第七十七話 死ぬんじゃねえぞ
師匠の『合格だ』という言葉を聞いて緊張の糸が切れたのか、俺の体は急激な疲労に襲われる。心なしか、頭もズキズキと痛む。
だが、手加減されていたとは言え、つい先ほどまでSランクの冒険者と二時間ぶっ通しで模擬戦をしていたのだから、ある意味で仕方ない事なのかもしれない。訓練を受ける前の俺なら、軽く最初の一分で瀕死の重傷を負っていた事だろう。それほどまでに今回の師匠の攻撃は苛烈極めるものだった。
「それでも……合格したんだよな」
「ま、合格は合格でも――『仮』合格だけどな」
「仮ってなんですか。仮って!」
「そのまんまの意味だ」
俺の文句に、『何か問題でも?』と言った様子の師匠。
明らかに傍若無人な発言のはずなのに、その堂々とした態度のせいで、文句を言っている俺の方が間違っているような気さえしてくる。……いや、納得がいかないのは変わりないのが事実なのだが。
「――だから、どういう意味なんですか?!」
自分の中にある、ほぼ確実に間違っているだろう『自分の方がまちがっている』という感覚を外に押し出すように、師匠へと疑問を投げかける。
「んなの決まってんだろうが」
そう言った切り、師匠の表情が硬く引き締まる。今まで見た中でも、最も真剣な顔をした師匠がそこにいた。気のせいか、辺りは風が吹き荒れて『ヒョォォォォ……』っていう効果音が発生している。
自然、俺も居住まいを正さざる負えない。学校の定期テストの時のような、絶対にふざけてはいけない空気がそこには存在していた。ゴクリ。
そして、そんな中で、
「負けたままで訓練終了とか、俺が悔しい」
師匠は思いっきりボケて見せた。
「我儘か! っていうか負けたままじゃ嫌だとか、俺はどうやったら卒業試験を完全に合格できるんですかねぇ?!」
「俺が悔しくならないように俺に勝て」
「だから、あんたは俺が勝つのが悔しいって言ってるんでしょうが!」
「じゃあ、気合で頑張れ」
「理不尽すぎるッッッ?!」
もう、ツッコミが止まらない。
さっきまでの真面目な空気がナニソレオイシイノ? と霧散したのが分かる。
「まぁ勿論、それだけの理由じゃねぇが」
その師匠の呟きに、俺はギロリと師匠を睨みつけ、
「本当なんですよね? それ」
もし、又ふざけた理由を持ちだしたら、泣かす……ことは出来なくとも、何かしらの不幸を振りまくぞという意思を少しだけ――ほんの少しだけ込める。
しかし師匠はそんな俺の視線は気に介することもなく。
「確かにお前は俺が定めた合格規定はクリアした。……だからと言って、お前自身が特別強くなったわけじゃない」
「まぁ、それはそうですね」
師匠の言った事は、俺としても認めなくてはいけなかった。
そもそも、今回の試験だって、あくまでも俺が一発師匠に攻撃を加えるという半端ないハンデ付きでの物。それを二時間かけてやっと達成したという、傍から見ていれば、まぁ情けない結果だったはずだ。流石に訓練開始直後からある程度は強くなっているとは思うが、俺が特別強くなったわけではない。
「だからこその『仮』合格なんだよ。こうしとけば、お前はちゃんとした合格を貰うまで死ぬわけにはいかなくなるだろ?」
「それは……」
「だからよ……死ぬんじゃねぇぞ。絶対に」
「―――――っ!」
師匠の悪戯が成功したような声色をした言葉に、息が詰まる。
ニヤリと人を少しだけいらだたせる様な独特の笑みも、今は気にならなかった。
何故なら、その笑みを浮かべる師匠の目には、俺に訴えかけてくるような本気の気持ちが垣間見えたから。
――死ぬな。死んだら殺す。
そんな無茶苦茶な言葉さえ平気で吐きそうなぐらい、その瞳は『本気』だった。
いつも飄々としていて余裕を忘れないという、いつもの師匠の態度からは考えられない程にその目は真っ直ぐで。
「当たり前ですよ。師匠をギャフンって言わせるまで、幾らでも困難でも壁でも大穴でもなんでも越えて見せます。俺は師匠の弟子ですから」
だからこそ俺はその瞳を真正面から受け止め、尊大に言い返す。
「グハハ。そうか。俺にギャフンって言わせるか……ま、何百年かかろうと待っててやるよ」
「どんなに足掻いたところで、俺は何百年も生きてられませんけどね」
「そこは気合で何とかしろ」
「あぁ……もう分かりました。気合いで師匠をギャフンって言わせるまで生きながらえてやりますよ。――全く」
「ったりめぇだ。男なら自分で言った事ぐらい責任もって成し遂げやがれ」
師匠はぶっきらぼうにそう言うと、俺の髪の毛がぼさぼさになるのにも構わず、ガシガシと俺の頭を乱暴に撫でた。
そんな師匠に対して俺は不快感を表情に出して横目に睨みながらも、甘んじてその行為を受け入れるしかない。俺が嫌がれば、師匠は嬉々としてその行為を続けることは今までの経験から予測できることだった。
それに今は、今だけは。
この手を拒否するという事はしてはいけない気がした。
乱暴に撫でているはずの師匠の手が、今日はどこか違ったからだ。
それはまるで、何か大切な物を扱う時の様で――乱暴なのに繊細な撫で方だった。
「……ま、んなこと俺が言える立場じゃねぇんだけどな」
「……師匠?」
「いや、何でもねぇよ」
俺の質問に、師匠はお道化て笑って見せる。
だけど、その笑みは俺から見てもかなり無理をして作っていることが何となく分かってしまう。まるで、恐れている自体なんて起こるはずが無いと、無理やり自分に言い聞かせているみたいだった。
「――そうですか」
恐らく、師匠は死んでしまった弟子――シュレーゼさんと、未熟ながらに敵の懐へと入り込もうとしている俺が重なって見えてしまっているのだろう。
そして俺がシュレーゼさんのように死んでしまう事を――ひいては、シュレーゼさんの時の様に、自分のせいで弟子をまた失ってしまう事を恐れているのだ。
何せ、師匠が鍛えてくれなかったら、俺はコウタとの模擬戦に合格することは無く、敵の懐に侵入する可能性が出てくることも無かっただろうから。
無論、今回の件で俺が死んだとしても、それは決して師匠のせいなんかではない。
自分の生死はあくまでも自分の責任であり、それを師匠がいつまでも背負う必要は無い。
だが、師匠は誰よりも『強く』――同時に、誰よりも『お人好し』なのだ。
そうでなければ、赤の他人である俺の生死にここまで本気になる訳がないし、孤児だったというアリセルを引き取って生きるすべを教え込むはずが無い。
そんな師匠だからこそ、自分で背負い込み、心の中でその感情全てを押し殺す。誰にも気づかれず。誰にも心配させぬように……と。
きっとそれはとても疲れることのはずだ。
自分の中で全ての感情を処理するというのは、それだけストレスのかかる事なのだから。
「――師匠」
「何だよ、いきなり改まりやがって」
「俺、絶対に戻ってきますから」
「……そうか」
「んで、いつか師匠をボコボコにしますから」
こんな事で師匠の気持ちを楽にすることは出来ない。
それでも、何も言わないよりはマシなはずだ。
「だから、師匠が俺より先に死なないでくださいね? ほら、師匠ももう歳ですし」
「うるっせぇ。俺はまだ百五十だっつうの」
「俺ら人族からすれば十分長生きですよ」
「……そうか」
それっきり、俺と師匠は黙り込む。二人の間には沈黙が広がる。
――そして、その沈黙を破ったのは、
『グルルルゥゥゥ――』
という腹の虫が無く音。
その音は俺のすぐ隣から聞こえてきた。
「あー、腹減った」
と、師匠。
その視線は明らかに俺の方へと向けられている。
以前、俺は何の気まぐれか、師匠に晩飯を御馳走したことがある。
紅蓮聖女の面々もいたが、そこで食った料理の数々――つまり俺の手料理を師匠はいたく気に入ったらしく、それからちょこちょことこの様にして俺に飯を強請ることがあった。
そして、これがかなり厄介な事なのだが――師匠は食い意地を張る事にかけては孤児院のチビ達よりも強情だ。一人で軽く五人前は食べるのだから、多分、師匠の胃はブラックホールに直結しているんだと思う。
「……分かりました。昼飯は俺が御馳走しますんで、俺んち行きましょうか」
「そう来なくっちゃな」
やがて、師匠の視線に耐え切れなかった俺が先に折れ、ギブアップを宣言。
そんな俺の言葉を聞き、師匠のテンションは明らかに上昇した。今にもスキップしそうな勢いだ。
(――本当に師匠は現金な人だよな……はぁ)
俺はそんな師匠の様子にため息をつきながら、師匠と共にその場を後にした。
グリモアの街の空は今日も快晴だった。




