170 落ち着かない
2017. 9. 27
ファルナとイーリアスの去っていく様子を青年はずっと眺めていた。苦しみは変わらないが、足掻く事が苦ではなくなったように思う。あの何とも言えない幸せそうな雰囲気に毒気を抜かれたのだ。
そこへ、青年と長く共に旅をしてきた奏楽詩人の男が近付いてきた。
「大丈夫か?」
「……ああ……」
青年は時折来る苦しみを、男から離れて耐えていた。みっともない姿を見せたくなかったのだ。そのため、今回も離れてここにいたというわけだ。
「どうした?」
「……俺は……俺だ……」
「……」
男はどういうことかと問うことはなかった。いつだってそうなのだ。お互いがそういう関係で、追及したりはしない。
目的のために助言や情報交換はするが、出した答えに口は挟まないと決めている。男には分かったのだ。青年が何か答えを出した事が。
ただ、あえて聞かないだけで、こちらから話してはならないわけではない。
「俺は……近々、本体に戻るかもしれない……けど、俺は俺だ。消えたりはしない。分かっていた……分かっていたはずなんだ……あいつは俺で、俺もあいつなんだ」
そんな答え、少し考えれば分かったはずだ。けれど気付かなかった。気付けなかった。それは影としての性質の問題だ。
光を疎むその思いはどこから来るのか。きっとそれは、分かたれてしまった事からくる不安。なぜ自分は影なのかと、本体ではない事を嘆く思い。
そして、最も憎むべき事は、影である自分は本体である者の事を知っているのに、本体が分かたれた事を自覚していない事だ。
こちらがいくら意識して、恨んでも、本体はそれを知らない。知ろうとしない。それがどうしようもなく悔しかったのだろう。
愚かな嫉妬だ。だが、自分ではその思いを自覚することができなかった。そう、今の今までは。
「俺が俺である事は消えたりはしない」
「ああ……消えないさ」
男は頷いてくれた。男だけは、青年の存在を肯定し続けてきてくれたのだ。だから、この言葉は力をくれる。けれど、同時に申し訳ないという気持ちが湧き出てくる。
「っ……悪い……あんたに最後まで付き合えないかもしれない……」
「構うか。それより、午後から天気が怪しくなってきた。早い所、宿を見つけるぞ。話す事もある」
「わかった……」
いつの間にか、空は雲が増えてきている。青年はようやく動けるようになった体を起こし、男の隣に並んだ。
道を行く二人の足下には、本来あるべき影は見えない。
青年に影はなく、男には薄い影はあれど、なぜかそこには背中にあるはずもない翼の形があった。気付かれぬように人気のない道を行くか、人で溢れる大通りを行くか悩み、結局人のいない道を選んだ。
そうして、二人は宿を探す。連れ立って歩く姿は兄弟のよう。けれど、こうして共に歩くことも近いうちになくなるのだ。
青年は本体へと還り、男はまた一人で大陸を歩き続ける。そんな日は、刻一刻と迫っているのだから。
◆◆◆◆◆
雨の中、馬車はこの先にある町へ急ぐ。ぬかるむような街道ではないが、馬車の速度はどうしても雨の日は遅くなる。
「ナナちゃん、大丈夫かな?」
そんな馬車に揺られ、ファルナはふと呟く。
「子どもではありませんし、あれは戦士。心配は無用です」
「うん……」
ファルナだって、ナナリアの強さは分かっているし、町まで護衛として送り届けてくれたのはナナリアだ。寧ろ、ファルナとイーリアスという護衛対象がいないのだから、行きより断然楽だろう。
進む速さも、きっと倍とまではいかなくても、かなり速くなるはずだ。それでもファルナが不安なのは、ずっと感じているもやもやとした嫌な予感のせいだ。
宿を取る予定の町まで、なんとか日が沈む前に辿り着くことができた。
一般にも開かれている食堂のある宿屋で、それなりに広い食堂には、雨であることもあり、早い時間からかなりの客が入っていた。
二人が夕食を取っていると、聞こえてきたのは王都へ向かっているという数人の怪しげな者達の目撃情報だ。
「そいつら、町や村で強いって言われてる奴らを、倒しているらしい……」
「戦うってことか? けどよぉ、相手にすんのは強いやつなんだろ? それって、それなりに名の売れた奴ってことだよな?」
「おう。片腕のギーリや、刀剣士のガイヤもやられたらしい」
「はぁっ!? どんな怪物だよ。あの二人をノシた?」
「まぁ、仕方ねぇって、奴ら数人で一人を相手にすんだよ。卑怯だよな。そんで、負けたガイヤ達は馬で引きずられてるらしい。もう、国も動いてると聞くが、姿が消えるらしくてよ。見つけられねぇんだと」
「なんだよそれ……マジで怪物か?」
そんなものがいて堪るかと酒を飲みながら憤る男達。
「……」
「姫様?」
ファルナは顔を強張らせていた。そんなものが王都に、父の元へ来たらと思うと不安で仕方がない。それに気付き、イーリアスがその顔を覗き込む。
「っ、ご、こめんなさい……」
イーリアスを心配させてはと、ファルナは顔を上げた。
「大丈夫ですよ。王はお強い」
「うん……」
分かっている。ランドクィールはおそらく、この世界で一番強い。そんな父が負けるはずはない。
すると、また男達の会話が耳に入ってくる。
「情報によると、そいつら、西の大陸から来たらしい。『自分は勇者だ』って名乗ったんだとよ」
「勇者? なんだそれ」
「俺も初めて知ったんだけどよ。西の大陸にある物語に出てくるんだと。悪を裁く正義の味方なんだそうだ」
「ははっ、お伽話かよ」
男達が今度は笑い出す。酒は充分入っているようだ。
「……勇者……」
「姫様、何かご存知で?」
「……父さんに聞いた事があるの。教会が認めるんだって……」
「教会ですか……あなたを流した」
「うん。碌な奴らじゃない」
今でも思い出す。教会で会った女。狂った目をしていた。自分が正しいと信じている狂者の目。あんな者がいる教会がまともなはずがない。
「倒さなきゃ。父様が危ない」
湧き上がってくる焦燥感。それを止める事ができない。早く帰らなくては。早く、ランドクィールの元へ。
それは、確実にランドクィールに近付いていた。
読んでくださりありがとうございます◎
卑怯な奴ららしいです。
次回、月曜2日0時です。
よろしくお願いします◎




