現実 ーリソウー6
日曜日。
実家に向かって住宅街を歩く。
莉乃は結羽ちゃんを演劇に誘えたのかな。なんか朝から様子がおかしかった気がするけど、と頭のなかで考えながら顔には笑みを浮かべる。
その表情を張り付けたまま近所の人と挨拶をしながら実家のすぐそばまで来たとき、前方に大きな人影が見えた。
デカデブ。
道の端に立って挙動不審に辺りを見回していたけど、私に気付くと怒り顔を浮かべてドスドスと近付いてきた。
よく見ると顔や腕に治療の痕がある。制裁とやらの傷だろう。見えるところでであれなら見えない部分はもっと酷そうだ。
「る、流華!」
うわ、やっぱ話し掛けてきた。えっと、とりあえず私は何も知らないふりをすればいいかな。いや、前みたいに無理に関わる必要もないか。怯えてるフリしてそそくさと逃げよう。
「こ、こんにちは」
足を止めることなく頭を下げて横を通り過ぎる。ダッシュしようかな。でも家まで来られたら嫌だな。
「待てぇ!」
どこか間抜けな声と重たい足音。
「な、なんですか? もう会わないようにって親同士で話が……」
「俺たちには関係ない!」
えぇ……。
「それより見ろ! この傷!」
「ど、どうしたんですか?」
「流華のせいだ」
なんでじゃ。
「わ、私は何も……」
「流華が思わせ振りな態度を取るからこうなったんだ!!」
「そう言われても……」
うっさいなぁ。大声は健君で慣れてる筈だけどなんか違う。すごく不快に感じる。
デカデブは興奮で荒くなった呼吸のまま「それで?」と言った。それで、って私の台詞じゃん。
「えっと……?」
「どうやって責任取るかって言ってんの!! そんなことも分からないのかよ!」
そりゃ分からないよ。私デカデブのママじゃないし。
「責任って言われても私に出来ることなんて何もないです……」
「ちゃんと考えろよ! お、俺がこんな目に遭ってんのは流華が俺の気持ちを拒絶したからだろ!」
「でも私、好きな人がいるって言ったじゃないですか」
「あんな状況で言われたら誰だって勘違いするんだよ!!」
誰だって(童貞に限る)。
「黙って俺と付き合えばいいんだよ! そうすれば俺へのふざけた暴力もなくなるし、流華の贖罪にもなる!」
「む、無理ですよ……。私、好きな人が……」
「うっせぇぇぇ! お前に拒否権はねぇんだよぉぉ!」
あんたの方が間違いなくうるさい。
てかどうしよう。こんな様子じゃあ逃げても間違いなく家まで追ってくるし、まさか殴って逃げるわけにもいかない。
ポツポツと雨が降り始めた。それでもデカデブに動く気配はなく、荒い鼻呼吸を繰り返している。今日の服お気に入りだから汚したくないなぁ。
「流華ちゃん?」という声が小雨のなか響いた。振り返ると谷内さん家の旦那さんが玄関先の門扉から心配そうに顔を出していた。顔見知りのご近所さんだ。ここに住み始めた頃に優しくしてくれたから顔も名前も覚えている。よく見ると奥さんは家の窓からこっちを見ていた。
「大きな声が聞こえたけど、どうしたの? 大丈夫? そっちの人は友達?」
「あ、えっと……」と前を向き直ると同時にデカデブが踵を返して走っていった。
今度は身体ごと振り返って旦那さんに頭を下げる。
「ありがとうございます、助かりました」
「もしかして、さっきの子があれかい? 少し前に噂になってた……」
「はい」
「付きまとわれてるのかい?」
「いえ。そんなことはなかったんですけど、今日いきなり」
「そうか。まぁ流華ちゃんなら心配ないだろうけど気を付けて。ほら、最近、徒花が神眼教の信者に殺される事件があっただろう? 流華ちゃんは有名だから心配だって妻とも話していたんだよ」
「そうなんですか……」
「おっと、雨のなか長話はよくないね。傘は持ってる? よければ貸すよ」
「ありがとうございます。でも折り畳み傘があるので大丈夫です」
「そうか」とおじさんは優しげに笑った。
雨が強くなる前に駆け足で実家へ帰ると、お母さんは既にデカデブの襲来を知っていた。谷内さんの奥さんからたった今連絡があったらしい。更に一分後にはお母さんがお父さんに連絡して、その十分後に『諸山さんには連絡をしておいた』と折り返しの電話があった。念のために今から帰ってくるらしいけど、ちょっと心配しすぎな気もする。お母さんも妙に取り乱してるし。
やっぱり谷内さんが言ってたみたいに徒花が一般人に殺された事件のせいだろうか。でもあれだって任務直後で消耗きったところを不意討ちされたわけだし、普通の状態なら一般人に殺されるなんてことは多分吸花でもないと思う。拳銃すら簡単には手に入らないこの国なら特に。
第一、私が『全能』だってこと忘れてないかな。心配してくれるのは嬉しいけどさ。
リビングのソファに座ってテレビを付けると、ちょうどよくそれ関連のニュースがやっていた。
『徒花殺害事件 神眼教の実態とは』というテロップが右上に表示されていて、画面には犯人が通っていた神眼教の施設がモザイク付きで映っている。ナレーターが語っているのは神眼教を知ってる人なら誰もが知っているようなことで新しい情報はまるでない。結局そのままVTRは終わって画面がスタジオに映った。
『今のVTRを見てもそうですが、やっぱりちょっと僕には少し理解し難いところがありますが……』
MCの言葉に共演者達も頷く。
何を言っても、討論の一つ、反論の一つも起こらないまま話が進んでいくのを見るのは退屈で、チャンネルを変えようとリモコンに手を伸ばした。
『さて、色々な噂の絶えない神眼教ですが、僕が個人的に気になってる噂がありまして。センセイにちょっとお訊きしたいんですが、よろしいですか?』
右腕を上げてリモコンを向けた先で短髪のおじさんが笑う。画面下に表示された紹介文には『カフカ・徒花専門ジャーナリスト』と書かれている。個人的にそこは一緒にしてほしくないんだけどなぁ。
『なんでしょうか』
『それではお訊きしますが……、神眼教とプロウダ。ここしばらく世間を騒がせっぱなしの……えー、二つの団体が、何らかの繋がりを持っている。そういった噂を耳にしたのですが、これの真偽はどうなんでしょう』
リモコンをそっと降ろした。
『真偽は『分からない』としか答えられません』
『それは話せないという意味で?』
『いやいや。単純に分からないだけです。でも私はそこに繋がりがあってもおかしくないと思っています。両者ともお互いに関する発言は今のところしていませんが、カフカを討伐しないという点で双方の考えは一致していますからね。プロウダでカフカと共に暮らす徒花を神眼教がどう見るのかーーーー今まで通り滅すべき相手として見るのか、それとも改心して悪魔ではなくなったと見るのか。両者が繋がるとすればそこの認識が重要になってくるのではないでしょうか』
『逆にプロウダはどう思っているんでしょう、神眼教のことを』
『想像するしかないですが、あまり良い感情は抱いていないと思います』
『ほう、何故ですか?』
『神眼教は徒花を悪魔と定義していますよね。しかし、徒花本人達はもちろん、カフカもそうは思っていない。あくまで彼らにとって徒花は仲間、同種です。それを殺す存在を味方だと思うかというと……』
『そんなわけがないですね』
『そういうことです』
同種殺しなんてどの生き物もやってることだと思うけどねぇ。
『それではここで一旦CMです』
その言葉に右腕を上げてリモコンのボタンを押した。
あ、ドラマの再放送やってる。懐かしい。中学生の時に見た記憶があるから三年前くらいかな。確か三人で、毎週私の部屋に集まってーーーー。
あれ。あの時組んでたのって誰だっけ?
ま、いいか。
これ見ようっと。
「ねぇ流華ちゃん」
パタパタと駆けてくるお母さんに顔を向ける。
「莉乃ちゃんや結羽ちゃんは今日なにしてるの? よかったらウチに呼ばない?」
「ボディーガードとして?」
「そ、そうじゃないけど、今お父さんとも話してたんだけど、ストーカーって相手だけじゃなくて身近な人を攻撃するパターンもあるんだって。だから一つの場所に集まってた方が安心だと思うの」
「駄目だよ。二人とも今日用事あるもん。莉乃はデートだし」
「えっ、デート!?」
お母さんは今までの不安そうな様子が嘘のように目を丸くしてすっとんきょうな声をあげる。
「莉乃ちゃん、お付き合いしてる人がいるの!? どんな子!?」
すごい食い付いてきた。
「付き合ってはいないけど男の子とデートだよ。二中の三年生で、坊主頭で、身長は莉乃よりちょっと低いくらい?」
「へぇー! あの莉乃ちゃんが! そういうこと興味ないのかなぁって思ってたのにー。もー」
相変わらずそういうことには興味なさそうだけど。
「まぁデートが終わったら来るかもしれないし、また夕方くらいに連絡しとくね。結羽にも」
「うん、お願いね。結羽ちゃんには一度ご挨拶しておきたいし、莉乃ちゃんに男の子のこと聞きたいし。それにしてもあの莉乃ちゃんがねー。うふふー」
一転してウキウキである。
「お母さん、一応言っとくけど二人が付き合うような感じはないよ?」
「えー、そうなの? どうして?」
「莉乃は『弟みたい』って言ってるし、男の子は莉乃が好きとかじゃなくて尊敬してるって感じだし」
「尊敬?」
「うん。前に任務で私と莉乃が助けた子らしくて」
「覚えてないの?」
「だって、そういうことしょっちゅうだし」
「それって最近の話?」
「ううん。去年の年末だって」
「それなら二中にカフカが出た時のことじゃない? 十二月にカフカが出て、翌年の三月にも同じことが起こったからちょっとした話題になってたのよ。三月のカフカは莉乃ちゃんが一人で倒して、十二月の方は莉乃ちゃんと流華ちゃんが駆け付けて、襲われて大怪我をしてた男の子を助けたってニュースで」
「三月に莉乃が一人で……。あぁ、ロケ中の……」
そっか。あれも二中だったんだ。あ、じゃあ莉乃ってば『収録に影響が出るといけないから』なんて言いつつ実は健君が心配だったのかな。
んで、十二月の方。二中で重傷の男の子を助けた? んー。あったようななかったような。
『莉乃ちゃんと流華ちゃんが駆け付けてーーーー』
そういえば、去年組んでた三人目って誰だったっけ?
んー……。
んー……?
顔も名前も思い出せない。ど忘れしちゃったかな。
「お母さん、去年私と莉乃が組んでた……えっと……あれ? 名前ど忘れしちゃった」
「美織ちゃん?」
「あ」
あ。
「そうそう。美織」
「美織ちゃんがどうかしたの?」
「ううん。お母さん覚えてるかなって思っただけ。私が忘れちゃってたけど」
「もちろん覚えてるよ。ウチにも何度か遊びに来てくれてたし」
「うん。そだね」
そうだっけ。
でも、そうだ。美織。
一彌美織。
その名前を耳にすると同時に顔も浮かんで、十二月の任務のこともうっすら思い出した。
私と莉乃がカフカを討伐してしばらく経った頃にひょこっと顔を出した美織。
吸花ということを考えても遅すぎる登場をした美織を見て、私はなんて思ったっけ?
んー。思い出せない。
まぁ思い出せないっていうことはどうでもいい記憶だっていうことだと思う。
っていうか。
美織って、なんで死んじゃったんだっけ?




