160 嵐の中の魔女
2017. 8. 9
ランドクィールは思い出していた。それは、誰にも話した事のないとある人との出会い。
嵐の日の夜だった。もう二十年ほど前になる。その日、窓の外に突然その人が現れた。
周りは土砂降りの雨で、髪が巻き上がるほどの強い風が吹いている。それなのに、その人は濡れる事もなく、風に翻弄されるでもなく、優雅にバルコニーの端に腰掛けてこちらを見ていた。
「……誰だ……」
そう警戒しながら問い掛ける。窓を開ける事なく、外にいるその人の耳に届くとは思わない。それも嵐の時だ。室内はほとんど明かりもつけていないからあちら側から見えているかどうかも怪しい。
こちらからその人が見えていたのは、雷の光が明かりとなるほど頻繁に空を走っていたから。
しかし、その人は口を開いた。艶やかな赤い唇。深い漆黒の瞳は怪しげな光が宿っていた。
「異世界から来た魔女さ」
「……っ」
それはぞくりとする寒気と共にはっきりと聞こえた。
「怯える事はない。なに、お前の顔を少し見に来ただけだ。この世界での魔王というのに興味があったのでな」
「……それを信用しろと……」
絞り出すように告げたその一言に、その人は嬉しそうに反応した。
笑みを深めながら、ふわりとこちらへ飛んでくる。ガラス越しに話すつもりなのかと思えば、そのままその人は窓ガラスを通り抜け、部屋に入って来た。
「なっ!?」
驚愕して後退るランドクィールに、その人は構わず近付いてくる。あっという間に壁に追い詰められ、ランドクィールは息を詰めた。
ランドクィールの感じている緊張感など気にする事なく、その人は腕を組み、美しく尖った自身の顎を撫でる。そうしてランドクィールの顔を覗き込むように少々身を屈めた。
「ふふっ。確かに強いな。体に満ちる魔力の純度も高い。それに、契約をしたのか……力ある獣……それが繋がれる事を許すとは……お前……」
「な、なんだ」
自分は恐れてはいない。そう暗示をかけながら眉間に力を入れて睨み付ける。すると、その人は身を起こし、クスリと笑って続けた。
「いい奴だろ」
「え……?」
何と言われたのか理解できなかった。これにその人は首を傾げる。
「ん? だから、あれらに気に入られるんだから、お前はいい奴だろうと言ったんだ。だがやはり、どの世界でも魔族と呼ばれる者達は難儀だな。どうしても悪い印象を持たれる」
「は……はぁ……」
部屋を思案しながら歩き回り出した。
「まぁ、防衛本能が影響するのだろうな。卑小な人は、劣等感の塊だ。強さに憧れ、強さに恐怖する」
「……」
ランドクィールもそんな真理には辿り着いていた。だが、同じ考えを持つ者に出会ったのは初めてだ。興味深くランドクィールはその人の続く言葉を待つ。
「恐怖はやがて人々の心を蝕み、いずれ答えを出す。すなわち、その恐怖を排除すべきだと。そうして攻めたところで敵うはずもないというのに……当然、攻められた方は力によって正当な防衛行動を取り、人はこれに敗北する。そして、人々には恐ろしい者達だと認識される事になる。魔族は恐ろしく、自分たちを滅ぼすことの出来る邪悪な存在だと認識される事になるのだ」
「……」
「うむ。これが悲しい魔族という存在の作り方だ。手を加えずとも出来てしまうというのは素晴らしい事だが、それ故に浸透しやすい考えとも言えるな」
「……」
考察は終わりだと立ち止まり、今一度壁際に立つランドクィールへ目を向けてきた。
「そこでだ。お前はこの運命とでも呼ぶべきこの世の摂理についてどう思う。どう対策をとる?」
「なに……?」
そんな事を尋ねてくるとは思わなかったランドクィールは、一気に今までの話を頭の中で再生する。
こんな時、普通ならば混乱して何も言えなくなるだろうが、ランドクィールは違う。何より、この人を敵と思えなくなっていた。
「……大地が離れている以上、対策は難しい。恐れるものに対しての対策としては、そのものを知る事でしょう。しかし、知るには現実問題として離れ過ぎている。そして、寿命が違い過ぎるのも問題です。時とは有限。価値のあるものだ。それに人は敏感で、力の強さだけではなく、そこにも優劣を感じる材料がある」
ランドクィールはこの大陸の者の中で、最もそれを考えてきた。王であるからこそ考える。この大陸は、ランドクィールという一人の王の元にまとまっている。小さな小競り合いはあっても、兵同士を戦わせなくてはならないような事態は起きない。
戦争とは民達にとって苦痛なものでしかない。例え圧勝したとしても、同じ生きる者を殺したという事実はシコリとして心に残るのだ。
『民達を幸せに』なんて事は言わない。せめて、一人一人が思い思いに毎日を暮らせる国でなくてはならない。少しでもストレスを感じないで生きられる環境を整える。それが王の仕事だと思っている。
そのためには絶対に回避しなくてはならないのが戦争なのだ。そして、この大陸でそれが起こり得る状況と相手といえば西の大陸の者達だった。
「凝り固まった先入観でこちらを見ている者達には、話し合いなど望めないでしょう。話し合いとは、武力やその他の力が無価値だと双方が理解していなくては成立しない。可能性があるのは、双方が戦いを止めた後になる。だが、傷付いた者達がいる以上、納得の上での合意はありえない。あるのは妥協です。以降、作り物の表情でしか会話はできなくなる」
寿命の短い人々は、彼らなりに何かを残そうと必死になる。それは生存本能と同じだろう。
人は感じた事、思想、歴史を死ぬ前に次の世代へと語り継いでいく。それが事実を歪め、誤解を生むとは思っていない。
「人は誰であっても自分が正しくありたいのです。負けたならば、勝った方を酷い奴だと思い込む。自分に非はなく、仕方なく負けてしまったのだと思う。勝ったなら、負けた方がやはり間違っていたのだと思い込む。その思想はずっと語り継がれ、思いはその時を知らない、もはや無関係といえる者達に受け継がれ、その思想に染めていく。結果、彼らの中からシコリは永遠に消える事はない」
いつまで経っても平行線。その上、不満は溜まる一方。いつ裏切るかわからない。
「彼らと分かり合うのは不可能に近いでしょう」
それがランドクィールが長年考えて出した結論だった。
「ふむ、なるほど。良く考えている。だが、全て一般的な見解を考察したに過ぎない。人とは個だ。中には上手く働く者もいるかもしれない。それを引き当てるのは奇跡に近いだろうがな。だが、天文学的な確率であったとしても、それを信じてみるのも悪くはないと思わないか?」
「……どういう事……です?」
その笑みは、心底楽しいと思っているようで、ランドクィールには少々薄気味悪く見えた。
「もしも、あちらの大陸からたった一人、この大陸に流れ着いた者がいたとしよう。お前はどうする? 送り返すか?」
「……」
そんな事を考えた事はなかった。今までの調子で考えてみる。
「……もし、そんな事があったなら、私たちの事を知ってもらいたい……その者がどれだけの影響を与えるか知らないが、あちらへ帰った時、和平に働きかけてくれるかもしれない。それに……私たちもあちらの者達の事は知らない……だから知りたいと思う。出来れば、戦いなど無価値だと感じてくれるそんな人なら……」
あちらに、同じ思いを持つ者がいたらいい。そうランドクィールは心の底で願っていた。そんな人がもし存在していて、その人がこちらへ来てくれたなら、現状は変わるかもしれない。そう思った。
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この人が?
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