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臣民のエジンコート【完結】  作者: 狛犬えるす
第六章:1940 Forse H 《N.M.》
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1940年7月11日 地中海途上 『先導』

 カタパルト作戦を終えたH部隊はジブラルタルへ帰港し、砲弾と燃料の補給を行った。

 次の出撃の予定はすぐに決定され、機関に問題がなければ戦艦『エジンコート』はこのままH部隊指揮下のまま、陽動作戦に参加することとなった。マルタ島から北アフリカの要所であるアレキサンドリアへの輸送船団の護衛につく、地中海艦隊の援護のためである。

 この作戦は六月に行われたMA3補給作戦がイタリア海軍との戦闘――エスロペ船団の戦い――により頓挫した為、マルタ島で閉じ込められている船団を出撃させ、補給を完遂するためのものでああった。補給、ひいては兵站なくしては、いかに兵将軍が秀でていても最終的な勝利はないというのは、戦史を紐解けば容易に理解できるはずだ。

 

 戦略上、英国は追い詰められてはいるが、依然として優位にある。

 海軍力ではUボートという脅威はあるものの、水上艦艇の数ではもちろんのこと、各地にある海軍拠点や戦力はドイツ海軍の比ではない。陸軍はダンケルクの戦いにおいて重火器のほとんどを喪失しはしたが、それでも兵員は持ち帰ることが出来た。

 また空軍は、戦争が勃発する以前から迫りくるドイツ空軍の猛攻を防ぐ為に、何年も前から燃料の備蓄やレーダー設備、防空指揮系統の構築を行ってきた。飛行士たちは不足していたが、訓練を受ける若者に飛び方を教え片っ端から部隊に配置し、祖国を失ったチェコ・スロヴァキア人、ポーランド人たちも英国人士官の下で訓練を受け、部隊配備されていた。


 今や英国はすべての臣民が戦争という行為に参加し、害され、恐れ、憤っていた。

 少なくない数の女たちが男を失い、それよりも少ない数ではあるが、男たちが女を失った。

 親は子を、老人たちは子や孫を失い、降りかかる危機のために失おうとしている。



 英国は団結した。

 英国は一つである。

 英国とはすべてである。


 

 そして、話は戦艦『エジンコート』に戻る。

 用兵側からすれば、戦艦『エジンコート』は、旧式であるからこそ惜しみなく使うことが出来た。

 この時期、どのような戦域にも投入してその沈没の報を聞いても驚くことのない戦艦は、この『エジンコート』とリヴェンジ級戦艦くらいなものであろう。どちらも旧式で、戦艦であること以上に秀でた面はなく、リヴェンジ級はまだ幾分か互換性があるにしても、戦艦『エジンコート』は初期に比べればまだ良いが、それでも互換性の低さは目立っている。

 使われている技術も、とくに真新しいものなどない。いくつか新機軸として採用されたものさえあれど、それも敵に運用されて困るようなものではなかったし、戦時に突入してからの戦艦『エジンコート』は、それまで役目であった実験艦としての要素も薄れていた。この旧式艦に最新鋭の装備を積んで、もしも損失するようなことがあれば、労力の無駄となる上に、貴重な実践データまでもが失われてしまうことになる。そんなことをするくらいなら、もっと都合の良い艦は英国海軍に何隻もあった。


 機関不調から脱した戦艦『エジンコート』は、地中海を駆けている。

 戦争において馬車馬のように働かされるこの老女は、いつ何時機嫌を損ねるか分かったものではないが、それを丁重にもてなしてなんとか無言で動いてくれるようにするまで、機関科の苦労は相当なものであった。ただでさえ機関室という穴倉で責務のほとんどをこなしているというのに、彼女たちはその上にさらに苦労を重ねたのである。

 


 今、地中海の穏やかな海原に陽光が差し込み、煌いていた。

 青く澄み切った海面は、港や浜であれば海底まで見透かせるほどであり、曇り空と寒々としたスカパ・フローの天候に慣れきった者はここが別世界なのではないかと思うような、陽気な海である。海流の雄々しさもなりをひそめ、波などは人間に歯向かうのを止めたかのように優しげで、今であればただただぼけっと海面と空とを眺めているだけでも、心が癒されそうな具合であった。


 それは戦艦『エジンコート』に乗り込むほとんどの乗員には経験のないような穏やかな海と風で、地中海が北海とはまったく違う性質の海なのだということを深く感じさせるには十分であった。

 北海や北極圏近くの海で凍えるような思いをした乗員たちは、この地中海を心地よい場所と考えているものさえいた。ここは敵地でありはすれども、英国本土のような陰鬱とした天候をぼんやりと眺める必要もなく、暖かで快適なバカンスのような天候と気温なのであるから、無理もない。

 戦争でなければ、休暇を取り地中海沿岸の観光地に足を運んでいた者もいただろう。戦争が終わった後にでも、この地中海に面した国の観光地でバカンスを取ろうと決心したものもいたはずだ。英国人はあの曇り空から逃れる為に植民地帝国を築いた、とジョークを言われるほどなのだから、その決心はこれからの戦いにおいても折れることはないであろう。

 


 地中海は外海とは違い、艦船を転覆させてしまうほどの波や海流はほとんどない。

 海流の入り口であり出口でもあるジブラルタル海峡の水深が浅いため、海水が循環しにくいためだ。

 そのため、こうした穏やかな海での戦闘を想定した海軍の艦艇は特徴的なものであることが多い。

 実際、同じく内海であるバルト海での運用を主眼として建造されたポーランド海軍駆逐艦『グロム』『ブリスカヴィカ』などは、重心が高くなることもいとわぬ重武装をしていた。ポーランドがドイツによって征服され、二隻とも現在は英国海軍で運用されているが、重心を低くする為に武装の変更や撤去などが行われたほどだ。


 とはいえ、イタリア海軍の実力の程を知ることは難しい。

 イタリアはこの戦争が始まるよりも前に、何度か他国を侵略してきはしたものの、海軍が活躍することはなかった。

 そのため兵士の練度がどの程度で、それがどこまで戦術に影響してくるのかを探らねばならなかった。


 少なくとも兵器の質でいうならば、イタリア海軍は地中海上で十分な脅威となる。

 ジブラルタルとエジプトを英国が押さえている現在、その活動範囲は限定的なものではあるが、もしイタリアが北アフリカのリビア領から進出し英国の半植民地であるエジプトを押さえられるようなことがあれば、スウェズ運河は英国から手を離れ、枢軸陣営はスウェズ運河を通して地中海と太平洋と結ばれるであろう。

 そうなれば海軍力で勝る大日本帝国が、地中海へ、ひいては欧州へとなだれ込んでくる可能性もないわけではない。喜望峰経由ではなく、危険も日数もずっと低い航路が開いてしまうのだ。あくまで、可能性の話ではあるが。


「………駆逐艦『エスコート』はもたなかったか」

「どてっぱらに穴をあけられて二日ももったんです。彼女は精一杯頑張りました、艦長」

「そうか、そうだな。地中海艦隊の情報は?」


 艦橋から海原と艦隊を、そして頭の中ではよろよろと航行していた駆逐艦の姿を思い寄せながら、ヴィクスはマクミランに問うた。

 駆逐艦『エスコート』は潜水艦による雷撃を受けながらも、しばらくはなんとか持ちこたえていたが、その努力もついに限界を迎えた。H部隊にやってきてからまだ一週間ちょっとしかしていないというのに、彼女はその身を地中海の海底に横たえることとなったのだ。

 

 戦艦『エジンコート』を含むH部隊は、陽動としてサルデーニャ島のカリャリ空襲を行うために出撃したが、結局のところ空母『アークロイヤル』は空襲を行えずに帰路についていた。駆逐艦『エスコート』が雷撃を受けたのは、その途上のことである。彼女はボイラー室に魚雷を受けながら、二日間なんとか踏みとどまっていたが、今、その努力も泡と消えた。

 


「カラブリア沖での海戦では、我が方は損害軽微。重要伝達事項は各将官に直接伝えたいとのことです」

「なるほど。なにやら、イタリア海軍に関する情報を手に入れたのかもしれないな」

「そうであるならば、良いのですが」


 眉をひそめるマクミランに、ヴィクスは表情を緩める。

 既にエスロペ船団の戦いにおいて、英国は一つのことを学んでいた。

 敵側の方が高速な場合、昼間の遠距離砲撃戦では決定的な勝敗はつきにくい、ということだ。これは砲戦距離の主導権を相手が握った状態になり、逃走を図れば成功しやすく、追撃はしにくい。これを防ぐには敵側の指揮系統を混乱状態に陥れるか、あるいは直接的に機関部に直撃弾を与えるしかない。

 このカラブリア沖での海戦でもまた、なにかを得ることができたというのであれば、それは是非耳に入れ、再考するべきだ。伝統は引き継がれるべきであるが、知識は常に更新し再考し続けなければならない。常に、相手よりも優位に立つために。


「でなければ、駆逐艦一隻を失った意味がない」


 ヴィクスがそうつぶやくと、マクミランは「それも、そうですね」と静かに言った。

 地中海の海原はたしかに穏やかであれども、海軍というのはその穏やかさに似合わぬものだと、二人は沈んだ駆逐艦の幻影を思い浮かべながら、そう思った。


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