現実 ーリソウー7
結羽ちゃんに休業命令が出たと莉乃から聞かされたのは翌日の昼過ぎにマンションへと帰ってからだった。
とりあえず寝室で部屋着に着替えてから丸めた洋服を持ってリビングへ。
「なんか色々いきなりだけど、昨日なにがあったの?」
ソファに座っている莉乃を見ながら聞いて、そのままリビングを出て脱衣所へ。洗濯籠に服を突っ込んでからUターン。リビングへ戻り、莉乃の向かいのソファにダイブ。うつ伏せのまま顔だけ上げる。
「結羽ちゃんからは返信もないし、もしかして莉乃の用事っていうのも結羽ちゃん関係?」
「私の用事は健とのご飯。また約束守れなかったから、そのお詫びに」
「え? デート行かなかったの?」
「デートじゃない」
そこはどうでもいいけどさ。
「隊長から結羽のことで連絡があって支部に行ってた。一昨日の深夜、結羽、近所の道端で倒れてたみたいで、それを隊長が見つけて支部に運んだんだって」
「倒れてたぁ? えー、なんで? 夕方に会ったときは体力消耗してる感じはなかったよね?」
「うん。原因は不明だけど、隊長は精神的なものじゃないかって。本人は寝てただけって言ってたけど、隊長が言うには声を掛けても身体を揺すっても起きない状態だったらしいから。どう考えても異常っていうことでしばらく休業」
「しばらくっていつまで?」
「無期限って言ってた。多分、結羽の体調がよくなるまで。流華も言ってたでしょ? 結羽がたまに咳き込んでるって」
「隊長に言ったの?」
「うん。私も、結羽はちょっと休んだ方が良いと思うから」
「ふぅん」
莉乃がそう言うならそうなんだろうけど、私的には結羽ちゃんみたいな人は有難いんだけどなぁ。楽できるし、莉乃が腐っちゃう心配もないし。「あれ? じゃあ私と莉乃ってどうなるんだろう」
「代わりの人が入るまでは、状況に合わせて他の班の人と組むことになるだろうって」
「そっか」
大将に電話して、急げ、って言わなきゃ。
「流華は大丈夫だった?」
「んえ? 何が?」
「諸山義明が来たんでしょ?」
「あぁデカデブ」
「そんな風に言っちゃ駄目」
莉乃もアイツのこと敵視してるくせにそこは変わらないらしい。
「大丈夫だけど対応に困るんだよねー。一般人なら多少の攻撃も自衛で許されるけど、徒花の場合、素手の攻撃は当然としてスタンガンとか催涙スプレーを使っても問題になりそうだし」
「逃げるしかない」
「だよねー。でもそれで家とかまで来られたら嫌だしなぁ」
「たしかに」
「あ、結羽ちゃんにもデカデブのこと一応教えとかないとだよね。部屋にいるかな?」
「この大雨だから、多分」
「じゃあちょっと行ってくるねー」
「その格好で?」
「いいじゃん、すぐ隣だし」
「駄目。せめて下に何か穿いて」
「んもー」
寝室に移動してホットパンツを穿いてからスタンドミラーの前に立つ。普通に立ってたらTシャツの裾で完全に隠れる。歩いたりするとたまにちらっと見える程度。
リビングに戻って、そのまま「いってきまーす」と玄関に向かう。トコトコとついてきた莉乃の表情はどこか訝しげ。
「穿いてるよ?」とTシャツの裾を上げると眉間の皺がとれた。
「いってらっしゃい」
二回目の「いってきまーす」と同時にドアを開けて外廊下に出た。軽い足取りで隣の部屋の前に移動。ピンポンを押す。
五秒くらい待つ。
反応なし。中から物音も聞こえない。
留守? 居留守? 莉乃の話を考えると爆睡中ってこともあり得る。
鍵取ってこようかな。
そう考えていた時、チン、という小さな音が聞こえて、エレベーターの方に顔を向けた。
まず見えたのは靴。それから杖を付くみたいに床を鳴らした赤い傘。ゆっくりと姿を見せた結羽ちゃんは、私を見るとその場で足を止めた。
話をするには少し遠い。笑顔を作って小走りで駆け寄る。
「ちょうどよかったよー」
「何か用?」
「うん。実は最近ストーカーっぽい人に付きまとわれててー。だから結羽ちゃんにも一応知らせておこうかなって思って」
「なんで?」
「ストーカーはターゲットの回りにいる人を狙うことがあるらしいから」
「相手は一般人なんじゃないの?」
「うん、一般人」
「なら大丈夫でしょ。私も流華も莉乃も」
「まぁそうなんだけどねぇ。あ、でもマンションの近くで怪しい人を見つけたら教えてね。ストーカーは縦にも横にもおっきな人だから」
「ん」
結羽ちゃんは終始どうでも良さそうな表情のまま頷いて私の横を通り過ぎていった。振り返って、その背中に問う。
「こんな雨の中、どこにいってたの?」
「散歩」
簡潔な答え。
部屋の前で足を止めて、鍵穴に鍵を差し込みながら「カフカと遭遇したから殺した」と言った。
「あれ? 警報鳴った?」
「一般人が通報する前に殺したから」
それだけ言って結羽ちゃんは部屋の中に消えていった。ドアがゆっくりと閉まって、ガチャ、と拒絶するような音が響いた。
無愛想でちょっと警戒気味なのはいつものことだけど、今日の結羽ちゃんにはどこか違和感があった。なんだろ。機嫌が悪いわけじゃあなさそうだったけど。
小さく息を吐いてから足を動かす。
あ、そういえば倒れてたこと心配するべきだったかな。結羽ちゃんは嫌がりそうだけど、私のキャラ的に。
部屋に戻ってからAdabanaでカフカ出現情報を調べてみた。
場所は扇野中央公園。時間は三十分前。死傷者は三人。カフカは中型二足歩行。討伐者が空欄なのは結羽ちゃんが休業中の身分だからかな。
コト、とテーブルに大きめのグラスが置かれた。カラン、と氷の鳴る音。
「何見てるの?」
莉乃は自分のグラスを両手で持ったまま向かいのソファに座った。
「なんか結羽ちゃんがカフカ倒したらしいからその情報」
「昨日の話?」
「ん? ううん、今日。三十分前の話。昨日も同じことあったの?」
莉乃はグラスに口を付けながら頷いた。
へぇ、二日連続で……。しかも休業になったその日から。
「妙な偶然だねー」
「うん」
昨日のことも軽く調べてみると、今日の午前中に報告書がアップされていた。
現場はこのマンションの近く。時間は十四時。死者一名。カフカは中型四足歩行。数枚の現場写真にはカフカが残したヘドロの染みと被害者の遺体が写っているものもあった。パックリ横に開かれた胸部。真っ白な身体と真っ赤に染まった服は雨にうたれてびしょびしょ。その人の持ち物だったらしい赤い傘は本来の役目を果たすことなく閉じたまま遺体の横に置いてあった。結羽ちゃんが持ってたやつと似てる。
遺体には致命傷以外にも数ヵ所の傷が残されていて、その部位をアップで撮った写真も載っていた。
右腕の刺傷。
剥げた爪。
後頭部の軽度の打撲傷。
最初の二つは分かるとして、後頭部を打つってどんな状況だろう。足を取られて転ぶ、腕を刺されて転ぶにしてもなかなか頭の後ろ側を打つなんて難しいと思う。電柱とか壁に当たったのかな。吹っ飛ばされたなら他にも打撲痕が残っていそうなものだし。
「昨日の現場はこの辺だったんだね。もしかして莉乃も近くにいたの?」
「ううん。私は支部にいたから。そこに結羽ちゃんから連絡が来て、後処理班の人達と一緒に現場に行った」
「あ、じゃあこの遺体とか生で見たんだ」
「うん。その人、神眼教の人だよ」
「神眼教?」
「覚えてない? このおばさんと腐化したおばさんの二人組に話し掛けられたことがあったけど」
「いつ?」
「ん、去年の……夏か秋くらいだったと思う。学校帰りに通学路で」
「ふぅん。全然覚えてないや」
「最近は結羽ちゃんに付きまとってた」
「へぇー」
せっかく腐化したのに一瞬で徒花に殺されちゃうなんてお気の毒様だ。あぁ、でも一人殺したわけだから全くの無駄じゃあなかったのかも。




