第七十八話 何度でも
その日の午後、俺はギルドへと顔を出していた。
「――そうか。まぁユートが転生者だと気づいた時からこんな事になるだろうことは想像出来ていたさ」
俺が戦争に同行する為、しばらくグリモアの街を留守にするという事をアリセルに伝えると、やれやれと言った様子で言葉が返される。
ちなみに、現在俺とアリセルはギルドマスターの部屋で二人きりだ。無論、二人きりだからと言って何か『マチガイ』が起こるはずもなく、お互いテーブルの対面のソファーに腰かけ、優雅に紅茶を啜っていたりする。
「すいません、ダンジョンが出来たばっかの大事な時期なのに店を休業させてしまう事になってしまって」
ダンジョンが出来たことによって、この町にはそれなりの数の冒険者が集まってきている。それと同時に、現在グリモアの街では今までの日では無いくらいにあらゆる物資が大量に消費されている。
当たり前だ。冒険者も結局は人。その人が集まるという事は、それだけ物資を求める人数が多くなるという事なのだから。
俺が調合して売っているポーション類も、そんな人々が求める重要な物資の一つ。
冒険者が怪我を負った時の応急処置として服用するのは勿論のこと。一般の人々も家に一本はストックしておいて、何かあった時に活用している。
しかし、基本的にポーション類の効果が望める期間は調合されてから一か月ほど。その期間を過ぎればポーションは無色透明となり、効能を失ってしまう。その為、一般の人々も一か月に一回は家にストックしているポーションを買い替えるためにポーション屋を訪れている。
とは言え、俺の店に売られているポーションというのは他の店のよりも効果が高く、その分値段が少々高めだ。一般家庭がストックするポーションなら他の店の物でも十分だし、少し高めの値段がネックとなって、初心者冒険者には多少手を出しにくい物となっている。
勿論、ある程度の稼ぎがあれば十分俺の店のポーションにも手が出せるし、実際、ある程度の高ランク冒険者ともなれば俺の店を利用することは多くなる。
最近のグリモアの街では、俺の店のポーションを継続して利用できるようになれば一人前という暗黙の了解的なのもあるらしい。俺のポーションがそれなりに認められているという事なんだろうけど……どこか反応に困るところだな。
まぁそれはそれとして。
そんな状況の中、それなりに売り上げを上げている俺の店が休業になる事になれば、それなりに大きな影響が出ることは間違いない。なので、この町の治安を司っているといっても過言ではないギルドマスターに一言断りを入れておくというのは至極当然の事だろう。
「まぁ、最近はダンジョン効果によってそれなりにポーションの調合技術を持っている者がこの町に入ってきているのは確かだ。そしてその中には、調合魔法を扱えるものだっている。現在、ギルドで確認しているのはお前以外には二人だけだがな」
だから、多少この町を離れても俺が危惧しているほどには影響は出ないと語るアリセル。
「だが、その二人に関しても、一日に販売しているポーションの絶対数は遠くお前に及ばない。だから、出来るだけ早くこの町に戻ってきてくれると嬉しい。あと、自分の命は大事にしろ」
「了解です」
こういう風に他人をさりげなく心配しているところ見ると、このアリセルと師匠は義理ながらも根本的なところは『本当の親子』なんだなと感じる。
(まぁそれだけ――師匠の性格に似るくらい、ギルマスは師匠に大切に育ててこられたんだろうな)
あの地味に人見がいい師匠だ。そしてアリセルを拾ったという時期は、師匠の一人目の弟子であるシュレーゼさんが殺されてから5~7年程経ったころだったはず。それぐらいの時間が空けば、師匠の精神はそれなりに安定しているはずだ。かくいう俺がそうだったしな。師匠にとっても、子供を育てるという行為は、心の隙間を埋める良い精神療法だったに違いない。
(ただ……師匠の適当な感じだけは引き継がれなかったらしいけど……それは良かったな。本当に)
もし、師匠のような性格の人間がもう一人いて、それにも絡まれていれば俺はツッコミのし過ぎで発狂していたんじゃないだろうか。あり得そうで怖い。
「どうかしたかユート。顔色が悪いぞ?」
「いえ、唯、自分の身の幸運を感謝しているだけです」
「……?」
アリセルは俺の言葉に首を傾げているが……まぁいいだろう。
それに『たらればの話をしても意味がない』と言うが、それがネガティブな方向であれば尚更だ。自分からテンションを下げる必要もないし。
そんなくだらないことを考えつつも、腕時計を確認。針は既に十五時を指している。
そろそろダンジョンマスターの部屋へと行き、ダンジョンへと挑戦しにくる冒険者達を弄ぶ……もとい、迎え撃つ時間だ。決して、冒険者を罠にかけるのが楽しいだなんて思っていたりしない。
アリセルに用事で辞する事を伝え、席を立つ。
「おや、もう行くのかな?」
「俺にも色々とやらなくちゃいけない事があるんっすよ」
「ほう……”色々と”ねぇ」
「はい、”色々と”です」
俺の言葉に、アリセルがニヤリと笑いを浮かべる。
どうでもいい事だけど、その笑みはどこか師匠に通じるものがある。そんな何気ない所で師匠とアリセルは親子なんだなぁと感じた。
「まぁいいだろう。とりあえずこっちの事は気にせず、自分の成す事だけに集中して来ればいいさ。あと、体の調子には気をつけるんだぞ」
「分かってますよ」
明日は俺にとっては重要な、コウタとの模擬戦が控えている。
「とりあえず、俺は自分にできることをやりきるだけです」
俺は弱い。途轍もなく、途方もなく――弱い。
この世界の中では俺という存在はちっぽけで、吹けば飛ぶような存在でしかない。
この世界の理不尽さが『その気』になれば、俺はあっと言う間に死に絶えるんだろう。
――けど。そんな弱くて小さな俺だとしてもできることはあるはずだ。
今はそのできることに全力を注ぐだけである。
(『泣くのも笑うのも全部終わった後にしやがれ』って師匠も言ってたしな)
師匠の名言(?)を思い返しつつ、強気に笑う。そんな俺に対してアリセルは、
「そうだ、それでいい」
と、やはりどこかニヒルな笑いを浮かべて言葉を返すのだった。
時計の針はあっと言う間に進み、一つの夜を超えた。
グリモアの朝はいつも陽気だ。ここ最近はダンジョンが見つかった影響で冒険者が増え、それなりに騒がしくなっているものの、それでもこの町独特の『一体感』が損なわれる事はない。
「しばらくはこの町ともお別れか……」
そんな街の様子を家の中から窓越しに眺めつつ、俺は感慨深げに呟く。
今、俺は自分の家の店舗部分で持って行く調合品を選別し、アイテムボックスに突っ込んでいる所だ。ちなみに、国から依頼されたポーション類は既に納品を済ませてある。
「さて、次この光景を見られるのはいつになることやら……」
「もう、今からそんな弱気じゃ碌な事にならないよ?」
店の中で休業の準備を手伝ってくれていたレティアが弱気な発言をした俺を諭す様に――いや、実際に諭されてるんだろうな。それだけ俺が弱気になってるんだろう。
「そうだよ。うちの宿屋に泊まってた人も、『ちゃんと帰ってきますよ』って言って出て言ったくせして、弱気な人ほど二度と帰ってこなかったしね」
「はい……すんません」
同じく店の作業を手伝ってくれてたユリもレティアに同調。二人に攻められれば俺の軟な守備力じゃ防ぎきれないので、即座に白旗を振る。
「うん、よろしい」
「それはどうも」
ユリさんとお互い目を合わせ、苦笑を漏らす。
「でも……本当にユート君はいつ帰ってくるの?」
「もう、レティア! あなたが弱気になってどうするのさ」
「まぁまぁ……でも、それは俺にも分からないな」
未来の事なんて誰にも分からない。
ついこの前まで、俺が異世界に来ることなんて誰も――俺自身でさえも分からなかった。
ましてや、戦争がいつ終わるかなんて自分の手には大きすぎる出来事を予測するのは不可能だ。
「――死なないよね?」
「死ぬ訳がないだろ」
ここ最近、何度か繰り返されたやり取り。
それだけレティアが不安に思っているという事なんだろうか。
どちらにせよ、だからこそ、俺は笑ってやる。強気な言葉を返す。
レティアの心の不安を払しょくするように。何度でも何度でも。
勿論、俺自身、不安を一切合切抱えてないかと言えばそういう訳じゃない。
今日の結果がどうであれ、戦争に行くって事は自分が死ぬ可能性があるって事だ。
自分が死ぬのは嫌だし、恐怖も感じる。
――けど、それでいつまでも前に進めないって方がもっと嫌だ。
それに、みーちゃんはずっとそんな環境に自分の身を置いてきたんだ。俺だけが尻込みしていたら……ぶっちゃけ、かっこ悪い。みーちゃんに合わせる顔が無い。
「む……ユート君、今他の女の子の事を考えてる気がする」
何故だろ……物凄い嫌な予感が背中にこう――ズズッと。
「あの……レティアさん? 何故そんなに怒っていらっしゃるんでしょうか……?」
「いやぁ。怒ってないよ? うん。全っ然」
嘘だ! 絶対的に嘘だ!
だってさ、物凄い睨んでんもん! ものすっげぇゾワゾワすんもん!
こう――レティアの後ろに阿修羅が顕現してるよ! 最早ペル○ナだよ!
あと、ユリは俺の反応見てゲラゲラ笑わないで!? 笑ってないで助けて! ヘルプミー!
「いやぁ。ユート君見てると退屈しないわ。本当に」
「悪魔か!」
「いやだなぁ。私はうら若き純粋な乙女だよ? ただ、人のアタフタした反応が好きなだけで」
「結構それって陰湿だと思うぞ……」
「うふふ。冗談だよ」
そう言い、ユリは舌をペロッと出しながら『テヘッ』って……おい誤魔化すんじゃない。
そしてレティアさんは火属性魔法を発動させようとしないで頼むから。
「もう……でも、本当にいなくならないでね」
「分かってるよ」
レティアの言葉に頷き、彼女を見返す。
すると、レティアは腰から一本の短剣を取り出し、こちらに差し出した。
その短剣はレティアの髪のように真っ赤な装飾に身を包み、その鞘には小さな赤いルビーが光っていた。
「これは?」
「私の家に伝わってる家宝だよ。一か月に一度だけ所持者の魔力を回復してくれるの。ユート君にこれを託すよ」
「いや、でもこんなに貴重な物を俺なんかに――」
「だからこそ、だよ。これはとっても貴重な物だから……絶対に返してよね」
一方的に、無理やりに短剣を押し付けられ、俺はそれを受け取ってしまう。ズシリと。俺の右手に短剣の重みがのしかかる。
俺が短剣を受け取ったのを確認したレティアは、突然俺から目を反らした。
「レティア?」
「な、何でもない! ……ただ、短剣が返ってこなかったら大変だなぁって憂鬱になっただけ!」
じゃあ、俺に貸すなよ――なんて事、口が裂けても言えなかった。
レティアの声は本人でも隠しようがない程に震えていたから。
彼女は今、何を思っているんだろう。それは俺には分からなかったけど、彼女が俺の事を心配してくれているという事だけは伝わってきた。
「大丈夫だ。そんな心配しなくても、この剣は何があろうと返すから。俺自身の手で……な?」
そんな俺の言葉にレティアの顔がこちらを向いた。その目元は少し赤い。
「――うん。私、信じてるから」
「あぁ」
絶対に返って来て見せる。そんな思いを込め、俺はレティアに微笑んだ。
「まったく……二人とも妬けるなぁ。私だけ蚊帳の外じゃん」
「い、いや……別にユリの事を忘れてたわけじゃないぞ?」
「冗談冗談。分かってるよ――ま、私もレティア程じゃないけど、無事を祈ってるわ」
「レティア程じゃないってどういう意味だよ」
「さぁ?」
俺の疑問にユリはお道化る。
そしてレティアとユリは顔を見合わせて苦笑。
「一体何だってんだよ」
そんな二人に、俺は拗ねたように独り言を零すしかできなかった。
「「内緒!」」
「はぁ――」
女は男より強い。そんな自然の定理を今更ながらに思い知らされたのだった。
――それから三十分後。
「――じゃあ、行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
「気をつけてね!」
レティアとユリの二人に別れを告げた俺は、『転移』で王都へと向かった。




