013 隠せません
2016. 9. 6
ここがどこなのか、どんな状況なのか。分かっていても、気付いてしまった事に驚いて、バルドは思わず声を上げてしまった。
「あっ、すんませんっ」
「いえ。どうかなさいましたか?」
筆頭薬師は、不思議そうにバルドを見る。ノークの幼馴染である事も知っているし、バルドの事もよく知っているのだ。こんな時に、関係のない事を考えたりしないと分かっているはずだ。
「その……っ、そうだ。これっ、これが何の薬か分かりますかっ?」
「薬……ですか?」
「バルド。お前、こんな時に突然何を言い出すんだ」
困惑する筆頭薬師。その前に出てバルドを諌めるノーク。しかし、差し出した薬を目にして、二人はすぐに息を呑んだ。
「っ、な、なんでお前がこれをっ……」
「それは、ホート病の薬っ……執事殿っ」
「はっ、はいっ」
慌ててバルドの手から薬を受け取り、執事が鑑定に入る。
バルドは確信していた。ファナから貰った薬だ。これがホート病の治療薬だというのならば、それはプラチナかもしれない。
しかし、そう思ったら、一気に血の気が失せた。
「……しまった……」
出どころを間違いなく尋ねられる。そうすれば、ファナの事を言わずにはいられない。だが、信用されるだろうか。
ファナがいくら魔女の弟子であったとしても、まだ十代。薬師としては若過ぎる。
そんな事をぐるぐると考えている間に、鑑定結果が出たようだ。
「や、薬師様っ……その、鑑定が終わりました……」
この家の執事にはあり得ない震えた声。心なしか、その手も震えている。それを自分で気づいたのだろう。手にしている薬を、万が一にも零してはいけないと、ゆっくりと、慎重に机の上に置いた。
「そうですか。それで、どうなのですか?」
「はい…………ウ……です……」
「はい? 申し訳ありません。聞き取れず……ゴールドですか?」
必死で執事は震えを止めようとしていた。
筆頭薬師は、その動揺ぶりを見て期待していた。シルバーかゴールドだろうと。これでまた少し状況が良くなる。ゴールドならば、シルバーの三倍以上の効果がある。
今一度、子息の様子を確認する。これまでの経過や、回復状況から考えると、恐らくあとゴールドを三回ほど摂取できれば回復するだろう。
その一回になるのなら、その薬は希望だ。そうして、皆が見つめる中、執事が大きく息を吸ってから絞り出すように答えた。
「クラウンですっ……」
「……………………はい?」
薬師達の思考が停止した。その直後、鎧が擦れる音が響く。
「……バルド……?」
ノークが音につられてバルドを見れば、その場で屈み込んで頭を抱えていた。
「お、おう……ちょ、ちょっとマジで……あのバカっ……」
何て物を渡してくれたんだと、バルドは呆れを通り越して怒っていた。
そんなバルドとは別に、執事は自分の鑑定結果を信じてもらえなかったのだと思ったのだろう。反応のない薬師達に信じてもらおうと必死で答える。
「間違いありませんっ。私もはじめて見ましたっ。これは、プラチナ以上の出来ですっ! 嘘だと思うのでしたら、ギルドの鑑定師をお呼びくださいっ!」
執事自身、信じられないのだ。間違いなくプラチナ以上だと判定出来た。だが、クラウンなどというランクの判定は、生まれて初めて出したのだ。話には聞いていても、自分がそのような物を鑑定するなどとは考えもしなかったのだろう。
その時、呆然と響く声が聞こえてきた。
「それは本当なのか……?」
「っ、伯爵様っ」
扉を音も立てずに開けて現れたのは、伯爵だった。これまで文字通り走り回っていたのだろう。この場の誰よりも憔悴した表情を見せていた。
その伯爵が、一歩一歩、踏みしめながら執事の方へと近付いていく。これに、答えないわけがない。主の問いかけなのだ。執事として、今までとは打って変わったはっきりとした声で告げた。
「はい。間違いありません。これは、クラウン。最高ランクとされたプラチナよりも上の最上ランクの薬です」
「っ……ホルクっ、良くっ、良くやってくれたっ!」
「あ、いいえ。伯爵様。私が作ったものではありません」
「なに?」
はっきりと否定する筆頭薬師のホルクに、伯爵は喜びの表情を抑える。
「失礼。旦那様。私も確認させていただいてよろしいでしょうか」
「あ、あぁ。頼む」
誰もが動揺する中、伯爵に付き従って入ってきた家令が、改めて鑑定を申し出た。
「父上……お願いします」
「うむ……」
執事は、父である家令に場所を譲る。そうして、またしばらく沈黙が支配する。
「……どうだ?」
「はい……間違いありません。クラウンです。これの見立てに間違いはありません」
ほっと空気が緩む。
「ありがとうっ。ホルク、頼む」
「はいっ。すぐに」
薬を受け取り、子息へ飲ませる。幼いまだ十歳にも満たない子ども。布に湿らせ、ゆっくりと吸わせるように飲ませた。
飲み終わる頃。その表情はとても穏やかなものに変わっていた。呼吸も安定し、目に見えて湿疹が消えていく。
「……もう、大丈夫です……」
「っ、そうかっ、よかったっ、よかったっ……」
伯爵はベッドに縋り寄り、息子の手を握る。ともすれば、命を落としていたかもしれないのだ。
子を愛する親として、今の喜びは計り知れない。
薬師達も一様に安堵の表情を見せていた。しかし、ノークだけは違った。静かにバルドへと歩み寄って行く。
屈み込んだままだったバルドは、ビクリと身を強張らせた。
「バルド……あれを、どこで手に入れた」
「っ、え、え〜っと……」
汗が止まらない。ノークを見られない。顔を上げてはいけないように思えてならなかった。
「バルドっ、言えっ! どこで、誰から手にいれたんだっ」
「っ⁉︎」
胸ぐらを掴まれ、引っ張り起こされる。とても数日間、ろくに寝る事もなく憔悴していた者の力ではない。
「ま、待てっ。だ、だいたい、俺は冒険者だぞ。以前、旅の途中で貰ったんだ」
「そんなわけあるかっ。仮に貰ったとしても、ここ数日の間のはずだっ。お前が、何の薬かも分からないものを、後生大事に持って歩くはずがない」
「そっ、それはっ……」
確かに、仮に薬を旅の途中で貰ったなら、次に立ち寄った町のギルドで鑑定して貰っている。何より、傷薬ならばまだしも、使う事がなさそうなホート病の治療薬ならば、金に変えているだろう。
ノークは良くわかっている。
「誰だっ。この町にいるのかっ。どこであれを手にいれたんだっ」
「うっ……」
どうすれば良いのか。目を泳がせ、必死でこの後の対処を考えるバルド。そこで、伯爵が駆け寄り、胸ぐらを掴んでいたノークの手を押さえる。
「ノーク。手を離しなさい」
「っ、失礼いたしました。取り乱しまして……」
「いや。私も気になるんだ。君達の方はその比ではないだろう」
これはいよいよ持ってマズイ状況だ。
バルドに向き合うように立った伯爵は、真っ直ぐに見つめて言った。
「教えてくれないか? 私は礼をしたい。息子の命を助けてくれたんだ。それ相応の礼をするのは当然だろう?」
「そ、そうですね……」
「貰ったのが君ならば、君に礼をすればいいのかな」
「いっ、いえっ、俺はあの子に貰っただけでっ」
「あの子?」
「あっ」
焦ってつい出てしまった。
「おい……まさか、あの子って……」
ノークは信じられないというように目を見開く。だが、確信したはずだ。バルドが『あの子』と呼ぶ者が誰なのか。
「ノークも知っているのかい?」
「はい……ギルドで会った……少女です……でも、あり得ない……」
そこで、ノークのあまりにも絶望した様子に、伯爵も口を閉じる。
しかし、その時、薬師の一人が手を挙げた。
「あの。ノークさん。僕ら、見ました」
「……何をだ?」
焦点の定まらないノークがゆっくりとそちらへ顔を向ける。その先にいた薬師達は、頷きながら続けた。
「バルドさんが連れ出した人が作っていた薬。それが机に並べてありました。大量の傷薬の中に一本。あれがあったんです。気のせいかと思ったんですけど……だから、多分、あそこで作ったんだと思います」
「僕も、捨ててあった薬草のクズが、同じだったんです。その時は、余分に材料があったかなと疑問に思ったくらいで……」
「僕も見ました。きっと、子息様以外にもホート病に罹った子がいて、その依頼を受けた薬師なんじゃないかと思ったのですが……」
「ちっ……」
「……まさか……」
薬師達を侮っていた。バルドは、あの薬の中にそれがあった事など知らなかった。だが、しっかり目撃されていたらしい。これでは逃げ場がないではないかと、バルドは天を仰ぎ、大きなため息をついたのだった。
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