朽ちた花
父が事業に成功して大金持ちになったから建てた立派な家。
綺麗な服も着られるし美味しいものもたくさん食べられる。
他の家よりも豪勢な暮らしが出来る沢島家にあやめは生まれる事が出来た。
だが、あやめだけは豪勢な暮らしは出来なかった。
いつからか必要ないと学校に行かせてもらえなくなった。
友達に会いたいから学校に行かせてくださいとは言わない。
殴られるから。
ボロボロの布切れのようになってしまった服。
寒いから服を買ってくださいとは言わない。
殴られるから。
一日に一回だけ食べさせてもらえる固くて味のしないパン。
お腹が空いたからもっと食べさせてくださいとは言わない。
殴られるから。
何か『彼ら』にとって気に入らない事が起きたら、ストレス発散のために殴られたり蹴られる。
痛くて血が出て来たからもう止めてくださいとは言わない。
もっと殴られるから。
それがあやめがこの生まれた家で生きていくために学んだ事だった。
たくさん殴られたり蹴られたりすると痛いだけではない。
血をたくさん流しすぎて最後には動かなくなってしまう。
『死』という行き着く先をまだ十二歳のあやめは何度も見てきた。
「やめてください奥様!」
「うるさい! アタシの旦那に色目使うだなんて……ああ、穢らわしい! 早くその女を地下室にぶちこんでしまって!」
「違います! 私そんな事して……いやあああああ!! 離してええええええ!!」
何度も殴られて頬を腫らした使用人の女が屈強な男二人によって、引き摺られていく。
彼女が連れて行かれるのは地下室。
あやめの家族は『躾部屋』と呼んでいたが、あやめはあの場所を『人が死ぬ部屋』だと思っている。
あやめですら一日一回食べさせてもらえるのに、あの部屋に入れば何も食べさせてもらえずにずっと殴られる。
それだけではない。
母の逆鱗に触れた者が女ならそこにあやめの兄達が躾に加わる。
躾だから仕方ないよなぁ。
そう言ってニヤニヤ笑う兄達は部屋に行くのを楽しみにしていた。
何をするのかくらい、あやめでも分かる。
男と女が命を作るための行為。
男と女が快楽を得るための行為。
躾のためにする事ではないはずだった。
あの人はどのくらい生きれるのかな。
あやめは無表情で、けれど足をがくがく震わせて使用人の最期を想像する。
彼女はきっと色目なんて使っていない。
母が勝手に思い込んだだけだ。
分かっていても言えない。
プライドの塊の母に間違いを指摘したらあやめがあの部屋に入れられてしまう。
「ちょっと、あやめ! 臭いからどいて!」
「……ごめんなさい」
姉の姫花があやめを後ろから突き飛ばす。
不機嫌そうな姫花に母が困ったように笑う。
「ほらほら、姫花ちゃん駄目でしょ。あやめになんかに触ったらばい菌がついちゃうでしょ」
「はーい、ママ。それより今の女……本当にパパを好きだったの? 顔だけはまあまあだから、パパがあの女を気に入らないようにしたかっただけじゃない?」
「そんな事ないわよ」
母が悪戯をした子供のように笑う。
姫花も笑う。
それが怖くてあやめは早くその場から立ち去ろうと思った。
なのに母が「あやめ」と強い口調で呼び止めるので、それは叶わなかった。
「おかあさん……何?」
何かしただろうか。
身構えるあやめを母が鬼のような表情で見下ろす。
「今日からあんたはこの家から出なさい」
「え……」
ついに追い出される。
暴力よりもずっと恐ろしい宣告にあやめは怯えた。
外に出されれば寒い場所で何も食べられずに生きていくしかない。
呆然とする妹を姫花は嘲笑した。
「ママ。一応ちゃんと説明してやらないと可哀想でしょ。お前は知らない男に売られるんだって」
「知らない男……? 売られる……?」
「もうあんたの世話を見るのも飽きたから捨てようと思っていたのよ。それでもあんたが警察とかに逃げ込んでぜーんぶ話されたら困るからね。世話係を捜してたの」
「そしたら、運良く見付かったのよ。あんたに相応しい最高の世話係が」
姫花が赤い口紅が塗られた唇を吊り上げる。
あやめはそれは少し引っ掛かったが、安堵していた。
この家から出られる。
もう、怯える必要もない。
思わず笑みを浮かべるあやめに母が耳元で囁く。
「あの男の言いなりになるんだよ。そうじゃないと生きられないからね」
その言葉に笑みが凍り付く。
そうだ、この母が用意した世話係なのだ。
優しい人間のはずがなかった。
青ざめるあやめに姫花が更に追い撃ちを掛ける。
「あんたの世話代五十万でいいって言ってくれたんだよ。五十万なんて言わないでもっと出そうかって聞いたらこう言ったの。『残りは体で構わない』って! うふふ……あははははははは!!」
その時の事を思い出したのか、姫花は狂ったように笑い出す。
隣で母も必死に笑いを堪えていた。
「なーに安心しきった顔しちゃってんのよ馬鹿じゃないの!? あんたはド変態のロリコンに売られたのよ!! 毎日そいつの性欲の捌け口になるの。分かる!?」
「は、けぐち?」
「十二歳で気持ち悪い男に処女奪われるなんて本当に……かわいそ」
ちっとも哀れんでいない表情で言う姫花に、あやめは頭が真っ白になるのを感じていた。
処女が何の事かは分からない。
だが、きっととても大事なもので姫花がとても楽しそうに笑っている。
今まで以上に酷い目に遭う気がした。




