257 望みは?
2020. 3. 16
無事に戻ったファナを前にして、珍しくラクトが呆れていた。
「で……なぜコイツまで連れてきた?」
ラクトがコイツと言って指をさす先には、テーブルにつき、キィラにお茶を出されて静かに頭を下げている奏楽詩人の男が居た。
「面白そうだったから」
「なら仕方ない」
これで納得し、許してしまうのがラクトだ。
ファナは早速シィルをどうにかすると言って部屋に向かっていく。因みに帰りは、シルヴァに奏楽詩人の男とファナ、キィラを乗せ、シィルの影は弱り過ぎていたため、ファナが仮死状態にして特別な空間を作り、そこに入れてきた。
そんなファナの後ろでは、ラクトが奏楽詩人の男に声をかけるのが聞こえた。
「随分と、印象が変わったな。あの時はもっと太々しい感じだったが」
「……っ……王?」
「今更気付いたか」
シルヴァは着いて早々に部屋に寝転がってしまったし、ドランはその上で大人しくしている。二人が知り合いならいいかと、ファナは扉を閉じた。
部屋には、リナーティスがベッドの横の椅子に座って、うつらうつらしていた。バルドは先程食材を買って来ると言って出て行ったのでいない。
「えっと、お姉さん」
「ん……ん? あ、えっと……小さな魔女さんね。お出かけしたんじゃなかった?」
寝ぼけているらしい。
「帰って来たの。それで、始めたいんだけどいい?」
「え……? 何を始めるの?」
「……」
この人はきっと天然さんだ。ならば勝手に話を進めよう。
「影を元に戻すから、お姉さんは部屋の外に出てて。下でお茶でもしてくるといいよ。終わったら呼ぶから」
「お茶……そういえば、喉が渇いたかも? うん。なら行こうかしら」
「そうして」
フラフラと部屋の外に出たのを確認すると、結界を張った。これでドアは開かない。
「あのお姉さんだと、忘れて入って来そうだもんね」
その予想通り、しばらくしてお茶を飲み終わって帰ってきたリナーティスが、ドアが開かないと驚くのだが、ラクトがどうにかするので問題ない。
「さてと……」
ファナは結界の内側を聖域に設定する。こうすることで、精神体を弄っても消滅することがない。
「疲れるけど仕方ない」
手を縦に振って空間を切ると、そこからシィルの影が出てくる。見た目からして、シィルの本来の姿が影の方に出ているようだ。
それを立たせたまま、ファナは影の腹辺りに手を突き出す。すると、そこにズボズボと手が入り込んだ。
目を閉じると、淡い光で影とファナが包まれた。
「【接続開始】」
始めるよという信号を送ることで、個々の精神へ入り込むことが出来る。意識が中に入ると、世界が広がる。そこは路地裏だった。
座り込んでいるシィルを見つけ、ファナは歩み寄る。しかし、その途中の景色やこの情景を見てなんだか懐かしいと思った。
なんで懐かしい?
精神の世界だ。何が起きてもおかしくはない。思いに左右されることもある。だが、ファナはあり得ないと思った。個を自覚して同化しないようにする訓練は沢山してきた。だから、これは同調しているのではなく、自分の心が感じているものだ。
立ち止まる。
すると、ふと隣に優しく微笑む初老の男性が居た気がした。口から出たのはその人の名前。
イー様……
そうだ。イーリアスといったはず。この地に居た時。ファルナとして生きた時。大切にしてくれたこの国の宰相。実の孫娘のように扱ってくれた優しい宰相。
そっか。うん。思い出した。
過去を思い出した所で何が変わるわけでもない。そして目を向けた先。青年がうずくまるその光景はあの時のものだ。
「ねえ。お兄さん。渡したお守りは持ってる?」
「っ……君……」
驚いたようにこちらを見る青年。だから、あの時のように微笑んだ。
「望みは見つかったのかな。どうしてまだ苦しんでいるの?」
「……俺は……っ、消えたく……ないっ……」
「うん」
気持ちを吐露する青年。続きを待つ。
「俺はずっと……寂しかった……っ、母さんも父さんも俺を見ない……っ……俺はっ、僕はここにいるのに!」
たったそれだけで、ファナは全てを読み取った。鍵があればその記憶を読むことができる。
リナーティスは薬学にかかりきりで、父親は世界を旅するのが仕事みたいな人。だから、誕生日もお祝い事の日も、二人は側にいなかった。
寂しいと思う心を無理やり仕事なのだと納得させていれば、弟が生まれた。その時、影が生まれた。
自由な時間はなくなり、弟の世話をする日々がやって来ると想像してしまったのだ。その想像は間違いではなく、現実になった。
自分は、シィルはシィルとして自由に生きたかった。そして何より、父母に甘やかして欲しかった。普通の子どものように生きたかった。
そんな子どもなら誰でも持つだろう思い。これが影を生んでしまった。
いつしかその影は、世界さえ恨むようになった。なにもかもが許せなくなった。
「分かるよ。私もきっと愛されたかった。自分を捨てた両親を恨んでいた……だから、それはいけない考えじゃない。恨んでも別に構わないことだと思う。罪悪感とか持たなくていいよ。だって、人は誰だって自由に生きる権利があるはずだ。だから、そんな顔しなくていいよ」
「っ……」
苦しいと叫び続けるような顔だった。自分が間違っているのかと迷う気持ち。自由になれないともがく思い。そんな気持ちさえ抱くことが悪いことのように思える世界。
「大丈夫。言いたいこと全部言おう。あのお姉さんみたいなお母さんには、ちょっと私も思うところあるし。父親は……うん。速攻で連行してくるよ。だからさ。二人で思いっきり文句言いな」
「二人で……?」
「そう。お兄さんと、本体ね。言ったでしょ? 同じ望みを持ってたはずだって」
「っ……」
目を見開く青年。そして、そろそろと立ち上がり、ファナの正面に立った。
「あの時の……腕輪をくれた……」
「うん。まあ、それは前世みたいだけど。思い出したよ」
「……いいのか……」
「ん?」
「……戻らなくても……いいのか?」
本体に戻るべきだと言ったのを思い出したのだろう。
「いいよ。ちょい大変だけど、維持させることも出来るでしょう。それに、本体とお兄さんとじゃ、言い分が違ってるかもしれないし? なら二人で存分に母親と父親に不満をぶちまけちゃって」
「……ふっ……分かった……思いっきり言ってやる」
「それがいいね」
そうして、ファナは空間を切り開いた。
「行こうか」
「ああ」
手を差し出せば、素直に手を重ねる青年。そんな彼の手を引きながら部屋に戻った。そこでは、目覚めて体を起こした少年姿のシィルがこちらを見ていたのだ。
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