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臣民のエジンコート【完結】  作者: 狛犬えるす
第六章:1940 Forse H 《N.M.》
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西暦1941年2月 地中海『グロッグ作戦II』

 闇夜の帳を引き裂いて、艦首が白波を立てて海原を駆けていく。

 戦艦『エジンコート』はその主砲、七基十四門の13.5inch砲を片舷に指向し、戦列に居並ぶ各艦共にそれに倣った。

 戦列にその巨体を並べるのは巡洋戦艦『レナウン』戦艦『マラーヤ』及び『エジンコート』軽巡洋艦『シェフィールド』である。


 巡洋戦艦『レナウン』はノルウェーの海でも共に戦った仲であり、彼女の健脚を海軍は重宝している。

 戦艦『マラーヤ』といえば先の大戦のユトランド沖海戦でも、そしてこの地中海でも戦艦『エジンコート』と共に戦ってきた。

 軽巡洋艦『シェフィールド』もあのノルウェーの海で作戦行動に参加している。


 既知の中である彼女たちは一様に、まるで行進する絢爛たる装飾を身につけた儀仗兵のように、単縦陣で巡航していた。

 薄暗い灰色の迷彩を捨て、地中海の明るい色を身に纏った老女と、その小さな娘が、今やその怒りの矛先を敵へと向けている。

 そして薄闇の中、主砲発射を知らせるベルの響きの後、鼓膜を破らんばかりの轟音を響かせ、彼女たちは砲撃を開始した。


 陸上火砲であるならば列車砲、あるいは沿岸砲に比類する巨砲によって放たれた砲弾は、ジェノヴァの軍施設、港設備を狙ったものであった。

 もちろん、港設備の中には停泊している船舶も含まれている。

 それは、イタリア軍を支える戦略輸送経路の一つであるのだ。

 

「軽巡洋艦『シェフィールド』も砲撃開始」


 見張り員からの伝言を士官が報告するのを聞き、ヴィクスは一度だけ深く頷いた。

 軽巡洋艦が砲撃を開始したという事は、それだけの距離まで接近しているということでもあるのだが、まだ迎撃らしい迎撃は受けていない。

 要衝であるのならば機雷源くらいはあってもいいようなものだが、利便性のために機雷を敷設していないということもあるうる。


 どちらにせよ、我々にとって優位であることに変わりはない。

 騎士道精神とは既に過去の遺物であり、今の戦争は優位性を維持したまま、いかに敵を消耗させるかという点に集約されている。

 たしかに、道徳的観念や倫理観としての騎士道精神や、それに類する精神的思想は崇高なものであろう。


 だが、それだけでは戦争には勝てないのだ。

 戦争は理想と理念よりも、卑劣と卑怯をより好む。

 いかに手を汚さず、いかに敵を消耗させ、斃すか。


 それこそが戦争という行為であり、であるからこそ、精神的思想こそは崇高となる。

 それは泥の中に純然と光り輝く宝石が人によって哀れに見えるか、儚く健気なものと見えるかの違いでしかない。

 だが、だからこそ、その思想こそが崇高であり大事なものなのだ。


「よろしい。敵の迎撃もないようだ。このまま目標に砲撃を続ける。ジェノヴァは当面閉店してもらおう」

「アイ・マム」

「うむ。―――周囲警戒を厳とせよ! ホルティ・ミクローシュに一矢報いた連中だ! ここが奴らの沿岸だということを忘れるな!」


 ヴィクスが受話器を取り、滅多に出さない大きな声でそう言った。

 砲撃中であることもあって、その声すら途切れ途切れになりはしたが、意味するところは十分に伝わった。

 古来より、小さい鼠だとほくそ笑んでいた者が手酷く噛み付かれることは数え切れぬほどある。


 実戦においてイタリア海軍が弱腰とはいえ、彼らは彼らなりの方法によって戦果をあげたことがあるのだ。

 先の大戦においては、イタリア海軍は劣勢なれどもオーストリア=ハンガリー帝国海軍に対して果敢に立ち向かった。

 彼らはベニヤ板で出来たプレジャーボートのような魚雷艇で、弩級戦艦『セント・イシュトヴァーン』を撃沈し、オトラント海峡の突破を阻止したのだ。


 彼らは負けてきた歴史の方が確かに多いが、何もせず座して滅亡を待っていたことはない。

 なにかしらの行動を起こしてくるはずなのだ。

 それが今とは限らないが。


「砲術長、精密砲撃に拘って火力投射の手を弱めるな」


 手に取った受話器でボラン少佐に向け、ヴィクスが言うと、気難しいハイランダーはすぐに答えた。


『アイ・マム。―――艦長』

「なんだ?」

『私は艦長の命令を受けて尚、大聖堂を前に竦むような人間ではありません』

「うむ。為すべきことを為せ」

『アイ・マム』


 通話が切れたのを確認して、ヴィクスはボラン少佐が背中を押してくれたように感じていた。

 単刀直入に言うのを好む彼女にしては、よくもまあと思えるほどの遠まわしであったが、彼女はそうしたのだ。

 あなたの命令であるのならば、それをすることに躊躇いはしない、と。


「視界がよろしくない。弾着は観測できるのか?」

「我々の弾着と他の艦のものを誤認するかもしれない」

「戦艦『マラーヤ』と巡洋戦艦『レナウン』のものとは、区別しろ」

「砲術の腕前が試されるわけだな……」


 固唾を呑んで艦砲射撃の様子を見守る艦橋要員たちを横目に、ヴィクスは艦橋の外へ目を向ける。

 砲弾を撃ち出し、火玉を吐き出す主砲に目を眩まされながら、彼女はたしかに先行する二つの艦影を見た。

 巡洋戦艦『レナウン』と戦艦『マラーヤ』である。彼女たちもまた、轟音を響かせながら主砲をジェノヴァ目掛けて発砲していた。


 腹の底まで震えるような轟音は、留まることを知らず、永遠にこの巨大なドラムの音色が響くのではと思うほどであった。

 主砲を発砲し、自動車ほどの重さの砲弾と装薬が弾薬庫より引き上げられ、砲尾より装填され再び撃ち出される。

 太陽が満足に昇らぬのならば、どうだ明るくしてやろうとでも主張しているかのような巨大な火玉は、その破壊力の高さを連想させるに十分だった。


 砲口で生じた衝撃波は海面を巻き込んで波を立て、大気がびりびりと震え、火玉が出現する。

 訓練で何度も繰り返してきたように、今もまた何度も繰り返し、装填しては発砲し、発砲しては装填する。

 火の手が上がるジェノヴァの港を見つめながら、ヴィクスは、これが英国ではなくて良かったと思った。

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