作る。
「うん」
「大丈夫?」
「だいじょぶ」
もちろん大丈夫じゃなさそうな顔で言う。
頷いてから歩き出した莉乃の斜め後ろを付いていく。
いや、そりゃあ全然ショックじゃないわけでも悲しくないわけでもないけど、正直もう何回も経験してることだし慣れてしまった。それに裏であんなことをしてたから腐化も時間の問題だろうなとは思ってたし。
私としては結羽ちゃんが死んだことよりも、その時の状況の方が気になる。莉乃が殺したことと、現場はマンションのすぐ近く、デカデブが私を待ち伏せしていたところと同じ場所だっていうこと、近くにカフカの死体があったこと、重体の女の子がいたことなんかは聞いてるけど。
隊長室に入って机の前に並ぶと、隊長は前置きもなく本題を切り出した。
「空木の親御さん、御母様には連絡を入れた、が、すぐにこちらへ来るのは難しそうだ」
私は黙ったまま小首を傾げる。
「空木の御母様は数年前に精神を病んで以来、空木と一度も会っていない。そのことに負い目があり、『自分には娘を迎えにいく資格はない』とおっしゃっていた。私からもまた連絡を入れるつもりだし、通院先の病院に相談したりと、とりあえず出来ることはやるつもりだが……」
それでも来ないかもしれない。
まぁ決して珍しいことじゃないけど。
そういう場合、遺体は徒花専用の合葬墓へ入れられることになる。粉々に砕かれた後に。うーん、死んでまで他の徒花と一緒だなんて、結羽ちゃんは嫌がるだろうな。それはちょっと可哀想だ。
「他に引き取り手はいないの? お父さんとか……」
「既に他界されている」
「お祖父ちゃんとかお祖母ちゃんは?」
「望み薄だ」
隊長の眉間に皺がよった。『自分達には関係ない』とか言われたのかも。
「んー……」
じゃあどうしようもないかもねぇ。
「お前達が頭を悩ませることじゃない。一応報告として伝えただけだからな」
隊長は視線を私から莉乃に移す。
「紋水寺、先程してもらった報告の確認をさせてもらうぞ」
莉乃はコクリと頷いた。
「午後一時過ぎ、戸舞と共にマンションを出て、その場で別れる」
首肯。
「間違いないか、戸舞」
「うん」
「歩き始めて間もなく、紋水寺と同行していた一般人が、マンションのベランダから飛び降りる空木を発見」
莉乃じゃなくて健君が気付いたんだ。
「その行動からカフカが出現したのだと察した紋水寺はマンション周辺で空木の姿を探した。子供の泣き声を頼りに現場へ駆け付けると、カフカは既に空木が討伐していた。だが空木の腐化も始まっており、紋水寺が介錯をした」
んー?
「紋水寺、間違いないか」
首肯。
本当かなぁ。なんか怪しい。矛盾があるわけじゃないけど、この違和感って嘘に真実を混ぜた時に出るソレにそっくりなんだよねー。
まぁどっちにしろ、この場でそこを突っ込むことは出来ない。今の私は『結羽ちゃんが死んで悲しい戸舞流華』でいなきゃいけないから。
その日の夜、ベッドで仰向けになって眠りにつくまでの僅かな時間で、今まで莉乃が殺した徒花達のことを思い出してみた。
えーと、最初、私と莉乃が小学生の頃に組んだ子は……樹里亜ちゃんだったっけ。確か高校生だったと思う。半年くらい組んでたけど、最終的に吸収能力の限界を見誤って莉乃が殺した。
次は佐古山ちゃん。二十歳を過ぎた大人なのにドジしまくりのメガネっ子だった。確か普通に腐化して莉乃が殺した。
その次が志保。この時くらいに中学校に上がったんだっけ? 志保が腐化した時はびっくりしたなぁ。マンションで一緒にご飯食べてたらいきなりだったし。んで例のごとく莉乃が殺した。
四人目ーーーーあれ? 誰だっけ。五人目は真奈ちゃんなんだけど……うん? 四人目が真奈ちゃんだっけ?
ま、いいや。真奈ちゃんは限界を見誤っての腐化。そこら辺で猛バッシング受けちゃったんだよねぇ。そこから何ヵ月か時間が空いてーーーーあれー? 誰だっけ。少し前にお母さんと話して思い出したばっかりなのに、またど忘れしちゃったっぽい。
それで今回の結羽ちゃん。覚えてるだけでも莉乃の介錯数は五。これって地味に最多記録なんじゃないかな。私より一年先輩の仁美ちゃんも今まで殺したのは一人だけらしいし。あー、でも麗さんとかは五人くらい殺ってそう。完全にイメージだけど。
私はゼロだ。莉乃のおかげで。
莉乃はいつだって私の傍にいたから。多分、出会った時からずっと。
でも最近、別行動が増えてきた。私がデートの時は当然そうだったんだけど、莉乃の方から離れていくことはなかった。
『私、こっちだから、またあとでね』
薄れていく意識の中で、そんな言葉が不意によみがえった。
今回のように身内の人が遺体を引き取ってくれない場合、訃報を聞いて尋ねてきたお客さんの相手は同班の徒花が担当することになっている。
結羽ちゃんが死んでから三日。その間に訪ねてきたのは蛍山支部の白水隊長とか、蛍山から来た小学生の男の子とか、結羽ちゃんが昔入院してた時に担当していたとかいう看護師さんとか。
視線を下げて結羽ちゃんの遺体を見る。三日経つのに何一つ変わっていない。
背後でドアが開いた。振り返ると莉乃の姿。
「到着したって」
「ん、了解」
部屋を出て入口へ向かう。廊下で段ボールを抱えた職員さんとすれ違った。
「また結羽ちゃんへの手紙かな」
振り返りながら言う。
「うん、多分」
これで何箱目だろう。でも多分まだ序の口だ。今までの経験上、死んでから一週間のファンレター数は右肩上がりになる傾向が強い。そして一週間を過ぎると緩やかに下降して、一ヶ月も経つ頃には届かなくなる。結羽ちゃんは今までの誰よりも有名だし同じようなグラフを辿るかは分からないけど。
「死んでから手紙もらってもねー」
前に向き直るとそんな言葉がポロリと口から溢れた。
『そんな風に言っちゃ駄目』なんて怒られるかなと思ったけど意外にも莉乃はコクリと頷いて同意を示した。そうなるともう私の口は止まらない。
「なんで生きてるうちに手紙書かなかったんだろ。ああいうのって大体が『あの時は助けてくれてありがとう』とか『今までありがとう』とか『あなたのことは忘れません』とか『とても悲しく思っています』とかそういう内容でしょ? それなら生きてる時に『あの時はありがとう』とか『応援してます』とか送った方がずっと相手のためになるのに。結羽ちゃんなんて私達と違って手紙もちゃんと読んでたんだし。大体、手紙って相手に気持ちを伝えるためのものでしょ? 伝えるチャンスなんていくらでもあったのに相手が死んでから送るなんてただの自己満じゃん。そういう人達って、結羽ちゃんが生き続けてたら絶対に手紙なんて送ってこなかったと思う」デカデブと一緒だ。「結羽ちゃんが『自分より先に死んだ可哀想な徒花』になったからようやく存在を認めて、手紙を送ったんだよ」
自分の弱さを認められない。あの手紙は、そんな人達の自慰行為でしかない。そんな汚らしいことに結羽ちゃんを巻き込まないでほしい。
まぁでもこれも因果応報というやつなのかもしれない。結羽ちゃんも自慰行為に他人を利用していたわけだし。
「私が死んだらやっぱりああいう手紙が送られてくるのかな」
「流華は死なない」
「分かってるよ。なんたって私ってば『全能』だしね」
「先に死ぬとしたら私の方」
「『万能』だもんね」
しかも唯一苦手とする感情が『恨み』なのだから運が悪い。
「でも、死んだら駄目だよ?」
莉乃はコクリと頷いた。
再び前に向き直ると廊下の先にキョロキョロと顔を動かしている女の子がいた。近付いていくと、あっちも私達に気付く。
女の子は姿勢を正してピシッと敬礼をした。私達も歩きながら軽めの敬礼を返す。この子が今日最後のお客さんだ。
「初めましてっ! 籠田希恵ですっ!」
元気な声、笑顔。遺体を見に来たとは思えない。
籠田希恵ちゃん、十一歳。国内最年少の徒花。双花。戦闘能力はごく普通。吸収能力の方は知らないけど、年齢を考えれば天才といってもいいのかもしれない。
「初めまして、戸舞流華です」
「ぶんーーーー」
「うわぁ!」という黄色い声が莉乃の自己紹介を遮った。「本物の流華莉乃コンビだ!」
そう言いながらぐいっと距離を詰めてきたかと思うとその小さな手で私と莉乃のお腹の辺りにペタペタと触れた。なんだろ。最近の小学生の間で流行ってる挨拶なのかな。
莉乃の右手が上がって小さな頭を撫でる。希恵ちゃんは乱れた髪を気にする様子もなく莉乃を見上げて笑った。
そのまま莉乃になつけばいい。
私は子供が嫌い。
だから、希恵ちゃんの相手は莉乃に任せるつもりだった。
小さな顔が私に向けられる。赤い瞳がキラキラ光っているように見えた。何を期待しているのか察するのは容易で、左手を上げて小さな頭を撫でた。乱れた髪をついでに整えておく。
「うわー。流華莉乃コンビに撫でられたー」
希恵ちゃんは両手を頭に乗せて嬉しげに身体を左右に揺らす。犬の尻尾が頭に浮かんだ。
「明日学校で自慢する!」
どーぞご勝手に。なんて思いながら微笑む。希恵ちゃんは白い歯を見せて笑った。なつかれてしまったらしい。まぁ隣にいるのが無愛想な莉乃だしなぁ。
まったく、なかなか思い通りにはいってくれない。なんせ相手は子供だ。たった一つのことで他人に心を許して、たった一つのことで心に壁を作る。
だから嫌い。
お子ちゃまな大人の方がよっぽど扱いやすい。
「小学生なんだよね。五年生だっけ」
並んで歩き出しながら莉乃が言った。
「うん!」と希恵ちゃんは元気よく頷く。
そっか。これでも小学校高学年なんだ。なんか全然そう見えないなぁ。私が五年生の頃ってこんなに子供だったっけ。少なくとも丁寧語は使えていた筈。んー、身体が小さいから余計にそう見えるのかな。
「学校楽しい?」
「うん! あのね、私、飼育係なんだよ!」
「飼育係ってなんの?」
「兎とか犬とかチャボとか」
「犬?」
「うん、パグだよ。モモっていうの」
「学校で飼ってるの?」
「うん。五年生がお世話してるの」希恵ちゃんは小首を傾げる。「莉乃ちゃん達は飼ってなかったの?」
莉乃の視線が私に向けられる。
「犬はいなかったよね?」
「うん。私もちょっとビックリ」
生徒が噛まれたりしたらどうするんだろう。この子は大丈夫だろうけどさ。
希恵ちゃんは動物が好きらしく、遺体安置室に着くまでずっと鶏とか兎とかパグの話をしていた。私も動物は嫌いじゃない。昔は子供ほどじゃなくとも嫌いだったんだけど、この心境の変化は徒花になったせいかな。いや、大人になったからかも。




