第百一話 ちっぽけなこの願望を胸に刻んで
少し遅れてしまいました。
申し訳ありません。
そこは、とてつもない程に暗い場所だった。
どこまでも、何処までも続く『絶望』という闇に侵された、穢れた場所だった。
どれだけ足掻いてもそこから抜け出せず。
どれだけ嘆いても――救いの手は差し伸べられなかった。
そんな中を彼は一人彷徨い続けていた。
かつての記憶は程遠く。
もう、心は朽ち果てた。
――たった一つの想いを除いて。
愛する人を守りたい。
その純粋な願いだけは侵食されず、穢れもせず、朽ち果てる事は無かった。
だから、なのか。
彼はこれから、その愛する人を傷つけようとしている。
しかし、しょうがないのだ。
あの存在に勝てる者など、この世にはいない。
恐らく、あの勇者・駿でさえも彼女には勝つことは出来ないだろう。
ならば、自分は最善手を打つまでだ。
近い未来、奴らの望む世界となった時、愛する人の居場所を作る為。
今はこの矛盾した行いをするしかないのだ。
既に、奴らとの約束は取り付けた。
下げたくも無い頭を下げ、誓いたくも無い忠誠を誓い、この四年間、彼は――タクヤは生きてきた。
自分の心は顧みず、ただ、渇望する事ができればいいと。
満身創痍の心を引き摺り、彼は前進し続ける。
偽りの幸せだと分かっていても、この道の先にある小さな希望を掴む為に。
これは――完全なるエゴだ。
どれだけ御託を並べようと、彼自身の我儘でしかない。
しかし、そうと分かっていてもタクヤはその道を進んでいく。
ただ愛する人を――ニーナ姫を『自分の手で』守り抜くために。
「あなたは……俺自身の手で守って見せます。姫様――」
――そこは、とてつもない程に暗い場所だった。
どこまでも、何処までも続く『絶望』という闇に侵された、穢れた場所だった。
どれだけ足掻いてもそこから抜け出せず。
どれだけ嘆いても――救いの手は差し伸べられなかった。
そんな中を彼は一人彷徨い続けていた。
かつての記憶は程遠く。
もう、心は朽ち果てた。
そして暗い闇の中を一人彷徨い続けた挙句、きっと彼は――純粋な願いを抱いたまま壊れてしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『――今日、世界の運命が決まる……ここにいる皆にはそういう気持ちを抱いてほしい』
まだ夜は開けず、松明の赤い光に照らされている陣地の一角に一万以上の兵が集まり、辺りにはひとりの『勇者』の声が辺りに響いていた。
既に出立の準備が終わり、一堂に会した連合軍が出立式を行っているのだ。
とは言っても、その内容は連合軍の象徴である駿が激励の言葉を掛けるという簡素なものなんだけど。
しかし、それでも流石勇者というかなんというか。みんなの前に立ち、叱咤激励するその姿はやけに堂々としていて……正直に凄いと思う。
駿の言葉を聞いていく内に連合軍全体の士気が上がっていくのが手を取るように分かった。駿の演説はそれほどまでに兵たちの心に訴えかけるものだった。大多数の兵からは憧憬や尊敬の念が見て取れるような視線さえ向けられている。
そんな駿の姿を、彼の真後ろの幹部席から俺は見ていた。
俺と殆ど背丈が変わらない後ろ姿。なのに、やっぱり俺とは何かが違う。
安定感、というか。安心感、というか。そういうのがけた違いだ。
あるいは、それが存在感の違いというやつなのかもしれない。よく分からないけど。
堂々とした演説を行う駿の後姿を見つつ彼我の差を改めて実感していると、一際大きな拍手が巻き起こり、駿がこちらの席へ戻ってくる。どうやら激励の言葉が終わったらしい。
やがて、連合軍全体の指揮を預かるハリエル将軍が珍しく声を張りあげた号令により、各国軍それぞれで整列を始めた。それに合わせ、幹部席の人物たちも移動を開始する。
俺も、駿やみーちゃん達と共に移動しようとして――足を止めた。
「……ニーナ?」
皆が慌ただしく行動する中で、ニーナ一人だけが席に座ったまま動かない。
胸を押さえ、どこか茫然とした表情で彼女は座り続けていた。
「おい、大丈夫か?」
「えっ……あ、すいません」
声をかけると、ビクンッと肩を強張らせ、ようやくニーナが動き出す。
でも、心ここにあらずと言った様子で、それが少し気になった。
「どうかした?」
「ど、『どうか』……とは、どういうことでしょう?」
「いや、何となくニーナがオドオド……ていうか、心ここにあらず……みたいに見えたから。気のせいかもしれないけど、ちょっと気になって」
「あ……そう、でしたか。……顔に出ちゃってましたか」
「……何か、あったのか?」
顔を俯かせるニーナに問う。すると、彼女は苦笑して言った。
「突然、声が聞こえたんですよ……タクヤの声が」
「タクヤの声……? 幻聴じゃ?」
「もしかすると、そうかもしれません。ですが、そう思えない程にはっきりと私には聞こえました」
そう言うニーナの顔を見れば、彼女が嘘や狂言を言っているのではないと一目瞭然で分かった。しかし、疑問は残る。
「でも、俺にはそんな声は聞こえなかったぞ……?」
「それについては心当たりがあります。実は、タクヤの声が聞こえた時……私の中にある、今は活性化されていない魔力的なパスが僅かに活気づいたんです」
「そのパスって、確か、タクヤが以前ニーナに施したっていう、『同調転移』用のやつか……でも、そのパスはこの前の時以来、ニーナの方から閉じていたんじゃなかったっけ」
そう。この前、ダンジョンマスターの部屋に『同調転移』を使用してアルバス達に襲撃を仕掛けられて以来、ニーナはその『同調転移』を使うための彼我を結ぶパスを閉じていた。そうしておけば、これ以上は『同調転移』を使われる事も無いらしい。
しかし、ついさっきタクヤの声が聞こえてきたときに、そのパスが僅かに活性化したのだという。
「それは……本当なのか?」
「はい。恐らく、そのパスを通じて、一部あちら側の感情が流れてきたのではないかと思います」
「……うーん、そこら辺の事はよく分かんないし……詳しい人に――とりあえず、みーちゃんやエレーナさん辺りに聞いてみた方が良いんじゃないかな」
「そうですね……私も、この胸に響いた言葉が彼自身の物なのか……確かめたいです」
胸に手を当て、ニーナが答えた。
大丈夫だ。始め、タクヤの声が聞こえたと告げられた時は本気で心配したけれど……今、ニーナはちゃんと前を向けている。その上で、タクヤを取り戻したいと願っている。だから、きっと彼女は大丈夫だろう。何か目標さえあれば、人は意外と何でもやれるものだ。
俺はニーナから視線を外し、みーちゃんの姿を探した。
もう幹部席には殆ど人は残っておらず、外に出て行ってしまったかと考えていると。
「……呼ばれた気がした」
その声は、すぐ隣から聞こえてきた。
「うおぉ?!」
「ヒャッ?!」
反射的にその場を飛び退る。ニーナも変な声を出して飛び退いていた。
直後、二人して声が聞こえてきた方向へ視線を向ける。
そこには、ボーッとした表情でこちらを見つめるみーちゃんがいた。
「み、みーちゃん……いや、まじで驚かさないでくれ……」
「み、ミヤさん……ビックリしました……」
「……ん。それはすまない。ごめんなさい」
ぺこりとみーちゃんが頭を下げる。すぐに彼女は頭を上げて、こちらに問うてきた。
「……で、ユウ君、私の事呼んだ?」
「あぁ、ちょっと聞きたいことがあってさ……実は――」
俺はニーナがタクヤの声を聞いた事、そしてその時にニーナの中の『パス』が僅かながらに活性化したことを説明し、魔力的なパスによってそのような事が起こり得るのかと質問した。
「……ん。それは十分あり得る」
「本当ですか?!」
みーちゃんの回答にニーナが喰いついた。そんなニーナにみーちゃんは頷く。
「……そもそも、魔力を魔法に変換しているのはイメージに寄るとこが大きい。この事から、魔力とイメージは深い関係を持っている事が分かる。だったら、魔力のパスを介して人のイメージや感情が流れても別段おかしく無い……それに、私も似たような経験がある」
「そう……なんですか……それじゃあ、やっぱりあの声は……」
「……ん。ニーナが聞いた声がタクヤの物である可能性は十分にある」
みーちゃんが導き出した答えを聞いて、ニーナは切なそうに自分の腕を掻き抱く。
何か大切なものを心の中に収めるように。それを忘れないようにするかのように。
その時、ニーナがどんな言葉を聞いたのか――俺は分からない。
だが、しかし。
タクヤが発したのだろう言葉は確実にニーナの心を打ち、何かを彼女の中に残した。
「ありがとう……ござい、ます」
一つ二つ、雫が地面に落ちた。
押し殺した嗚咽の声が耳朶を打つ。
ニーナは一人静かに泣いていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
しばらくの後、連合軍は行進を再開した。
途中で妨害が入ることも無く、その歩みが止まる事は無かった。
故に、その巨大な建造物の麓まで辿りつくのにそれほどの時間は擁しなかった。
そして。
――今、俺の目の前には大きな壁がそびえ立っている。
「ここが……アイゼルタリア」
大きな、大きな壁。
外敵の侵入を阻む絶対防壁。
住民の安全を約束し、平和な楽園を守るための巨大な箱庭。
しかし、今はその内部は侵食されている。
他ならぬ、敵の手によって。
「行くよ、皆。準備はいいかい?」
自らの前に立ちはだかる大きな壁を茫然と見上げていると、近くで一緒に待機していた駿が一塊となったメンバー――俺、みーちゃん、ニーナ、雅――それぞれの表情を見ながら確認を取った。
そして、四人全員が頷いた。
もう、何も迷う事は無い。
決意は既に固まっている。
あとは開戦を告げる合図を待つだけだった。
「さぁ、行こうか……僕たちの手でやりとげよう」
駿がそう言った直後。
少し前方から何か崩れるような爆音がした。
砂塵を立たせて、連合軍が外壁内に突撃していっているのが遠目で分かった。
始まった。
戦争が。
命の奪い合いが。
綺麗な言葉では言い表せない、汚れた戦いが。
その様子を見て、否応にも無く実感させられることがある。
「始まる……」
自分の唇が引き締まるのが分かった。
体も震えている。
どこか、気分も落ち着かない。
深呼吸を何度もして、湧き上がる心を落ち着かせる。
それでも際限なく心臓の鼓動は早くなって、どうにも抑えきれそうにも無い。
しかし、そうも言っていられない。
時間は待ってはくれない。
そんな都合のいい事は起こりうるはずもない。
時間は平等に過ぎ、やがて結果をもたらすのだから。
「やってやる……」
俺は決して『特別』な奴なんかじゃない。
数か月前までは平々凡々と暮らしていた、元一般人だ。
だがしかし、何の因果か『英雄』と呼ばれる存在になってしまった。
身分不相応だとは思う。相応しくないと感じる。
俺なんかよりもその称号が似合うやつはもっといるはずだ。
けれども、自分が望む結果を得る為に。
もう、ちっぽけな存在のままで閉じこもらない為に。
求めるものの為に足掻き続けると、この胸に刻み込んだ。隣の温もりに誓ったのだ。
だから、似合わなくても、俺は英雄でありたいと思う。
大切なものの隣に立てる存在でありたいと願う。
ちっぽけなこの俺に出来る最大限の事を果たしたいと――願望を抱いている。
もう、後悔はしないように。
――俺は自分に気合を注入して皆と一緒にアイゼルタリアへ侵入を果たした。
さぁ、ここがスタート地点だ。
今回も読んでいただき、ありがとうございました。
次回こそは、来週中に更新です。




