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臣民のエジンコート【完結】  作者: 狛犬えるす
第六章:1940 Forse H 《N.M.》
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西暦1940年7月中旬 ジブラルタル 『先の先』

 イタリア海軍はシャイだ、と砲火を交えた者たちが言うのをあちこちで聞く。

 戦艦『エジンコート』の艦長であるマリア・ヴィクス大佐もまた、そうした報告を受けていた。

 カラブリア沖での海戦では、戦艦『ウォースパイト』『ロイヤル・サブリン』『マレーヤ』空母『イーグル』を中核とした艦隊がイタリア艦隊と交戦したものだ。

 この戦いにおいて巡洋艦『ネプチューン』などが損傷したが、沈没艦はなかった。イタリア艦隊にも同様に、沈没艦はない。


 だが、それよりも明らかになったことがある。

 それが前述の、イタリア海軍はシャイだ、というものだ。

 正確に言うならば、用心深く臆病で、決定的な判断力に欠ける、と。


 実際、ヴィクスが海戦の推移を綴った報告書をいくつか読んでみると、そう言いたくなるのも無理はなかった。

 空軍との連携を頭に置いているような節があるが、それを十分に生かせていない。

 また、砲撃戦においても受身の対応が多く、能動的に戦闘の推移を制御しようという気が見えない。

 艦数で優勢に立っているにもかかわらず―――恐らく戦艦の損害を恐れてのことだろうが―――砲戦距離を縮めようとしなかったのは、攻撃に対する比重が低いのだろうとしか考えられない。

 イタリア海軍をもし弁護するならば、彼らの戦艦がフランス海軍の新鋭戦艦『ダンケルク』のような優れた火砲を搭載しており、その砲戦距離こそが妥当な距離であったとも言えるかもしれない。

 が、ヴィクスの記憶ではイタリア海軍の戦艦にそれほど性能の良い大砲を積んだものはなかったように思えた。

 

 また、空軍との連携がうまくいっていない上に、空母を保有していないというのもヴィクスは良いと考えた。

 航空機による対艦攻撃が砲撃戦の最中に始まるのは、混乱に混乱を注ぎ込むようなもので推奨されたものではないが、かといって、航空機による対艦攻撃と艦隊による砲撃戦を完全に別個のものとしてしまうのは、単に敵に襲撃を知らせるようなものになってしまう。敵に最大の混乱を与え、その混乱に乗じて苛烈な攻撃を与えるということこそが、こうした戦術では最大効果であるはずなのだ。

 もしかするとイタリア軍は、緊密な攻撃方法が定まっていないのではないか、とヴィクスは考えた。

 そうであるならば行幸だ、とも。


 イタリア空軍と海軍の連携が出来ていないのならば、それはドイツを相手にするよりは幾分かマシであるということでもある。

 急降下爆撃機などによる爆撃や、雷撃機による雷撃などがないだけありがたかった。どちらも攻撃される側は回避行動か、あるいは艦隊行動を維持するかの選択を強いられ、直撃すればそれなり以上の損害を蒙る。実際に航空機による攻撃で損害を受けた艦船は、開戦より増え続け、それにより重要な部署が壊滅したり、または撃沈されることもあった。


「……イタリア空軍と海軍の連携が上手くいっていないのであれば、そして、それがドイツ空軍ほどの脅威でないのであれば、地中海方面での戦いはかなり優位に進められるでしょうね」

「どうかな。我々の艦にとっては、もはやどのような戦場であれ荷が重いようにも思える」

「弱気ですね、艦長」

「君も歳を取って身体を壊すと分かる。壊さないでいてくれれば、これ以上はないのだが」


 ジブラルタルのとある一室で、マリア・ヴィクスとニーナ・マクミランは寛いでいる。

 ヴィクスは紅茶を飲み、窓から見える港を眺めており、マクミランは煙草を燻らせながら地元の新聞を読んでいた。二人ともしていることも別々だというのに、話している事は一貫して戦域の推移についてのものだ。


「……だが、地中海の戦線を我々が支配することを、ドイツが見過ごしてくれるかどうか」

「ドイツ人の目が節穴であることを祈るしかありませんね、ダンケルクの時のように。でなければ、神を頼るしか」

「敵がいつも間抜けだということを期待するのは、軍事史上もっともよく見られる愚かな考えだ。自分がそれを愚かだと思えているうちに、その考え自体を捨て去った方が良い。人間はいつも、信じたいものを信じてしまう。たとえどれほど論理的でなくともな。それに……ダンケルクは軍人だけで成したことではない。民間人すらをも巻き込み、兵士たちを救おうとドーバーを超えて馳せ参じた者が大勢いる。単純な数の暴力と唱えることさえ出来るかもしれないが、それを実現したのはひとえに個々人の勇気によるものだ。それを忘れてもう一度その再現を望むだけというのは、あまりに都合が良すぎないかね?」

「フムン……手厳しいお言葉ですね、艦長」

「希望は武器となりえるが、願うことだけではだめなのだよ、副長」


 ふう、と大きく息を吐き出して、ゆっくりと吸いながらヴィクスは港にその肢体を泊める戦艦『エジンコート』を眺めている。

 マクミランは紫煙を吐き、手に持った新聞紙を几帳面に畳んでそのままゴミ箱に放り投げ、ぼんやりとヴィクスを見つめながら言った。


「行動、ですか」

「そうだ。現実を観賞するだけでなく、干渉する気があるのなら、行動して己の意思を示さなければならない。時には行動しない、という行動も必要になる。それが処世術というものだ」

「なるほど。……恐らく私は、この艦を降りれば次はどこかの巡洋艦の艦長なのでしょうが、艦長のお話を聞いていると、自分にそれが勤まるか心配になってきます」

「はははっ……。誰だって最初は不慣れなものだ。初めて使うキッチンの棚になにが入っているのか分からないように、なにをすべきか分からない時もある。だが、じきに分かる」


 ゆっくりと脚を組み、穏やかな表情を浮かべながらヴィクスはマクミランを見た。

 彼女は頼れる副長であると同時に、ロボットのように実直かと思えば、その実、とても人間らしい女性だ。

 きっとこうした人材こそが自分の後進となり、後を継いでゆくのだろうと思うと、ほっとする。

 ヴィクスはこちらを見つめ返すマクミランに、儚げな微笑を浮かべながら静かに言った。


「自分のすべきこと、責務というものが」


 戦艦の艦長、乗員千名以上の頂点に君臨する長が言った一言は、マクミランの胸に重く響いた。


 

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