149 新しい土地へ
2017. 7. 3
涙で濡れた顔を水で洗い、落ち着いたファルナは、いざという時の為に用意されていたお金を、床の食料庫から取り出す。
「こぜにをいっぱい〜」
結構な大金が入っているが、大きな額のお金は使い勝手が悪いとグルムが言っていたのをファルナは覚えていた。
「おつりにこまらせちゃうもんね」
貴族相手でなければ、まず小銭だけで十分だ。
鞄は、背中に背負える小さいものを選んだ。大きな荷物は目立つ。ただし、これはファルナの母特製のものだ。
「これなら、一年分くらいヨユウで入るもんね」
異世界の魔術によって作られた無限袋。その名の示すのは、容量だ。無限に入るのではないかと思えるくらい、見た目の数十倍の荷物が入る。
ただし、その入り口に収まるものだけだ。
「タンスごとはムリだけど、ふくもぜんぶ入るかな」
取り出す時は手を入れてその物を思い浮かべれば良い。うっかり中にある物が分からなくなったら大変だ。全て取り出せる方法はあるが、場所に注意しなくてはならないだろう。
万が一、父グルムが戻って来た時に必要になる物は除けたつもりだが、あらかた家にあるものは入れてしまった。
畑の倉にあった食料はもちろん、小分けした水もたっぷり持った。外は野獣などもいて危ないので、武器も必須だ。
手にしたのは、こちらも母から送られたという守り刀。本来は持っている事に意味があるのだが、身を守れなくてはいけないからと実用も考えたものになっている。
「切れあじサイコ〜」
五歳の誕生日を目前に控えていた事で、グルムがしっかり研いでくれていたのだ。
「じゅんびばんたん! しゅっぱつ!」
ファルナは家を出る。昼間眠っていて良かった。真夜中を過ぎた時分でも眠くない。泣いた事で気持ちも多少晴れた。
一度、家を振り返る。ここに帰って来る事は考えてはいけないのだと、ファルナは幼いながらに理解していた。
「じゃぁね」
これが大人なら『今までありがとう』なんて言葉が出たかもしれない。けれど、ファルナがこの家で過ごしたのは、まだ数年。両の手で足りてしまう年数だ。
ファルナが分かるのは、父がいないならば、ここはもう安心出来る場所ではないという事だけ。戻って来るか分からない父を待ち続けるくらいならば、もう会えないのだと腹をくくって他の場所へ移り住む方が気が楽だ。
それは本能と直感。ファルナは父グルムによって一人でも生きられるように育てられた。母が戻って来なかったように、自分が居なくなっても生きていけるようにと、グルムは覚悟を持って幼いファルナを育てていたのだ。
ただ、想定していたその時が、これほど早くなるとは思っていなかっただろう。それでも、ファルナは人知れず村を出る。
「ちゃんと行ってきますってかいたし、いいよね」
長老の家の前に、ファルナは分厚い木の葉に細い小枝でキズをつけるようにして文字を書いたものを置いて来た。飛ばされないように石も置いた。
どこへ行くのかは書かない。拙い字で『村を出ます。ありがとう』とグルムに教わっていた言葉だけを書いた。これで村に迷惑はかからない。
「さよ〜ぅならっ」
向かうのはここより東北の町。グルムが連れて行かれたこの国の王都も越えた先。
毒の霧が覆う山の麓がいいだろう。
「北はあっち。あのへんなら、人がすくないもんね」
古くから毒の霧に怯え、人々は中々住み着かない。一度も山から下へ毒が流れてきた事がない事は、グルムに聞いて知っているのだ。
「それなのに、土はエイヨウまんてんなんだよね〜。リヨウしない手はないねっ」
グルムに教えられた知識は、確実にファルナが生きるのに役に立っていくのだ。
◆◆◆◆◆
数ヶ月が過ぎた。ファルナは、山の麓の町に住んでいた老夫婦の家に身を寄せていた。
毒が近くにあるという事で、この町で採れる全ての作物はほとんど売れない。自分たちの生活に必要な食料は十分すぎるほど確保できた。
しかし、売れないという事は収入がないという事。他の土地よりも遥かに大きく良いものができているというのに、風評被害というのは馬鹿げていた。
「こんなにオイシイのにねっ」
「ははっ、まぁ、口に入れるものだからなぁ。食べ物は気になるんだろうて。身を守ろうと思うのは人として当然の考えだ」
ここの人々は、完全にその現実を受け入れており、落ち込む事がないのが救いだった。
「そうねぇ。食べ物はダメでも、織物とかねぇ、カゴとかは良いんだから、矛盾してるわよねぇ。あれもお野菜の茎とか、ここで育った虫さんの糸とか使ってるのに、おバカさんよねぇ」
「でも、おバカさんたちのおかげで、こうしておいしいゴハンが好きなだけたべられるよ?」
「ルナは賢いなぁ。その通りだわい」
「うんっ」
ファルナは、ここではルナと名乗っていた。
これもグルムの言いつけだ。違う土地へ移り住んだなら、名前を変えろ。そう言われたのを、ファルナはしっかり覚えていた。
だが、別の名前を考えるなんて事は難しい。だから、どちらかと言えば、偶然に近い形だった。
単純に老夫婦に出会った時、迷いながらうっかり口にした名前を、彼らが最初の音を聞き逃したのだ。ならば、これで行こうと考え、それよりルナとして生きていた。
「ねぇ、そろそろブドウジュースできるよね? 今日とってもいい?」
老夫婦は、この町で唯一、果実を育てている物好きだ。
野菜すら出荷できないこの町で、手のかかる果実を育てようとするのは負担でしかない。しかし、本当に良く育つのだ。どの国でも嗜好品とされる甘い果実。売れたなら、かなりの金額を叩き出すだろう。
それを期待する事なく、それでも老夫婦が育てる訳は、町の人々のためだ。老夫婦の作る果実は、町の人々の最高のご褒美だった。
ファルナも当然同じで、特に惜しげもなく果実をジュースにするのが老夫婦流。しっかりとこれに餌付けされてしまったのだ。
「いいよ。ルナの言っていたお酒も試したいしねぇ。今日は葡萄と林檎の収穫、お願いするよ?」
「まかせて!」
こうして、ファルナは生き生きとこの町での生活を楽しんでいた。
読んでくださりありがとうございます◎
新しい場所で生きています。
次回、水曜5日0時です。
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