第八十五話 人生相談
緩やかな風が吹き、隙間からテント内に吹き込んでくる。
俺はその風を頬で感じて……目を開けた。
テントの中には光源の類は一つも無く、俺の視界に映ったのは薄暗いテントの天井部分だけ。起き上がりテントから出てみると、外はまだ真っ暗だ。周りには幾つものテントが張られており、辺りは静寂が占めている。
五日前、ストレア王国王都を出発したおよそ五千五百人の軍勢は魔法による補助効果も相まって全体行程の三分の一を消化した。その一員である俺は空間魔法で自分の家に帰るような事はせず、軍に帯同する形で寝泊まりをしている。それはみーちゃん達勇者組も同じ。唯一の例外がエスラドの姫であるニーナ。彼女はグリモアの街のダンジョンに留まり、直前までMP回収に勤しむらしい。俺も一日に数回ダンジョンへと飛んでニーナを手伝ったり、ダンジョン内での戦闘訓練に取り組んでいる。
そして……やっぱり俺はこの五日間、みーちゃんと言葉を交わしていない。
このまま、俺はもうみーちゃんと言葉を交わす事は出来ないんじゃないか。一生、彼女とは――そんな嫌な想像が脳裏を過った。
「やばいな……これ……」
きつい。視界が霞みそうになる。
上を見上げて、漏れ出しそうな涙を堪える。こんな所で夜中に泣いたなんて……恥ずかしい。情けない。だから、我慢しなきゃ。
「何そんな辛気臭い顔してんのよ」
「エレーナさん……」
俺が寝ていた物とは別のテントから顔を出したのはエレーナさんだ。
大きな胸を惜しげもなく晒す、下着も同然の寝巻のまま俺の隣へとやって来て座り込む。
「辛気臭いって何ですか」
「言ったでしょ。ユートの顔の事よ。元からだから直しようがないでしょうけど」
一言余計だよ。
俺はさっきまでのきつさも合わせて、不貞腐れる。
そうしないと、俺の中で何かが壊れてしまいそうで怖かった。
上を向いて、涙を噛みしめ続ける。
「――で、ユートは何をそんなに哀れな表情をしているのかしら?」
「それ、言わなきゃダメですか?」
「ずっと同じ馬車の中で哀愁漂わされていると、テンション下がっちゃうのよ。周りに影響与えていることも少しは自覚してほしいわね」
「……すみません」
そこまで言われてしまえば、こちらとしても返す言葉が無い。
「分かればいいのよ。分かれば」
「はぁ……」
うんうんと頷き、どこか納得したような様子のエレーナさん。そんな彼女を見て俺は溜め息。
「さぁ、それが分かったらさっさと話しちゃいな。さもなくば、これ以上辛気臭い空気を撒き散らさないように解体しちゃうわよ?」
「分かりましたって!」
そんな理由で解体されては堪らない。すぐさまに白旗を上げる。
「よし。ほれほれ、吐いちゃいな」
「それ、完全に酔っぱらいの絡み方ですよね……」
よく注意すれば、エレーナさんからは強烈な酒の臭いがする。晩御飯の時にでも飲酒したに違いない。それも、結構多量に。テンションもいつもと比べればどこかオープンすぎる気もするし。
(まぁ、そっちの方がいいのかもしれないけど)
これだけ強く酔っぱらった時に聞いた話なら、明日になれば忘れているだろう。
なら、今、ここで人生相談してもらうのも悪くないかもしれない。
そう思い直した俺は、自分の悩みをエレーナさんに打ち明けることにした。
「みーちゃんに質問されたんです」
「ほう。どんな?」
「『……ユウ君は誰を見てるの? 何を見てるの?』って言われました。……んで、それ以来、なんかみーちゃんとの仲がギクシャクしちゃってて」
「それで落ち込んでいる……と」
「そんな感じです」
「なーんだ。唯の青春か。うざいわねぇ……いっそ滅びればいいのに!」
「理不尽すぎるでしょ。全世界の青春真っただ中の人達に謝ってください」
俺のツッコミに『冗談冗談』と返し、エレーナさんはどこからともなく酒瓶を取り出した。そして、同時に取り出した盃を自分が持ち、酒瓶の方は俺にズイッと突きだす。
「注いで」
「今、酒を飲む必要ってあります?」
そう質問しても尚、突きだされる酒瓶。
「……ほどほどにしてくださいよ?」
「分かってるわよ」
どうやらこちらの意見を聞き入れるつもりは無いらしいという事を理解した俺は、渋々酒瓶を受け取って開封。中身の薄桃色の酒をエレーナさんの持つ杯に注いだ。辺りに広がるアルコールの臭いが僅かに鼻を突く。
並々まで注いだ酒を一息で飲み干し、エレーナさんは『ぷはぁ』と喉を鳴らす。その様はまるで酒場でやけ酒を起こしている男のようだった。
更に、
「ユートも一杯いっとく?」
と、俺に酒を進めてくるのだから余計に質が悪い。
無論、そのお誘いは厳重に断っておく。
この世界では十五歳から元服とされ、同じく十五歳から飲酒は解禁され、既に十六歳である俺はこの世界の基準に照らし合わせるなら十分に飲酒できる年齢だ。だが、二十歳まで飲酒は禁止だった日本で育った俺としては、『未成年』の飲酒にどうしても拒絶感を覚えてしまうのである。
「あー、そういえば、ユートやミヤの世界って、二十歳からの飲酒解禁だっけ? 夢も希望も無いわねぇ」
「酒だけが夢と希望って事ですか、それは」
「大人の特権って事よ。酒飲めない人生なんて、魔法撃てない魔法師も同然だわ」
「分かりにくい例えをありがとうございます」
「ま、そんな事はどうでもいいかしら。無駄な話に無駄な時間を使っちゃったわね」
「その話の発端って、エレーナさんなんですけどね」
「で、さっきの相談の回答だけど……」
自由すぎるな、エレーナさん。いや、その事は既に承知してたんだけどさ。
俺は心の中で嘆息を漏らしつつ、エレーナさんの言葉に耳を傾ける。
エレーナさんは一度言葉を区切って杯を空ける。
どこか懐かしい物を思い出すかのような、遥か遠くを見つめるような視線を夜空に向けながら話を続けた。
「私から言えることは唯一つ。『悩め。若人よ』」
「は……?」
「あら、よく聞き取れなかったかしら?」
「い、いや……聞こえはしたんですが」
あんなに大掛かりな前置き――酒を注がせる等――をした割には……随分と簡素すぎるのではなかろうか。勿論、アドバイスを頂戴する側の俺がそんな文句を言える立場では無いって事は重々承知はしてるんだけど。
そんな風に考えを張り巡らせる俺の横で、エレーナさんは――微笑を浮かべた。
「深い意味なんて特に無いわ。言葉そのままの意味。分かりやすいでしょう?」
「言葉そのままの意味なら、エレーナさんは俺の悩みを丸投げしたって事ですよね」
「元々ユートの悩みを私が解決する義務も無いでしょ?」
まぁ、それは確かにそうだ。ぐうの音も出ない。
「それに、これは『丸投げ』じゃないわ。『先送り』っていうのよ」
「人はそれを纏めて、『責任転嫁』っていうんですよ」
「そうだったかしら?」
俺のツッコミに、自分で盃に酒を注ぎながらとぼけて見せる。
そんなエレーナさんに対して俺は「そうです」と返しておく。
まぁ、この状況でエレーナさんが俺の言葉をまともに聞いてるとは思えないけど。
「まぁともかく、悩み抜きなさい。今回の問題ばかりは、他人から答えを得たのでは意味がなさすぎるもの」
「それでもし、俺が答えに辿りつけなかったら?」
「ユートのミヤに対する想いはその程度だったというだけの事よ」
「それは厳しいですね……とても」
「得てして、世の中ってのはそういうもんよ」
恐らく、エレーナさんが言っている事は――正しい。この上なく正しい。酔っぱらいなのに、間違えようも無く正しいのだ。
だからこそ、逃げ場がないその言葉は心に深く突き刺さる。
(容赦ないな……ほんとに)
あまりの現実の生々しさに嫌になってきそうだ。
飄々とそれを宣うエレーナさんもその印象を強い物にしているように思う。
『良薬は口に苦し』とはよく使われる諺だけど、俺にとって今回の良薬は苦味が強過ぎるかもしれない。
「最後に一つだけアドバイス」
いつの間にか酒瓶を空にしたエレーナさんが再びしゃべりだす。
「今のミヤを見てやりなさい――そして、そのミヤを受け入れてあげるの」
ユートなら、それが出来るはずよ。と、エレーナさんは言う。
「それは……どういう?」
「その時になったら分かると思うわよ――案外もうすぐかもね」
「はぁ……」
その時、エレーナさんの言っている意味がよく分からなかった俺は曖昧な返事しか返すことが出来なかった。
――しかし、そのエレーナさんの言葉通り、あの出来事は起こる。
それはある意味『必然』の出来事だった訳だけど……とりあえず、それはこの日から三日後。
王都出発から八日が経ったときの事だった。
次回、事態が急変――すると思います。きっと。
それにしても、二章の終わりが中々見えてこない……今年中に本編完結させられるか、怪しくなってきました……(一月にも拘らず、若干あきらめムード)
今回も読んでいただき、ありがとうございました!
次回もよろしくお願いします(*´ω`*)




