幕間 1939年~1940年 スカパフロー 『彼女たちの休息』
戦艦『エジンコート』の修理及び改修には四ヶ月かかった。
メインマスト上に設置されていたレーダーなどの構造物は、マストの残骸ともども撤去され、スクラップとなった。レーダー室に繋がれていたケーブルもなにもかもが、この時同時にスクラップとなり、レーダーとレーダー室を繋いでいたいくつかの銅線はリサイクルされ他の艦に転用された。また、レーダー室として使われていた部屋も丸ごと引き抜かれて、真空管や銅などの貴重品以外はすべてスクラップにされた。
戦艦『エジンコート』はさらなる変容を強いられた。フランス海軍の最新鋭戦艦『リリュシュー級』にて実施された、煙突とマストの一体構造――MACKを、実験的にエジンコートに施すこととなった。この決定は一見、時間と金に無駄に他ならなかったが、旧式戦艦に新たな装備を載せ替えるついでに行う作業にしては、簡単なものである。
結果としてエジンコートのメインマストは葬り去られ、煙突は半月型の排煙カバーを新たに装備し、昔ながらの三脚檣をばらばらに切り崩して、安っぽい簡素な鋼鉄の一本柱を煙突と合体させ、その上に新型レーダーを添えた。これにより見張り台の数が減ったために、艦橋上層構造物を新たに追加し、旋回窓を備えた見張り員用の非装甲の個室が左右に一つずつ増設された。これを見た水兵はスカパフローから車で町に繰り出し、煙突付のストーブを二つ乗せて帰ってきた。彼女らは個室の天井部を切り抜き、煙突をつき出させ、隙間を廃材と鉄くずで溶接して個室に暖房器具を設置した。
他にも、明らかに北極圏での活動を前提とした耐寒装備が積み込まれるなど、この先の戦局がどう動くかを推測する材料はいくつもあった。
一方の世界情勢は芳しくなく、フランスとドイツの国境地帯では戦争中ではあるが戦闘中ではない〝まやかし戦争〟と呼ばれる不可思議な状態が発生し、ソ連はフィンランドに侵攻して予想外の出血を強いられるも、有利な条件下で講和に成功。そのついでに、バルト三国は赤い津波にのみ込まれ、反ソ勢力はシベリアへと送られた。
一九四○年三月、戦艦『エジンコート』の改修工事が完了すると、臣民海軍本部はさらに一カ月の待機命令を下し、乗員たちの反感を買った。彼女らは修理期間中に上陸し、娯楽などに金を費やしたり、家族に会いに行き束の間の日常を味わっていたが、自分らがなにをすべきかは心得ていた。そのため、これ以上の休暇は必要ないと考えるに至っていたのである。
しかしながら臣民海軍本部はその命令を取り消すことはなく、戦艦『エジンコート』をスカパフローに留め置き、その他の対潜艦艇を全力出撃させてイギリス領海内の掃海任務を開始。武装したトロール船如きが相手にするのは、灰色の群狼と呼ばれる、ドイツ海軍の小型潜水艦〝Uボート〟であった。対潜部隊はUボート討伐に心血を注ぎ、荒れ狂う波と天候に翻弄され、見えない敵との戦いに神経をすり減らし戦っている。だが戦艦は港で留守番とはどういうことかと、ボラン少佐を始めとする好戦派の士官らはヴィクスに言ったが、彼女はただ口を濁して首を横に振るだけだった。
ヴィクスもこの決定を不審に思っており、何度か本部に問い合わせをしてみたが、彼女の提案で受け入れられたのはスカパフローから少し離れた沿岸で砲撃訓練をすることだけで、それも極限られた期日の限られた時間しか行うことができなかった。だがこの砲術訓練はすでに初陣を経験した彼女たちにとって、死活問題であり、この訓練がどのようにして実戦に繋がるかを理解した彼女らは、必死で取り組み、ミスと怠惰の撲滅に務めていった。
誰にでも最初はあると、誰もがその言葉に甘えたがるが、こうして最初を終えてしまえば、あとは個々人の努力がものを言う。それも遮二無二がむしゃらになって努力するのではなく、どこをどうやって改善し、このミスは自分が悪かった、このミスは彼女が悪かったと、切磋琢磨しあう総合努力が大事なのである。もちろん、軍事組織である以上、割り切りと合理性をそこに加味しなければならない。精神的な要素は隠し味程度に混ぜ、決して外面にひけらかすことの無いように努め、これに頼ることなどあってはならないのである。
水兵たちはそうして、臣民海軍に戦艦『エジンコート』が引き渡された際に更新されたモットーを自らの誇り、水兵としての在り様として胸に刻むようになった。
――Ducunt volentem fata, nolentem trahunt.(運命は望む者を導き、欲しない者をひきずる)
激しく勝利を欲せよ、そのための努力を怠るべからずと士官らはそれぞれ訓示を出した。
皮肉なことに、この空白の一ヶ月が彼女たちの戦意を向上させ、来るべきその時に備えて覚悟を決める準備期間となった。