7話
次回は国防海軍の原子力巡洋艦たちを特集します!
私が対空戦闘に参加し、眼前で空母飛鷹を失ったのを見届けた同じ頃、アイオワは大和との砲撃戦に敗れて沈みつつあり、ニュージャージーは何とか浮かんでおり、大和自身も既に大破と判定され、武蔵も中破していた。
「流石に戦艦同士の殴り合いとは痛いものだ・・・・・・」
大和がそう言うとリボルバーをホルスターに収めた。
だが、大和はすぐに周りを見やった、そう大和の僚艦を務めていた4隻の重巡洋艦の内、羽黒と青葉が既に海中へ身を没しつつあったのだ。
「大和さん、済まなかった・・・・・・私のせいで」
青葉がそう言うと青葉は巨大な火災とともに海中へ身を没したのである。
続いて羽黒も大和に対してある事を伝え、身を海中へ没したのである。
「大和さん、貴方と共に戦えて光栄でした・・・・・・」
2隻の重巡が海中へ引き込まれると、それに続くかのように米軍の重巡2隻も海底へ引き摺り込まれていった、まるで沈みゆく日本の重巡2隻が道連れを欲しがるかのように・・・・・・
戦艦武蔵甲板
「敵とは言えあっぱれだったな・・・・・・」
武蔵がそうアイオワに対して言うと消えつつあるアイオワは武蔵に対して握手を求めた。
武蔵がアイオワに対して握手に応じた直後、アイオワは満足したかの様に姿を消して、船体は一気に転覆、水中へ沈んでいったのである。
1945年3月、スイスで行われた停戦会議で日米両国は停戦に合意。
4月7日、この日は史実なら大和が海底へ没した日であったが、この世界では戦争が終わった日となり、この翌年から帝国陸海軍は日本国防軍と組織を変え、国防陸軍、国防海軍、国防空軍、国防海兵隊、国防警察となり、陸海軍省を廃止し、国防総省を創設したのである。
1962年、原子力艦隊の創設計画と共に、私とその僚艦であった長門、陸奥、伊勢、霧島、山城が一斉に現役を退いたが、大和、武蔵、信濃、紀伊の4隻は依然として現役を続けたと言う・・・・・・
現在、私は名古屋港で海洋博物館として見学者を受け入れている。