137 頼りになるのかならないのか
2017. 5. 22
ひと角の影は、人も襲っていたわけではなかった。
外に出る事が出来なくなって、いばらに近付こうとした人々をそれに触れないように威嚇し、いばらのない中央へ追い立ていたのだ。
その威圧感と姿に人々は恐怖し、勝手に襲われているのだと誤解した。
そうして必死に逃げている様をひと角も誤解し、助けていたのだ。
ひと角が、自分の影を理解しなかった事で、ややこしくなっていた。
「獣? あらあら。ふぅ〜ん、そういうことぉ。それは困ったわぁ」
しばらく考え込んでから口を開いたリナーティスだったが、まったく困った感じに聞こえなかった。
すると、隣で聞いていたシィルが事情を把握したのだろう。呆れた様子で言った。
「それってさぁ、前に町のおっちゃんらから相談されたやつじゃねぇ?」
「シィル、何か知っているのか?」
ノバが問いかける。
「うん。少し前に、渡り鳥が数羽瀕死で見つかって、町のおっちゃん達が相談に来たんだ。森の外の事だったし、主様関係じゃないって思ったんだろうな。そんで、母さんに見せたら、助からないし、知らない毒だからあんま遺骸にも触んなって、母さん言っただろ?」
「あらぁ? そうだったかしら?」
「そうだよ……そんで、おっちゃんらが森の外は二日に一回くらい見回ってくれてんだ」
森の外で見つかれば、すぐに町の者が焼却処分していたようだ。
「そうだったのか。なるほど。森の中の異常は主の仕業の可能性があるから、町の者達は放っておいたということか」
「それで、外の異変は報告になかったのですね」
外でのその異変の報告があれば、調査の為、不用意に森に入る事はなかったかもしれない。
今回、調査隊は主のせいだと決めつけ、森の奥まで進んだ。けれど、異変が森の外にもあるのだと知っていれば、先ずは森の周辺から調査を始めていたはずだ。
そうなれば、毒の可能性に辿り着き、こうしてリナーティスに話を聞きに来たかもしれない。
「全部、主様のせいにするなんて、ヒドイ話だよな」
シィルが何気なくそう言ったのに対し、ランドクィールは目を細める。
「そうだな。あんな役に立たん子どものような主など、脅威の対象になるはずもないというのに……これは……まさか、それが狙いか?」
「ラク様?」
ランドクィールの独り言に、ノバが不安げに反応する。
「いや。ただの憶測だ。ただ……前にも同じような違和感を感じた気が……」
そうして、思案に沈もうとしたランドクィールだったが、リナーティスの視線に気付いて顔を上げる。
「なんだろうか」
リナーティスは真っ直ぐランドクィールを見つめていた。それは何かを見透かそうとするようなそんな光を宿している。とても今までの頼りない感じではない。
「主様が嬉しそうだった……」
「主? ひと角がどうした?」
「っ……そう……見つけたのね」
『主様』ではなく『ひと角』と聞いたからだろうか。リナーティスは不意に年相応な、大人の女性の慈愛に満ちた笑みを見せた。
「母上……?」
ノバが驚いたような声をかけた。すると、先ほどまでの表情が消え、普段通りの少女のような笑みに変わっていた。
「なぁに?」
「い、いえ……」
動揺しながら、ノバは気のせいだったかなと首を傾げた。
「……」
そんなノバからシィルへと視線の端を動かせば、シィルは呆れたという表情で紅茶を飲んでいる。
おかしな親子だと思わずにはいられない。少々このまま観察してみたい気もするが、今はあまり良い状況ではないのだ。気を取直し、リナーティスへ頼む。
「リナーティス。解毒薬を早急に作って欲しい。あるいは、あのいばらの生態を元に戻すでもいい」
少々、無茶を言っているのは分かっているが、対策は必要だ。それが出来るのはリナーティスしかいない。
これを受けてリナーティスはあっさり頷いた。
「いいわよ〜。実は、腹が立ったものだから、根元にやられた毒薬の解析をしてたのぉ。人が作った毒に興味なかったんだけどぉ、これがやってみると面白くってぇ」
「は、母上……?」
ノバは先ほどよりも動揺していた。
しかし、もう一人の息子であるシィルは予想していたようだ。
「やっぱりなぁ……地下を広げてる時点で、そんな気がしてたんだよ」
「あら、シィちゃん。何でまた広げたって知ってるのぉ? 今回は分かんないように奥を広げてたのよぉ?」
どうやら、廊下を伸ばすのではなく、部屋の奥まで広げていたらしい。
「そんなん、上で暮らしてれば分かるって。それにこの前、あの放浪親父が研究本をどっさり置いてったからな。その中に昔の毒薬がどうのってのがあったのが見えたんだ」
「父上が帰っていたのか?」
ノバがこれも初耳だとシィルに尋ねる。
「うん。ふた月くらい前だったかな。フラっと帰って来て、母さんに土産だって本置いてそのまま出てった」
「そぉよぉっ。私に会う事もしないでっ! もうっ、ヒドイでしょっ!?」
「え、ええ……」
どうやら、結構自由な父親のようだ。
「ううっ、思い出したら眠くなくなっちゃったわっ。作業再開よっ!」
「ちょっ、母上っ。ちゃんと休んで……っ」
ノバが地下へ向かって行くリナーティスを追いかけていく。それを見送っていたシィルが、ここで正直に話す。
「けどさ。親父、出てって正解だったと思うんだよなぁ」
「なぜだ? 夫婦仲は悪くなさそうだが?」
「うん。良すぎるぐらい良いよ。けど、今の母さん、毒の研究してるし、地下はもうごちゃごちゃしてる上に広がってるし、怖くねぇ?」
シィルもやはり苦労しているのだ。こうして他人であるランドクィールに悩みを打ち明けざるを得ないほどに。
本気で気の毒になる。
「……なるほど。家の中で行方不明になるという事だな」
ランドクィールは、これでも気を遣った。はっきりとシィルが危惧している事を口には出来なかった。それは、シィルの見た目のせいかもしれない。だが、子どもにしか見えないが、実際年齢は二十を過ぎた青年。気遣いは無用だったらしい。
「はっきり言って良いよ。母さんが地下で父さんを殺してても分かんないってさ」
こうまではっきり話されると、こちらも遠慮すべきではないだろう。
「……ちゃんと出て行くのは見たんだな?」
確認は必要だ。
「……うん……」
「間を空けるなっ。自信を持て!」
「待って、マジでっ。茶ぐらい用意してやろうと思ってあっちに行ってたら、キィラが行っちゃったって言ったからっ」
「それでは確実な所が分からないではないか!」
「……き、キィラは、ちゃんと外の扉を指差してた……うん。間違いなっ……い……?」
「疑問形にするなっ!」
必死で思い出そうとしているのは分かるが、そこは濁して欲しくない。
「仕方ないだろっ。なぁ、兄ちゃんも下に行ったんだよなっ。なら、臭いとかさ」
「そんなもの、薬草と土の匂いの中で嗅ぎ分けられるかっ」
「そこ頑張ってよっ!!」
「お前の母親だろうっ。聞いてみろっ」
「始終あんな、ぽやんとしてる人からちゃんと答えが帰ってくるはずないだろっ!」
「だから、お前の母親だろうがっ!」
珍しくランドクィールが声を荒立てる。こんな言い合いが、ノバが戻ってくるまでの間続くのだった。
読んでくださりありがとうございます◎
困った母親でしかありません。
次回、水曜24日の0時です。
よろしくお願いします◎




