169 生き霊と影
2017. 9. 25
青年の額には汗が光っていた。
別に暑いわけではないはずだ。気候は素晴らしく過ごしやすい時節。暑くもなく寒くもなく、非常に快適だ。
そんな中で汗を流しているというのは異常だ。寒さを感じているのか体は震えているように見える。
「お兄さん、大丈夫……?」
声をかけながら、ファルナはこの青年から不思議な雰囲気を感じていた。
なんだか触れられそうにないのだ。
もちろん、怯えられるとか、邪険にされるとかそういったことではない。物理的に触れられないのではないかと思えたのだ。それはまるで……
「……影……」
思わず感じた事を口に出していた。すると、青年は驚いたように目を見開く。座り込んでいた青年は慌てて立とうとしたようだが、立ち上がれずに転びかける。それをファルナは咄嗟に支えようとした。
「ちょっ!」
ファルナの腕で青年を支えられるわけもなく、ヤバイと思った時、後ろからイーリアスが手を伸ばし、青年を助けてくれた。
「危ないですよ」
「ごめん、イー様……」
「気を付けてください。咄嗟の行動とはいえ、一緒に怪我をしては元も子もありません」
「そうだね。ありがとう」
イーリアスはファルナにとって、本当に祖父のような存在だ。甘やかすだけの父と違い、ダメな事はダメを言ってくれる。
「……おい……」
「ん? あ、ごめん、痛かった?」
そんな会話の間、ファルナとイーリアスは青年の腕を掴んだままだった。
「立たない方がいいよ。ここ、あんまりキレイじゃないけど座ってて」
「……」
ファルナとイーリアスが手を離す。青年は警戒しながらも強張らせていた体からは力が抜けているようで、そのまま力なく座り込んだ。
ファルナは鞄から方位磁針のような物を取り出す。
「それは?」
イーリアスがそれに普通の方位磁針とは違う表示を見て首を傾げた。
「これは、その人の状態を読み取る魔導具なんだ。私は薬師じゃないし、どれくらいの治療が必要なのか分かんないでしょ? これなら、重度やどんな薬なら効くのかが分かるんだ」
「なんとっ……そんな素晴らしい魔導具が……」
城勤めである実状、これを使う機会などなかった。城にはちゃんとした薬師がいるので、ファルナが関わる事はなかったのだ。
「え〜っと……んん? 壊れた? というか……診察対象が見当たらない事になってる……お兄さん……生き霊?」
「っ!?」
「生き霊……もしや、影ですか……一体誰の……」
そう呟くファルナとイーリアスを見て、青年は逃げようと、また一瞬体を浮かせるが、結局諦めたように座り込んだ。
「そうだ……俺は影……」
「影って?」
ファルナは知らなかった。
西の大陸では、彼のようなものを生き霊と呼んでいた。それも、触れる事も叶わないものだったのだ。
「我々は魔力が多い。それ故に西の大陸では生き霊と呼ばれる現象も実体を持つほど力を得てしまうのです」
「へぇ……凄いね。だってお兄さん、ちゃんと触れるし、声も聞こえる。生き霊は普通、透けてて触れないし、声も聞こえないはずだよ」
この大陸の者との違いがこんな所にも出るとは驚きだと笑う。
「それじゃぁ、お兄さんが苦しんでるのって……本体に何かあった?」
「そうですねぇ。それかもしや、本体に戻ろうとしているのかもしれません」
「えっ、それなら良いじゃん。一つだったものが分かれてるって時点で生き霊は良くないもん。お兄さん、戻ったら?」
「いやだっ!」
「っ!?」
本来、一つであったものが何らかの衝撃や事象で分かれてしまったのだ。だから、元に戻るのは良い事だ。それなのに、青年はそれを拒絶する。
「俺は俺だっ! あいつじゃないっ」
「……そっか……うん」
「え……」
ファルナがあっさりと頷いた事に、青年は呆然とする。
「だって、これだけはっきり存在してるんだもんね。お兄さんはお兄さんになってるって事だよねっ。それで問題ないなら良いよ。けど、お兄さんは今苦しそうだ。それはどうして?」
「それは……消えたくない……俺は俺のまま生きていたいと……抗っているから……」
そう、引っ張られるような感覚。存在全てが持っていかれるような感覚に抗っているのだ。それは、今現在、青年の元となった人物と再び一つに戻ろうとしているから。
「でもお兄さんは半分だ。半分のままじゃバランスが取れない。それじゃぁ、長くは保たないよ。ねぇ、お兄さん。お兄さんはどうして分かれてしまったの? 何かを望まなかった?」
「望んだ……俺が……」
ファルナは屈み込んで青年と向き合う。諭していると知られてはならない。けれど、この状態で抗い続けては本体も危なくなる。生き霊も影も元の人物の一部を持っているのだ。欠けたままでは生きられない。今生きていられるのは、まだその一部が同じ世界に存在しているからなのだから。
「望みは一つだったはずだよ。分かれる前の願いだからね。お兄さんはお兄さん。でも、お兄さんもその人であったはずでしょ?」
それだけ言って、自分が言えるのはここまでだとファルナは立ち上がる。
「そうだ。これお兄さんにあげる。お守りね。お兄さんの事は、私にはどうすることもできないけど、きっと答えが見つかるって祈ってるね」
「あ……ありがとう……」
「うんっ」
ファルナはお守りだと言って渡した腕輪を青年の腕にはめる。それから、イーリアスの手を引っ張り青年の前から移動した。
「よろしかったのですか?」
「仕方ないよ。本人が自覚しなきゃ意味ないもん」
「それはそうでしょうが……ところで、あの腕輪は何なのです?」
「お守りだよ。さっきからこっちを見てる人がいた。悪い感じは受けなかったけど、お兄さんみたいな存在を利用しようとしてるのがいるかもしれない。だから、お守りをね。生き霊って、精神が剥き出しになってる状態だから、色々影響されやすいんだ」
「なるほど……」
強い思念の塊でもあるが、あれだけ話ができるのだ。他人からの影響も多分に受ける。だから、自身の意志を守れるようにという願いの込められたお守りを渡したのだ。
「生き霊だって、貫きたい何かはあるんだよ。それを曲げられたら、戻れる時にも戻れなくなる。消滅したら本体も危ないしね」
「確かに……あなたは本当に物知りですね」
「えへへ。もっと褒めて」
「ええ。子どもは褒めて伸ばすものです」
ファルナとイーリアスは手を繋ぎながら、楽しそうに通りを歩く。その様はどこからどう見ても祖父と孫娘でしかなかった。
読んでくださりありがとうございます◎
彼らとの接触。
次回、水曜27日0時です。
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