140 確実に迷惑です
2017. 5. 31
森の出口まで来ると、そこにひと角が待っていた。
木々の作る影がなくなる境界線。そこで立ち止まった影は、そっと咥えていた兎を地面に下ろす。
そして、ゆったりとした足取りで元来た方へ方向を変えて歩き出した。しかし、影は、ランドクィールとすれ違う時、立ち止まり一度その長い体毛で半ば隠れた目を合わせる。
その瞳に映った感情は読み取れなかった。再び歩き出した影。それからしばらくして周りの影に溶けるように姿を消した。
静かにそれを見つめていたランドクィールだったが、気持ちを切り替え、森の外へ向かう。
ひと角は、既に兎をリナーティスの前へ連れて行っていた。
先に戻っていたらしいノバは、運良く外で毒にやられた鳥を見つけていた。リナーティスはその鳥に薬を投与し、様子を見ている所だ。
「……どうだ」
しばらくしてそう声をかけると、リナーティスは頷いた。
「いけそうだわ」
先ほど薬を投与したばかりの兎も、状態が安定したようだ。正常な呼吸と鼓動が感じられた。毒の中和は出来ているらしい。
それではと、リナーティスはバルトロークに躊躇なく薬を飲ませる。ゆっくりと、それでもしっかり嚥下したのを確認して一息つく。ランドクィールもホッとした。
「毒が消えれば、あとは回復を待つだけか」
「ええ。ただ、回復薬はないわよ?」
「……え……」
今何と言っただろうかと頭で反芻する。答えを見つける前に、もう一度リナーティスが言った。
「だから、回復薬は手持ちにないわ。材料もね」
「なっ、なぜだっ? 薬師なのだろうっ? なぜ回復薬の一つもないのだっ?」
回復薬は薬師が売る最もポピュラーな薬だ。それがないとはどういう事なのか。その理由は、とてもリナーティスらしいものだった。
「だってぇ、面白くないんですものぉ」
「おもっ……」
すっかり普段の様子に戻っているリナーティス。仕事モードは切れてしまったようだ。
「そうよぉ。回復薬とかぁ、傷薬とかぁ、その辺の薬師が普通に作れるじゃなぁい。そんな普通の物を作るなんてトキメかないわぁ」
「……」
ランドクィールはキレそうだった。そこでノバが慌てて謝る。
「申し訳ありませんっ、母は、他人と同じ事をするのが嫌いでして……研究が好きなのです。だから、既存の薬に興味がなくて……すぐに買ってきますからっ」
「そっ……」
何だその理由は。ランドクィールは堪らず叫んだ。
「そういう問題ではないだろうっ!!」
こんなのが天才薬師と呼ばれているのかと思うと、他の薬師達に申し訳なさが募る。肩を怒らせるランドクィールに、ノバもおろおろと戸惑う。一方のリナーティスは、薬の効果に満足しているのか、ランドクィールに目を向ける事さえしない。
そこへ、一人の女性がやって来た。
「おや。珍しいじゃないか。リナちゃんが外にいるなんて」
「ユリさんっ」
「誰だ」
ノバが驚いたように顔を上げてその人の名を呼ぶ。ランドクィールは心を落ち着けるように、少しリナーティスから気をそらそうとそちらへ目を向けた。
その時には、ひと角はいつの間にか姿を消していた。どうやら、知らない人の気配で逃げたらしい。
そんな事は知らない女性は、快活な笑顔でランドクィールを真っ直ぐに見た。
「お客がいるのも珍しいね。それに、そこでひっくり返ってるのは、うちの子かい?」
「うちの子……?」
まさかと思った。だが、その笑顔に既視感を覚える。女性にしては背も高く、鍛えているらしい体付きも見て取れた。
「ああ。あたしはユリベル。この子の母親さね。シィル君達がどうしているか見に来たんだが、まさか息子がリナちゃんの実験体になってるとはね。はははっ」
「……」
笑い事ではない。
これがバルトロークの母親かと理解した所で、豪快なユリベルの笑い声を聞いたリナーティスがようやく顔を上げる。
「もぉっ、ユリちゃんったらぁ、さすがの私も、バル君を無条件で実験体にはしないわよぉ」
「ははっ、分かってるよ。ダメな母親で人としてダメなやつだが、ダメな薬師になってはいないはずだからな」
「ユリちゃん、ひどぉい」
はっきりと言うユリベルの様子から、気安い関係である事はよく分かった。しかし、ユリベルは分かっていない。
「……回復薬も常備していない薬師を薬師と認めていいわけが……っ」
間違いなくダメな薬師だ。
「ん? なんだい? もしかしてリナ、やっぱり籠ってたのかい。せめて緊急時用に回復薬と傷薬ぐらいは作れるようにしといてくれって、この前言ったはずだけどね」
「だってぇ。それを用意しておく場所がもったいないじゃなぁい」
「あれだけ広げといてよく言うね。そろそろ町の下まで到達するんじゃないのかい?」
「やぁねぇ。まだ遠いわよぉ」
「……」
こいつらどうしてくれようかと、ランドクィールは苛立ちを募らせる。自分はいつからこんなに短気になったのか。とにかく落ち着かなくてはならない。ランドクィールはこの場を少し離れられる事を思い出す。
「……ノバ、この辺りで回復薬を売っている場所は……」
「え、あっ、隣町まで行かないと……」
「なんだと!? この町にはギルドもないのか!」
「ありますが……母の住む町ですので、全ての薬が母の作った物だと誤解を受けるので、あえて置いていないのです……」
「どれだけ迷惑をかけるんだ!!」
ランドクィールはそう言って背を向ける。荒々しい歩みで少し離れると、黒霧を呼び出した。
「ラク様っ」
「すごぉい」
「おや、まぁ」
そんな声を背中に受けながら、ランドクィールは回復薬を求め、振り返る事なく飛び立ったのだ。
そんな様子を、密かにまだ幼い子どもが、子どもらしからぬと鋭い目で見ているとも知らずに。
読んでくださりありがとうございます◎
ダメな人で決定です。
次回、月曜5日の0時です。
よろしくお願いします◎




