8話
日本初の原子力巡洋艦、扶桑の栄光について書きます
2014年4月5日、横須賀基地
1隻の巡洋艦から多数の乗員達が飛行甲板に整列し、
私は50年の現役期間を終え、軍務から退こうとしていた。
申し遅れた、私は原子力巡洋艦扶桑の艦魂だ。
~~~~~回想~~~~~
1962年、横浜市のとある造船所
『これより最新鋭巡洋艦の進水式を執り行う!!』
ある大型巡洋艦の進水式が行われていた。
「この船を扶桑と名づける!!1962年7月24日、海軍軍令部!」
当時の国防省、海軍長官の金田信一郎がそう言うとその巡洋艦の薬玉が割れて、多数の風船が飛び散り、その船は海に向けて滑り出す。
「はてと・・・・・・ここはどこだ?」
私は艦橋にある謎の機械が一杯ある部屋で目が覚めたのである。
私は確か1945年2月、トラック環礁へに向かっている途中に戦艦3隻を基幹戦力とする米艦隊と遭遇、僚艦である航空巡洋艦最上、三隈と護衛を務める5隻の駆逐艦と共に戦艦コロラドを撃沈、ネバダを大破させたが、大破しても尚、耐え続けるネバダと最低限の損傷で済んだペンシルバニアの砲撃を浴びて太平洋の底へ沈んだはずでは・・・・・・
私はこの2年後、横須賀に入港したが、その時以上に驚くべき光景を目の当たりにしたのである。
「・・・・・・あなたは・・・・・・もしかして高雄!?」
私は前後の主砲塔を撤去し、第1砲塔があったと思われる場所より少し前に私も装備している12㎝多目的砲を、第2砲塔部分が一段上に上がって私の艦橋直前に装備されていた謎の発射機を備え、第4砲塔部分から前にかけて謎の格納庫を設置し、更にはその後ろに空母の様な広大な飛行甲板が広がっていて、格納庫の上には2基の高角砲に似た砲塔が付いていた謎の巡洋艦に声をかけた。
「えっ、あっ!?もしかして扶桑さん?」
まさか、本当に高雄だったとは予想が出来なかった。
高雄は1952年に一度現役を退き、1957年に晴れてヘリ搭載防空巡洋艦に生まれ変わっており、同型の摩耶も似たような改装を受けたという。
一方でその横には何やら見慣れない大型空母が停泊していた。
その空母の名は神鳳と言い、国産の原子力空母で搭載している航空機の離発着を効率的にする斜め式甲板を備える大型空母である。
「貴様が私の護衛となる新型巡洋艦か・・・・・私の足の長さについてこれる船を求めていた、貴様がその期待に添えるか、期待しているぞ」
彼女がそう言うと高雄が愚痴りだしたのである。
「いや、あの人ね、自分が唯一の原子力艦なのがコンプレックスで、航続距離が長くて速度が速いことが実はみんなに迷惑をかけていると思ってる訳」
いや、私はそんな事、気になってすらいなかったぞ・・・・・・何しろ私はあの空母を守る為に建造された事が知らされたからな・・・・・・
1971年2月太平洋上
それは応急訓練中にあった出来事だった。
「宮本、今日の飯はカレーだよな?」
「そうだよな・・・・・・さてと、俺らは受け持ち区画を封鎖したから、後は封鎖解除例を待つだけだな・・・・・・」
「お、おい・・・・・・宮本・・・・・お、女の人の幽霊だ!!」
「北村、冗談はよせy・・・・・・うわぁあああ!!」
2人の士官が私を見て怖気づき、水密扉にしがみ付いていたのが見えた。
「貴方たちの事は知っているわ、宮本に北村少尉!!」
私がそう言うと正気が抜けたような顔をした北村が呟いた。
「お、お前は誰なんだ・・・・・・」
2人の士官のうち、北村少尉は怯えつつも私にそう問いかける。
「私は扶桑、この船の自身であり、謂わば船の守り神ね・・・・・・」
私がそう言った次の瞬間、顔を真っ青にしていた宮本大尉が声を上げる。
「えっ・・・・・・本当に幽霊だったのか・・・・・・」
宮本少尉にそう言われた私はこう答えた。
「そう言う事にしときましょう・・・・・・何せ私が前宿っていたのは戦艦扶桑ですから・・・・・・」
私が陰湿な笑みを浮かべながら言うとちょうど訓練が終わり、宮本と北村の両大尉はゲッソリとした顔で水密扉を開放して甲板へ向かった。
だが、この二人は後年、私の艦長と副長として1987年に発生したとある国の政変事件で邦人救助作戦を指揮する事となったのである。