第百六話 かくして約束は違えられる
どうも二十字悠です。
前回からおよそ三週間、ようやく第百六話をお届けすることが出来ます。
多分、ですが、今回の話が今まで書いてきた中で一番『苦戦』したかもしれません。
書き直す事およそ二十回。
都合3万文字分が闇の中へと消えていきました……(´・ω・)
とまぁ、そんな感じで書きなおしに書き直しまくった今話。
プロット完成当初から書きたかった場面の一つなので読んでいただけると嬉しいです。
では、本編です。
*城内に影響を及ぼしていた『結界』の内容を多少変更しました。(アイテムボックス使用不可という効果を追加)
それに伴って過去の話の一部を改稿しております。
*一部、文章を修正しました(2017/4/12)
忽然として、自分の心の中に『黒い染み』のようなものが現れたのを俺は感じ取った。
それは、恐怖だ。――そして、自分に対する不信感だ。
自分は負けるのではないかという、弱気な考えが頭の隅っこの方を徘徊し始めた。
その直後。
突如として、目前でナイフを構えていたローブが後退した。
前進ではなく、突撃でも無く、後退。
そうして、奴は何故か俺と距離を取った。
すると、俺の視界が少し広がり、周りの様子が自然と目に入って来た。
それは、遠近法によって、ローブの輩が占領する視界の割合が小さくなったから。
結果的に周りが多少見えるようになった俺は、とあることに気が付いた。
――視界の端で、ニーナがこちらを差している。そして何か叫んでいる。
その少し奥では、みーちゃんが二人のローブを相手に善戦を繰り広げている。そして彼女もまた、時折こちらに視線をやっては、その美しい顔に悲痛な表情を浮かべて、こちらに向かって何か叫んでいる。
――そんな二人の姿に気が付いた。
けど、おかしい――何かがおかしい。
敵のバックステップで空いた間合いを詰めようと地を蹴ろうとしていた俺は、違和感を覚えて足を止めた。
ナニカが――足りない。
重要なナニカ。大切なナニカ。当たり前のナニカ――ナニカが世界から抜け落ちている。
(……そうだ……何も聞こえないんだ)
今、俺の耳には、彼女達が叫んでいるであろう言葉が何一つ聞こえていなかった。
ニーナの声も。みーちゃんの声も。何もかもが聞こえない。
――いや、それだけじゃない。
みーちゃんとローブ達の闘争の音も。
その闘争によって発生する空気の振動も。
なんなら、この城に入ってきてから感じていたあの煩わしい『視線』も。
何もかもが『感じ取れない』。
ある一定の距離を隔てたその向こう側の音が、振動が、熱が、視線に込められた感情さえもが、何も伝わってこなくなっていた。
痛々しい程の静寂。
周りは戦闘の渦が巻き起こっているはずなのに、今、俺に聞こえるのは、バクバクと細かく脈動する俺自身の心拍音と、自分の荒い息遣いだけ。
まるで、俺の周囲が世界そのものと隔絶されたような――そんな心細さが感じられる。
これは――魔法だ。
思考の隅で俺はこの状況を作り出した要因に確信を抱いた。
魔法。それも、空間魔法。上級空間魔法、『サイレントフィールド』。使用者の半径数メートルを透明な『バリア』で覆い、その内部と外部の視覚以外の知覚情報を遮断する魔法。
敵は――目の前のローブはそれを行使したに違いない……と。
そうでなければ、この場の説明が付かなかった。それはあくまで、俺の知ってる知識の範囲内では……だけど。それでもあながち間違いじゃないと思う。
そして、もし、俺の考えが本当に間違っていないのだとしたら、敵がこの状況下でも空間魔法を使えるという事が確定的となる。
だとすれば……俺は不利だ。圧倒的に。一方的に。
心臓が握りつぶされるような緊張。逃げろ、と、心のどこかで弱気な自分が声を上げる。けど、逃げるわけにはいかない。やらなくちゃ。他でもない、俺が。
そう自分を鼓舞させた……そのすぐ後のことだ。
視界の端に見える、みーちゃんの表情により強く焦燥が灯り始めたように見えた。
ニーナがこちらを盛んに指差して、何か叫んでいる。
……いや、違う……のか?
どうも、ニーナが指差しているのは俺ではないようだった。
彼女が指差しているのは俺の背後の方。後ろだ。
俺は一瞬だけ背後を見た。
直後、視界が黒色一色に染まる。
俺の視界を占領したのは、ごうごうと燃え盛る黒炎の球――中級火属性魔法『カラミティ』。標的に直撃すると爆発を起こす、凶悪な魔法だ。
それが、視界の八、九割ほどを独占している。
つまり――すぐそこに、黒く染まった巨大な火球が迫っていた。
その距離は、目と鼻の先。
躱さなきゃ、と頭の片隅で叫んだ。けど、もう駄目だ。この距離は。
もう、回避は……。
(――間に合わない)
咄嗟に自分の顔の前で腕を交差して防御の態勢を取る。
けど、それでも中級魔法が直撃する事は避けられなかった。
刹那、黒炎の球が至近距離で盛大に爆ぜた。
爆発による衝撃波と熱波が体の内部にまで伝わってくる。
視界が黒い煙に覆われたと思った次の瞬間、俺は宙を舞っていた。いや、違う。低空飛行で吹き飛ばされていた。
背の高いローブの横を突っ切り、俺は尚も吹き飛ばされる。
もう、自分がどの方向を向いているか分からない。
そんな中、低空飛行の勢いが弱まり、俺の体は硬い大理石の様な材質で出来た床に叩きつけられた。受け身を取る暇なんて、無かった。
「ぐぁ……!」
肺から空気が押し出される感覚。口から声が漏れ出ていく。
体中が傷む。頭がくらくらする。
苦しい。苦しい。苦しい苦しい苦しい――けど、動かなくちゃ……戦わなくちゃ……。
自分を鼓舞し、拳を握りしめる。泣き言を言いたがる自分の体に気合を注入する。
そして、俺は再び立とうと、膝に力を込めた。
しかし、その時、影が差した。
何だ、と思って顔を上げると、背の高いローブが俺のすぐ傍まで近づいてきていた。
その事に気が付いた直後、俺は腹に盛大な衝撃を感じた。
ローブに腹を思いっきり蹴飛ばされたのだ。
「グフッ……!?」
地面を転がる。
二転三転。およそ二、三メートル程転がって、ようやく勢いが止まった後、食道の中を何かがせり上がって来る感覚を覚えた。
それを堪える事ができず、俺は口から真っ赤な液体を吐き出す。
吐血。
「――ゲホッ!」
口周りの床に赤い液体だまりが出来る。鼻の奥に鉄の臭いが充満していく。内臓が傷つけられでもしたのか、腹の中が無性に痛い。痛いくて、熱い。張り裂けそう。
視界が、真っ赤に染まる。痛みと、またもや地面に這いつくばっている自分の不甲斐なさに、自分自身を殴り飛ばしてやりたい気分になる。
その真っ赤に染まった視界の中で、俺を蹴飛ばした背の高いローブがその場に立ったままこちらを見つめてきているのが見えた。
(クソッ……!)
ただこっちを見つめているだけのローブに心の中で舌打ちする。
一切動かず、何の反応も見せないその様は、まるで奴が俺を見下しているような……そんな感じがした。
――いや、そんな事は後回しだ。
俺は頭を振って思考を切り替えた。
治療だ。治療しなくちゃ。敵がまだ動く素振りを見せていない間に。
そんな焦燥感に駆られて、俺は腰に吊るしているはずのポーチに手を伸ばした。
その中には、常備していたポーションが入っているはずだ。
そう思い、腰に右手をやるが――
(あれ……?)
無い。……あるはずのポーチが、そこには、無い。
(――どこに……ッ?!)
慌てて首を振ると、俺が倒れている場所から少し離れた所にポーチが転がっているのが見えた。そこは、到底今の俺には手が届かない場所だ。
ポーチをよく見ると、ポーチを腰のベルトに繋げていた取っての部分が綺麗に切断されているのが分かる。……あの時だ。さっき、ローブが俺の真後ろに現れた時、奴はあのポーチの取っ手を切断したんだ。
それもこれも、俺の回復手段を封じる為に。
(マズい……ッ!)
今、この場において、アイテムボックスは開けない。回復魔法は使えない。だからこそのポーチ。その中に入っているポーションが、ある意味最後の砦だった。なのに、この状況。そのポーションさえ手元にないこの状況。
万事休す――不吉な言葉が頭の中を過った。嫌な寒気が背中を這いずり上がって来て、頭の中を侵食してくるような……そんな感触がする。
「ユートさんッ!」
すぐ近く。ほんの数メートルも離れていない所からニーナの声が聞こえてきた。
ハッとして、咄嗟に視線を声のした方に向けると、
「は、早くッ……ここから離れろ……ッ!」
ニーナが近くにいるのは危険だ。もしかすると、敵はこの国の姫であるニーナの身柄を狙っているのかもしれない。だから、俺はニーナにここから離れるように叫んだ。
けれども、ニーナは首を横に振って、こちらへと駆け寄って来る。
ニーナの瞳は俺の腹部に向けられていた。
「ユートさん、酷い怪我、してます……今、治療しますから……ッ!」
そして、自分の腰に巻いていたポーチから上級ポーションを取り出すと、それを俺の両腕、及び腹部に振りかけ始める。
すると、俺の体から痛みが徐々に無くなっていく。
腹に手をやる。傷が少しずつだけど修復していっているのが分かった。
これなら……動ける。まだ、戦える。きっと。そんな希望が湧いてきたような気がした。
――その直後の事。
「――あらあら、ダメよ」
という女の声が聞こえて来て、俺は背筋が凍り付くような寒気を覚えた。
「――――ぁッ……」
ニーナも動きが止まった。そして、『カヒュ、カヒュ』と浅い息を繰り返すようになる。
――ダメだ。こいつは。この声の主は。
聞こえてきた女の声には、憎悪という憎悪。嗜虐心という嗜虐心。――殺意という殺意。
まるで世界中の『悪意』を集めて、凝縮したかのような濃い害意が詰め込まれていた。
「あなた……ユート、だったかしら。あなたがここで動けるようになるのは困るのよね」
誰か……誰かがそう宣いながら近づいて来る。近づいて来る足音がある。
足音の主は背の高いローブじゃない。奴はさっきの位置から動いていない。
この足音、そして、ねっとりと張り付いてくるような害意の籠った声は――背の高いローブの後ろから聞こえてきている。
背の高いローブの後ろからひょっこりと姿を現したのは、どちらかと言えば小柄な魔法を使っていた方のローブだった。
その小柄なローブは、こちらを見つめ続ける背の高いローブの隣まで到達すると、足を止めて、自身の顔を覆い隠していたローブのフードを取っ払った。
その下から出てきたのは。
目立ちの整った、小さな顔。
色白すぎて、どこか現実感の無い素肌。
クセの一つも無い、腰にかかろうかというロングの黒髪。
それらを兼ね備えた、少女といった年ごろの女の顔。
それの意味するところは、たった一つだけだ。つまりーー
「……転生者」
「正解よ。よく出来ました」
自らのローブを取り払った女が、どこか愉快そうな表情で言った。
「はじめまして。私はシャルロット。……じゃあ、自己紹介はこれぐらいで良いわよね? そうよね? 私は何も間違って無いものね? 本当はね、私だってこんな面倒なことはしたくないのよ? だって、つい最近増えた傀儡ちゃん達と遊んでいた方が何倍も楽しいんだからね? でも、上様が『これも計画の内だ』って言うから、しょうがなくやるんだからね? まぁ、でもいいわ。久々に美弥と遊べるものね。あの子の表情を堪能できると思えばこれも悪い話じゃないわぁ」
「………」
「………」
突然、女――シャルロットはどこか恍惚とした表情で壊れたラジオのようにしゃべりだした。
その勢いに付いて行けず俺とニーナが呆気に取られていると、シャルロットは右手の人差指でこちらを指差した。
「――だから、大丈夫だと思うけど、この程度で死なないでね?」
「……え?」
その瞬間、シャルロットという少女の表情が途轍もなく冷酷なものになった――そんな気がした。すぐ傍に座り込んでいるニーナの体がビクンッと震えた。
「――『ラース・オブ・カラミティ』……あなた達に我らが神の祝福がありますように」
刹那、シャルロットが無詠唱で唱えた上級火属性魔法が俺達の頭上に顕現する。
それは、大きな漆黒の球体だった。
直径は……多分、3メートルぐらいはありそうだ。俺二人分の身長に少しばかり足りないくらい――それぐらいの大きさの漆黒の球体が轟々と燃え盛っている。
「―――ユウ君、逃げてッ!」
俺もニーナも声を発せない中、空間を劈くようにして、聞き慣れたみーちゃんの声が聞こえてきた。今までは全然聞こえてこなかったのに。『サイレントフィールド』の効果が切れたのかな。もしくは、その効果範囲内にみーちゃんも入って来たんだろうか。
それにしても……逃げる……? ……あぁ、そうだ。そうだよ。そういえば、そうだ。目の前に現れた『存在』があまりにも強大過ぎて、逆に思い足らなかった。そうだよ、逃げなきゃ。早く、出来るだけ早く。出来るだけ遠くに。
「逃がさないっていってるでしょう!」
シャルロットが勢いよく腕を振り下ろすと、頭上で轟々と燃えていた漆黒の炎球が勢いよく降下し始めた。
その勢いを見て俺は、あぁ間に合わないな、って頭の片隅で悟った。
――間に合わない。
それはきっと覆せない。
あと数拍の後に俺とニーナは『あれ』に呑まれて焼かれる。
だけど、せめて。せめてニーナだけは守らないと。
「――ニーナッ!」
「ユートさんッ?!」
「ゴメン、少し我慢して」
俺は咄嗟にニーナに覆いかぶさった。
まだ修復途中だった腕と腹の傷が痛むけど、そんな事はどうだっていい。
俺の突然の行動に声を上げるニーナに短く謝って彼女の肩を抱いた。
「『ウィンドシールド』」
俺は自身の頭上に魔法で風の盾を張った。けれども、心もとない。これだけじゃ、あの上級魔法を防ぎきれるはずもない。でも、いい。これでいい。やれるだけの事はやった。
後は、自分の体を盾にして、ニーナにかかる魔法の威力を少しでも削ぐしかない。ニーナには魔力障壁もかかっているから、そこまですれば、多分、ニーナは助かる。
一方で、その時俺が生きていられる保証なんてないけど……こうするしかないんだ。
「ユートさんッ!」
「大丈夫。きっと大丈夫」
「でも、このままではユートさんが」
腕の中でニーナは悲痛な声を上げた。
けれども、今更動くことなんて出来ない。もう、巨大な黒い影はすぐそこまで迫って来ていた。
「ユウ君――――――――――――――――ッッッッ!!!」
いよいよ魔法が風の壁に激突するというその時、一人の少女の叫び声が俺の耳朶を打った。
あぁ、ゴメン。本当にごめん、みーちゃん。
俺が君を守るって約束したのに。君が俺を守るって約束してくれたのに。
……約束、守れそうにも無いよ。
俺は心の中で懺悔し独りでにこぼれそうになる涙を堪えながら、ニーナを抱く両腕に力を込めた。
次の瞬間、頭上で風の盾にぶち当たった黒球が盛大に爆ぜた。風の盾が一瞬の内に崩壊したのを俺は感覚で悟る。刹那、俺の身に降り注いだのは五感情報の嵐だった。
熱波が肌を焼いた。
爆音が鼓膜を破る勢いで襲い掛かる。
視界が闇色一色に染め上げられる。
体がすり潰される。命がゴリゴリと削られていく感覚がする。
――あぁ。
ダメ、だ。
もた……ない。
次第に……意識が……遠、く―――――――
――俺、死ぬのかな。
……死にたくないな。いや、本当に。
――というわけで第百六話『かくして約束は違えられる』でした。
前書きにも書いた通り、今回のシーンはプロット完成当初(第二章開始直後)から書きたかったシーンの一つでした。ちなみに、他に書きたいシーンは全章を通して8つほど残っていますが、残りのシーンもきちんと書けたらなと思ってます。
さて、話は変わりますが、次回の話からいよいよ二章ラストシーンとなります。
僕的には残り7~8話ほどで二章は完結するかなと予測しているのですが、その真偽はよく分かりません。あるいは20話ほどに膨らんでしまう気がしないでもないですが……多分、そこまではいかない(ハズ)です。
こっから二章ラストまでは書きたいシーンがいくつか続きますので、引き続きご愛読いただけると幸いです。
では、今回はこの辺りで。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!




