273 思い出に沈む
2020. 10. 26
深く暗い。
底が見えない。
「っ、まだ……」
あまり深く潜るのは、逆に傷を付けてしまう可能性があるため、注意が必要だ。だから慎重に最短距離でラクトを探す。
唐突に見えた淡い光の中に、ファナは昔の自分を見た。
『姫様っ。また騎士達に混ざっておられたのですか? 陛下が心配されますよっ』
「っ……ノバ……」
弟子になったノークの前世。シィルとキィラの兄だったノバだ。
『いいの。肝心な時に動けなかったら悔しいもの。せめて、ナナちゃんくらい動けるようにならないと』
ファルナは、時間が空けば必ず騎士達の訓練に混ざっていた。強くなりたかったのだ。強くならなければと焦っていた。
『な、ナナリア様くらい……っ、い、いけません! ムキムキになってしまいますっ』
『あれくらい筋肉付くと、胸とか邪魔にならないから良いって聞いた』
『っ、発育に悪いです!』
『ノバのエッチ』
『ちょっ、姫様っ』
真っ赤になるノバに、ファルナはわざとらしく目を逸らす。すると、そこに懐かしい姿のラクトがやって来る。この国の王、ランドクィール王だ。
『ノバ……ファナをそういう目で見ているのか……』
『違います!』
『私、ノバならいいけど』
『っ、ちょっ、姫様、やめてくださいっ』
『おい。それは、うちの娘に魅力がないと言いたいのか?』
慌てるノバ。ノークと比べると、なんだかとっても若いなと思ってしまった。可愛いお兄さん。こうしてからかうことがファルナの楽しみでもあった。
『言ってませんっ。仮にそういう目で見ていますと言ったら怒りませんかっ?』
『許すわけないだろ』
『どっちもダメではないですかっ』
『っ、ふふふっ』
『姫様!』
『あははっ』
「……っ」
楽しかった。国は平和で、城の人たちはファルナを可愛がってくれた。西の大陸の者だとか、そんなことは全く気にしていなかった。
ここに居るのは王の娘で、この国の姫だと誰もが笑って受け入れてくれた。
『バル〜。見て見て!』
『どうされました? 姫様』
情景が変わる。ファルナは廊下を駆けていた。その先に居たのは、バルドの前世であった騎士のバルトロークだ。
バルトロークは、ファルナが抱える白いモノを見て歩みを止めた。
『っ、ちょっ、ひ、姫様! それ、どこで拾ってきたんですか!』
『北の森。幼獣って初めて見た!』
『今すぐ手放してください! それ、グロウキャットでしょう!』
『スゴいでしょ! 大人になるとあんなキモくなるのに、子どもめっちゃ可愛いんだけどっ』
それは凶暴な森の支配者。真っ白で無垢な見た目も、獲物を見たら狂暴化してすぐに襲いかかり、真っ赤に染まる。血塗れの悪魔だとも呼ばれていた。
『あ、父様! この子、飼っていい?』
バルトロークの後ろから現れたランドクィールにファルナが声をかけると、即答される。
『いいぞ』
『ラク様!!』
『なんだバル。悪魔でも天使でも、ファナが望むならば良いだろう』
『良いわけないでしょ!』
『え〜、バルのいじわるぅ』
『っ、ちょっ、それ嘘泣きですよねっ』
『バル、覚悟はいいな?』
『良くないです!』
この後、ファルナが面倒を見るのが危ないというなら、お前が見ろとバルトロークに押し付けられていた。
泣きそうになりながら『わ、分かりました〜』と言ったバルトロークは、少しかわいそうだった。
「……懐かしい……」
どれも大事な思い出だ。そしておそらく、これはファルナがここへ来たから見えたものだろう。同調したのだと分かる。
そんな情景を、その人も見ていたらしい。
「本当に……懐かしいな……」
「っ、兄さっ……っ」
振り向いた先に浮かんでいたのは、ランドクィールの姿のラクトだった。
そして、また唐突に情景が切り替わった。
『ファナっ、なぜ来たんだ!』
それは、襲撃のあった日の光景。
『嫌!! ノバもバルも死んだ! お父様まで何かあったらやだ!』
そう。あの時、実の兄のように慕っていた二人が死んだと分かった時。思い出してしまったのだ。父に置いて逝かれる辛さを。それを、無理に心に押し留めて、嘆くことを拒否したあの時の感情を。
「……見なくていいよ」
「っ……」
ランドクィールは、涙を流していた。これから見ることになる情景に、手を出しても何も変わらないその情景に、悔しそうに固く手を握りしめて堪えていた。
「憶えている必要もないよ」
「っ、なぜだ。忘れるなんて、許されない。ファナが死んだのは、ノバやバルが死んだのは私のせいだ!」
「……」
ファナはようやく理解した。分かっていた。ランドクィールは、ラクトは優しい。そして、とても強い。ずっと心に仕舞い込んだその後悔を忘れようとせず、傷付いたまま前を向く。それは王の資質。
違うと否定することは簡単だ。けれど、それでは本当の意味で答えは出ない。
『王ってのは、面倒な生き物だよ』
いつだったか、魔女が言った。憐むように、呆れるように。だから、国を滅ぼす時には殺してやるのだと。辛い人生から解放してやるのだと言った。きっと、今のファナも王には同じ選択をする。クズでも、どんな王でも。
けれど、ラクトはダメだ。この人は、きっと何度でも記憶を持って転生してしまう。死という解放が使えない。
ならば、今だけでも王でなくなればいい。
「自惚れないで」
「っ……!」
否定の言葉ではない。予想外の答えに、ランドクィールは弾かれたように顔を向けた。
ようやく目が合ったなと笑う。
「ファナっ……」
「誰も……当事者も、第三者も兄さんの……父様のせいなんて思ってないよ」
「そんなこと、わからないだろ!」
「分かるよ」
「っ……」
分かるはずだと語りかける。
「私は魔女だから分かるよ。だって、あの大陸には、西大陸に向ける強い恨みはなかった。きちんと、一人一人が整理を付けた証拠だよ。西の大陸の人とは違って、ここにはまだ当事者が生きてる」
記憶が戻って、真っ先にしたのはイーリアスの生存確認だった。宰相は、まだ生きて城に居る。その城には、かつてのランドクィールの婚約者候補達も居るのがわかった。
「みんな、待ってる。ずっと待ってるんだよ。私たちが帰るのを」
「っ、そんな……っ」
そこに聞こえたのはファナの知らなかった言葉。
『お戻りになる時をお待ちいたします』
目を向ければ、出かける時に見た懐かしい表情。『行ってらっしゃいませ』と見送ってくれた時と同じだ。
きっと、イーリアスはそれを言いたかったのだろう。
『なんだ、それは……』
ランドクィールも、その時思ったはずだ。諦めたように、肩の力を抜くその様子で確信する。
『……ああ、少し留守にする……』
笑っていた。必ず戻ると断言することなど、あの時は無理だったはずだ。けれど、見送ってくれるのならば、帰らなければと思っただろう。
「ねえ、父様。私たち、戻って来られたよ?」
「っ……ああ……」
「今でもあそこで、リア様は待ってるよ?」
「そう……だろうな……」
「なら、早く帰らないと」
「っ……」
涙を拭いもしないランドクィールへ、ファルナは手を伸ばした。
「泣き虫な魔王は締まらないなあ」
「っ、そうか。そうだな」
「泣き虫な兄さんはウザくて捨てたくなるなあ」
ニヤリと笑って見せると、ラクトの姿に変わった。そして、目を丸くしながら泣きそうな表情になる。
「っ、ま、待ってくれっ。す、すぐに泣き止むからっ」
「私、リア様と違って、待つの嫌いなんだけど」
「分かった! ほら、もう待たせない!」
「なら、さっさとここから出るよ」
「すぐに出よう!」
「起きたら、アイツ、殴っていいから」
「アイツ……っ」
くふふと笑って、混乱するラクトの手を取る。
「行くよ」
「ああ」
急速に明るくなっていく。そして、ゆっくりと二人は目を覚ましたのだ。
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