第七話 どうやら、異常事態みたいだ
何とかエルフの少女をゴブリンキングの魔の手から救った俺は、草原の道をグリモアの町に向かって歩いていた。本来は走っていきたいところなのだが、背中に背負っているエルフの少女は怪我を負った状態で、あまり負担はかけられないため、このような事になってる。
ローポーションや、その他の身体的な回復アイテムは決して万能じゃない。一部の例外を除いて、身体的な回復アイテムとは、体力を回復させて、自己治癒能力を一時的に高めるだけの薬であり、怪我を一瞬で治すことが出来るような代物じゃないのだ。
背中に背負ったエルフの少女も、小さな傷なら目立たない程度には治ってはいるものの、わき腹や腕に付けられている大きな傷は治る気配が無い。
俺は彼女のステータスをちょこちょこ確認して、「瀕死」、「衰弱」といった、バッドステータスの表記が出た時は、回復魔法を使っているのだが、やはりこれも気休め程度にしかならない。
できるだけ早くの応急処置が必要だ。
俺は彼女の傷口が開かないようにできるだけ速い速度で歩きながら、周りから襲い掛かってくる魔物たちを風属性魔法や地属性魔法で対処していく。MPが切れかかりそうになったらMPローポーションでMPを回復していくが、いかんせん魔物たちの量が多い。
昨日ここを通った時、こんなに魔物、いたか?
そんな事を思いながら周りを見渡すと、昨日はそこらじゅうにいた新米冒険者達が誰一人として存在していないことに気が付いた。
「………どうやら、何か緊急事態が起こってるらしいな………」
俺は、一段と歩く速さを上げる。そのせいでエルフの少女に多少衝撃が加えられてしまうだろうが、ここは何とか耐えてもらうほかない。まぁ、一応、念のために足に風魔法を纏わせて、できるだけ衝撃を和らげることが出来るようにする。MP消費が激しいが、これは必要な出費だと自分に言い聞かせ、右手でアイテムボックスからまた一つMPローポーションを取り出して、勢いよく煽る。これで、MPローポーションの残りは10本。それも、殆どが回復レベルが低い物なので、MPを多く回復させることはできない。
俺のMPのそこが尽きるのが先か、町にたどり着くのが先か。
ちなみに、今ここで少女を見殺しにして、自分だけが町まで走っていくという選択肢は存在していない。
「………っと、そんな事を考えている内に、門が見えてきたな」
俺の目の前に、ようやく町に入るための門が見えてくる。ここまで来るのにかかった時間は大体40分。魔物との戦闘をある程度は無視したとはいえ、思ったよりも早く着くことが出来た。
町に入る前にもう一度だけ少女のステータスを覗くも、特に異常は無い。
それを確認した俺は、さらに速度を上げて門へと向かう。
しばらくすると、門の出入りの管理をしている兵が数人見えてくるはずなんだが………見えた。そして、あの、こっちに向かって手を振って「おーい!」と耳がキンキンする音量で叫んでいるのは。
「あれは………門のおっちゃんか」
「おーーーーい! 兄ちゃん!」
「分かってますから! いいから、一旦叫ぶのを止めてください! 耳が痛くなりますから!」
「分かったぞおおおおお! ………おーい! 兄ちゃん!」
「俺が言った意味、絶対に理解してないですよねっ!?」
全く、相変わらずやかましいおっちゃんだ。
俺とおっちゃんがそんなコントまがいの事をしている間に、俺は無事に門へとたどり着いていた。
「よう! 少年! 心配したぜ! さっき、ギルドから緊急指令が………って、お前、誰背負ってんだ?」
「すいません。このエルフ、森でゴブリンキングに襲われてたんです。何とか救出して連れて帰って来たんですが、大けが負ってて危険な状態で……どこに運べばいいですかね?」
「やっぱり、そっちか………」
「……? そっち?」
「あぁ、いや、何でもない! それなら、ギルドに運んでくれ! ギルドカードは見せなくてもいいから、早く行ってくれ!」
「すいません、失礼します!」
俺はおっちゃんに断りを入れて、門を素通りして町へと入る。そして、その足でギルドへと急いだ。周りの人々がこちらを見て、不思議そうにしているが、気にしている暇はない。
………そういえば、何やら町が騒がしい気がする。俺は昨日、この世界にたどり着いたばかりなので、普通の時がどんな感じなのかは分からないが、少なくとも、街中で五十人以上の武器で武装した冒険者達が集まるという光景は異常だろう。
ギルド前の広場では、壇上に上がったギルマスが、集まっている、五十人以上の冒険者達に向かって、何か説明をしているようだった。その内容が気になるものの、今は背中に背負っている命の方が優先だ、と自分に言い聞かせて、冒険者達の集団を避けてギルドへと押し入る。
ギルドの中は、朝には騒がしかった冒険者達の姿は無く、そのかわりに職員たちが慌ただしく作業をしていた。その中で見知った顔を見つけたので、声をかける。
「アリッサさん!」
「あ!ユートさん、無事だったんですね!」
「えぇ。それより、このエルフが北の森でゴブリンキングに襲われていて………」
「………!レティアさん?!」
「このエルフの少女の事を、知ってるんですか?」
「はい………それより、詳しい話をお聞きしたいのと、彼女の応急手当てのため、彼女を奥まで運んでもらえますか?」
「分かりました」
流石、アリッサさん。一目見ただけで、エルフの少女―――レティアの容体を危険と判断したようだ。
俺はアリッサさんに促され、レティアをギルドの奥に作られている部屋のベッドへと運び入れた。この世界には病院と言うのが存在していないため、ギルドがその役割を引き受けて、けがの治療などをしているからだ。
俺によってベッドに横たえられたレティアは、治療専門の女性ギルド職員によって治療が施された。それによれば、怪我によって大量の血が流れ出てしまっているが、回復魔法の「ブラッドヒール」で何とか対処して、体を温めていれば命に問題は無いだろうという事らしい。ただ、俺が道中でポーションや回復魔法で応急処置をしていなければ、かなり危険な状態だったという。
本当に彼女は運がいい。と、そのギルド職員は言った。
俺とアリッサさんは、その言葉に胸を撫で下ろしつつ、レティアを女性職員に任せて部屋を後にした。その足で向かうのは、今朝も訪れた、ギルドマスターの部屋だ。中に入ると、すでに幼女ギルドマスターは椅子に座っており、俺も向かい側に座るように促したのでそれに従い、俺はギルドマスターの正面に腰を下ろした。アリッサさんはギルドマスターの後ろに控えて立っている。
俺が腰を下ろしたのと同時に、ギルドマスターの口が開いた。
「ユート、彼女を救出してくれたこと、感謝する」
「いえ、俺はたまたま彼女が襲われている所に遭遇しただけですし。それに、彼女をそのまま放っておいたら後悔が残りそうだったので、あくまでも、自分のために助けただけですよ」
「いや、それでも礼を言わせてほしい。………レティアは、クラン『紅蓮聖女』のクラン長でな、今日は朝からクランメンバーと一緒に北の森で採取クエストを受けていたんだが………そこで、ゴブリンキングを筆頭としたゴブリンの一団に襲われたそうなんだ。レティアは一人だけで殿を務めて、他のメンバーを逃がした。そして、その逃がされたメンバーがこのギルドに駆け込んで、レティアの捜索を願い出たのが、約二時間前。だが、彼女の目撃情報は見つからず、諦めかけていたんだが、君が連れて帰って来てくれた。クランメンバーには、すでに連絡がいっている。じきにこちらに来るだろう」
「なるほど、そういう事でしたか。何故、レティアさんが自分のレベルとかけ離れすぎているゴブリンキングと戦ったのかが不思議でしたが、納得がいきました。けど、北の森であんな高レベルの魔物が出ることなんて、いままであったんですか? クエストの内容には、低レベルの魔物しか出現しないと書いてあったんですが………」
「それについては、現在調査中だ。緊急クエストとして、ランクD以上の冒険者を五十人ほどかき集めて、これから討伐隊として北の森に向かわせるつもりだから特に心配はいらないとは思うんだがな」
「五十人もですか?何故、そんな大量に冒険者を?」
ゴブリンキングは確かに強敵だったが、そこまで人材を必要とするほど強くなかったように思う。俺の弱い魔法でも皮膚を傷つけたり、一時的に怯ませることが出来たぐらいだ。
「実は、ゴブリンキングはお前が遭遇したであろう個体以外にも二体確認されていてな。もしかしたら、それ以外にもいるかもしれない。だから、多目に人材をおくるんだ」
「あんなのが、他にも二体以上………」
俺は、ゴブリンキングから放たれていた、あの悪臭を思い出す………だめだ。今更ながらに吐き気がしてきた。あの悪臭を放つ化け物が他にも二体いたかと思うと、とたんに寒気が襲ってきた。
俺がそんな想像をしている間にも、ギルマスの話は続く。
「そういう事で、敵の戦力が未だに未知数な所があって、不安があるのだ。だから、今のうちにそういう不安要素はできるだけ潰しておきたい。そこで、お前の出番なんだが………」
そう言って、ギルマスは俺に試すような視線を向ける。その視線だけで、何が言いたいかは十分に理解できた。
「分かってますよ。俺が遭遇した、ゴブリンキングのステータスが知りたいんでしょう?」
敵の能力値を知っておくこと。これは、戦闘時にはメリットが計り知れないほどの重要なファクターとなる。実際に、ネットゲームをしていた時、何かのボスに挑むときには、必ずボスの特徴や能力値を知っておいたからこそ勝てたというギリギリな戦いがいくつもあった。特に、この情報は大規模戦闘になるほどに効果を発揮するのだ。
「あぁ、そうだ。お前は鑑定が使えるから、ゴブリンキングのステータスを見ていて知っているだろうからな」
そう言って、ギルマスはニヒルな笑みを浮かべる。見た目は幼女なのに、無駄にカッコよく笑うものだから、かなり違和感を感じる。
「分かりました。それでは、俺が知ってるだけの情報を伝えましょう」
その後、俺はギルマスとアリッサさんにゴブリンキングの見た目や詳細、ステータスの値や、俺がゴブリンキングに対して行った攻撃方法など、出来るだけの情報を提供した。
「なるほど………キングのレべルは30もあったのか………」
「30『も』って事は、普通は、もう少しレベルは低いんですか?」
「あぁ。普通の個体は大体は20以内の場合が多い。それなら討伐ランクはDなんだが、レベル30以上となると、討伐ランクはCになるな」
そんな会話を挟みつつ、ギルマスは色々と考えることがあるようで、目をつぶって思考の海に沈んだ。その時、「コンコン」とギルマスの部屋を控えめにノックする音が響いた。
「誰だ!」
「はい! レティアさんの治療を担当しているミラです! レティアさんが目を覚ましそうなので、ご報告させていただきました!」
「分かった、すぐに向かう」
そう言って、ギルマスは席を立った。ちなみに、席を立っても彼女の大きさはそこまで変わっていない。
「ユート、お前も来るか?」
「はい」
俺はギルドマスターに続いて、部屋を出る。そして、そのまま治療室へと直行した。
「私だ。入るぞ」
治療室の前までやってきたギルドマスターは、中に一言声をかけて部屋へと入る。俺とアリッサさんはそれに続いた。
「う………んっ」
そして、丁度その時、ベッドに横になっていたレティアが目を覚ます。彼女は、ベッドの中で少し唸ったかと思うと、次の瞬間には少しづつ目を開いた。
「………っ!ここは………?」
目を覚ましたレティアは咄嗟の事で、自分が置かれている状況が理解できなかったようで、周りをきょろきょろと見渡して少しでも情報を得ようとしている。そんな彼女にギルドマスターが近づいて声をかける。
「やぁ、レティア。気分はどうだ?」
「………ギルドマスター?どうして?」
「何も覚えていないのか?君は今朝、クエストを受けてその道中でゴブリンキングの襲撃を受けて―――」
「………っ!そうだ!私はそこで殿を務めて…!」
「あぁ、そうだ。そして、君は彼の手によってここまで運ばれたんだ。礼を言っておくといい」
そう言ったギルドマスターは、俺を指差した。それを辿って、レティアの視線は俺の方へと向けられた。
とてもきれいだ。
俺は彼女を正面から見て、そう思った。今まではドタバタしていたから、彼女の顔をよく見ることは無かったために分からなかったが、レティアは本当に美しい顔立ちをしている。燃えるような赤い髪は腰のあたりまで伸びており、そんな赤髪に包まれるようにして存在している彼女の顔はまるで芸術作品のよう。
俺は、そんな彼女を見て、その美貌の前に圧倒されてしまった。
「私を助けてくれて、ありがとう。私はレティア。感謝するわ」
少しふらつきながらもベッドから立ち上がり、俺の元までやってきたレティアは、そう言いながら右手を差し出す。
「あ、あぁ。俺はユートだ」
そう答えつつ、俺は彼女の手を握った。
今回出てきたクラン名、「紅蓮聖女」。
アぺフチ・カムイは実際にアイヌ民族の伝承に出てくる、火の女神です。炉、囲炉裏の神でもあり、家を温めてくれたり、人間と神の国を行き来して祈りや思いを伝えてくれると言われています。