001 卒業試験
2016. 8. 21
かつて、この世界では、邪悪な魔王が遥か東方からやって来て、世界を血に染め上げた。
幾度となく勇者と呼ばれる力ある者達が戦い、人々は国をあげて魔に抗った。
そうして、なんとか大陸を取り戻し、人々は平和な生活を手に入れたのだ。
だが、魔の者達は遠く離れた大陸で生きている。人々は、また攻めて来はしないかと戦々恐々としていた。
そこで年に一度、聖女として育てた少女をその大陸へと船で流し、魔王への供物とした。
これによって、魔王の心は慰められ、平和が約束されたのだった……。
【シールス大陸記より】
「馬鹿な伝承……」
少女は、手にしていた書物を閉じ、本棚から出した他の書物と合わせるとそう呟いて紐でくくる。
それを同じように、大量の書物を棚から片付けながら聞いていた老婆が笑う。
「ひっひっひっ。人とは愚かで馬鹿な生き物なのさ。だかな、書かれた真実など、都合の良い目線で見たものでしかない。それは、彼らにとっては真実だが、世界の事実ではない事が多いな」
「相当いいかげんだね。何も信用できないよ。師匠は、そんな人の世が嫌で、こんな場所にいるんだ?」
「よぅ分かったのぉ。正解じゃ。どこの世界でも同じじゃからのぉ」
「ふぅ~ん。ただ、世捨て人な生活が気に入ってるだけかと思ってた」
「それも否定はせんよ」
少女が師匠と呼ぶ老婆は、師匠らしいからと、老婆の姿をしているが、その姿は偽りのものだ。
気分次第で姿を変え、男性にもなり、子どもにも、美しい女性にもなる。
彼女は魔女。それもこの世界の者ではないという。長い長い年月。様々な世界を渡り歩き、世界を観察してきた者。
時に弟子を取り、知り得た技術を継承し、それがその世界にどのような影響を及ぼすのかを楽しむ。
ただし、彼女は自身にある決まりを課していた。
「ひっひっひっ。さて、そろそろ卒業試験といこうかのぉ。三日後には我はこの世界を発つでな」
「本当に行ってしまうんですか?」
「うむ。この世界に来て、ファナ……お前を見つけ、弟子にして六年か。早いものだのぉ」
彼女は、一つの世界に十年滞在する。そうして、例え世界の危機が訪れ、力を望まれようともそれらを無視して次の世界へと渡っていくのだ。
「はじめてじゃ。これだけ長く、最後まで弟子と共に過ごしたのは……」
「師匠……」
「正式に弟子にしたのも、お主が二人目じゃよ。じゃからのぉ、最終試験は厳しいぞよ!」
「っ、はい!」
今年十二歳になった少女にとって、この魔女は尊敬する師匠であり、親だった。別れは辛いが、これも彼女の弟子としての大切な儀式だと思えば誇らしい。
ファナは六歳の時、生まれ育った家の使用人によって森の只中に置き去りにされた。今思い出してみれば、その使用人は辛そうな顔をしていたように思う。
『ここに居てくれ』
その言葉が震えていたのを不思議に思ったものだ。捨て置かれるなど考えもしなかった。
家を出る時、両親の表情が冷たかったのを覚えている。貴族としての生き方に誇りを持っていた両親は、普段からとても厳しかった。何か怒らせるような事をしたのだろうかと不安に思ったものだ。
そんな中、言い渡されたのは、森にある薬草を摘んで来いという不可解な初めてのお使い。それは、娘を捨て置く為の口実だった。
使用人と別れてから、日が暮れるまでの半日、森の中を彷徨い続け、不安と涙でボロボロになったファナを助けたのが師匠である魔女だ。
二人で暮らしてきたのはこの世界でも珍しい高い山の山頂。この山には、魔力を持った凶暴な魔獣と呼ばれる生き物が棲息しており、人は殆ど誰も近付かない。
《魔女殿。ここらの獣達の退避は済ませた》
そんな山を統治するものがいた。普段は周りを怯えさせないようにと魔力を抑えるために可愛らしい子猫の姿をしている。
普通の猫とは違うのは、その尻尾が二股に分かれているという事と、瞳の色が右が金、左が銀と珍しい色をしているということ。そして、人の言葉を解し、話せるというところだ。
「おぉ、さすがはシルヴァじゃ。では結界をば」
シルヴァと呼ばれた光を反射するほど真っ白な子猫は、魔女の後について小屋から出てきたファナと呼ばれる少女の足下に座る。そうして、ファナへと声をかけた。
《主。我は手を貸せぬらしい。頑張られよ》
「えっ、マジ? なんか、嫌な予感がするんだけど……」
《うむ。張り切っておられるな。あれ程の力を結界に込めるとは……一体何が出てくるのか》
試験は魔女が用意した魔獣を退治するか屈伏させる事だという。
ファナは、その辺の魔獣には負ける気がしない。ここのヌシであった大陸でも三強と恐れられるシルヴァをも、十歳の時に屈伏させ、主と認めさせたのだ。
今や、魔獣相手に戦える冒険者や国の戦士にも圧勝出来る力がある。恐らくファナは、大陸一の実力者。異世界の魔術や武術をも、ものにしてしまったのだから当然といえば、当然だった。
そんなファナであるからこそ、魔女が今、驚く程の強者をこの場に召喚しようとしているのが分かる。
「尻尾揺れてる。楽しんでるでしょ……なんかさぁ、いつもより結界に高さがあると思わない?」
ファナは魔女の張る結界の範囲を見極めようと空を見上げた。それにつられてシルヴァも上を向くが、すぐに慌てて魔女へと視線を戻す。
《確かに……っ!》
「うわぁ~……なんか大きいのが来るね……」
シルヴァは揺らしていた尻尾をピンと立て、堪らず本来の姿に戻る。その姿は銀に輝く獅子だった。
《グルルルルル……っ》
「シルヴァ……」
毛を逆立て、牙を剥く。その警戒っぷりにファナも気を引き締めた。やがて、魔女の展開させた巨大は魔法陣からそれがゆっくりと姿を現す。
「……マジ……?」
今はまだ魔女の張った結界らしき雷電の檻に閉じ込められているが、その姿は小さな山程もある巨大なドラゴン。それも、三つの長い首が見て取れる。
「……し、師匠……?」
「ひっひっひっ。どうじゃ! これぞ凶暴で手がつけられないと、匙を投げられたドラゴン! え~……なんという名前じゃったか……うむ。なんとかドラじゃ」
「何とかドラって……」
たまに色々といいかげんな所がある。それは知っていたが、何かも分からないものをずっと封印していたというのは呆れたものだ。
「細かい事は気にするでない。ミツクビドラでどうじゃっ。問題ないじゃろう?」
「えぇ、そこの所はどうでもいいです……」
気にすべきは名前ではなく、その存在自体だ。
「師匠。どこから連れて来たんです?」
「忘れた」
取り付く島もないとはこのこと。
「な、なら、どうして倒さずに封印していたのですか?」
「それは簡単な事じゃよ。倒せなんだのでな」
「……はい?」
倒せなかったと言わなかっただろうか。間違いなく世界で最強。異世界を渡り歩く程なのだから、異世界全てを見ても強者と言えるはずの魔女が倒せなかったと言った。
「し、師匠……師匠でも倒せなかったものを、どうするんです?」
当然、師匠である魔女よりも、弟子であるファナが強いわけがないのだ。倒せるはずがない。
そんな事は魔女も分かり切っているだろうに、告げた言葉はあんまりなものだった。
「為せば成る」
「成りませんって!」
無理なものは無理だと反論するファナに、魔女は真面目な顔で言った。
「ファナっ。お主は我の最高の弟子じゃ。出来ぬはずがない。我はそう、信じておる」
相手がそのドラゴンでなければ、心を打たれる状況だ。しかし、間違いなく場違いだった。
「師匠……ほだされませんよ? 無茶なものは無茶なんですっ!!」
「バカ者っ。ここは素直に頷いておく所じゃろう! えぇいっ! 問答無用で開始じゃっ!」
「ちょっ、師匠っ⁉︎」
《《《グガァァァっ》》》
容赦なく三つの首を持ったドラゴンは、ファナの前に放たれた。
「どうしろってぇのよぉぉぉっ!!」
卒業試験という死闘は、それから魔女がこの世界を経つ日までの丸三日間続いたのだった。
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