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臣民のエジンコート【完結】  作者: 狛犬えるす
第二章:1940 Norway M.V.
14/59

同年 ノルウェー ヴェストフィヨルド 『束の間の安らぎ』

 仮眠室の扉を開けたヴィクスは、後ろ手で扉を閉めながらベッドに倒れ込んだ。マットが敷いてあるためある程度の衝撃は和らいだものの、やはり元々が味気ない仮眠用ベッドなので、ヴィクスは胸を強打し、暫しの間ベッドに突っ伏しながら悶絶する羽目になった。もともと、そこまで色気のある体型でもなく、胸の膨らみも豊かではない。クッションらしいクッションもなく、華奢とは言え、一人の女性の重みを受け、老人の様なスプリングがその衝撃を受け止めきれるわけがないのだ。

 不眠と言うのはどうにも判断力を鈍らせるなと一人愚痴りながら、ヴィクスは帽子を脱ぎ、ダブルのコートを着込んだままベッドに転がった。ベッドはベッドではあるものの、仮眠用だ。しかもこれは軍の仮眠用ベッドである。高級感や生活感は一分たりとも存在しない。ひたすら頑丈でひたすら単純な、ただ一時的に寝る事が出来るだけのベッドだ。目的から逆算して作り出された、最低限の仕様を備え、一番安く作れる業者を軍が落札し、大量生産されたベッド。

 だが、そんなベッドでも疲れはてた肉体は天国と感じる。何時間も椅子に座り続け、何時間も荒涼とした北極圏の海原を見据え、何時間も巡洋戦艦『レナウン』の後ろを追い続け、数時間ほどの遭遇戦を経験し、一名の戦死者を弔い、さらに数時間が経過した。いったい何時間寝ていなかったのだろう。今ヴィクスは、さきほどまでまったく感じることのなかった微睡を感じ、安堵に胸を撫で下ろしていた。

 

「……一人、殺してしまったか」


 吐息に紛れるようにして呟かれた言葉は、灰色の鉄に吸い込まれて消えていく。

 先の戦闘で艦尾に着弾した砲弾で水兵の一人が戦死した。なにも砲弾の直撃を受けてバラバラになったのでもなく、爆発の衝撃波を受け内臓が破裂したわけでもない。ただ、爆発によって飛散した鉄片の一つが運悪く彼女の後頭部に直撃しただけだ。軍医が摘出した鉄片は、彼女の肉と脳で汚れていたが、大きさは大したものではなく、掌の上に収まる程度だ。そんな小さな鉄片のせいで一人の水兵が奪われたのだと言う現実は、自分の部下が、そして自分よりも年端のいかない水兵が死んだのだという事実は、ヴィクスにとっては理不尽この上ないものだった。

 水兵は防寒着の上に防雨具を付けた状態で、海兵隊に引きずられて医務室に運ばれ、次に戦闘時は死体置場となっているシャワールームに放置された。戦闘後に軍医が彼女を検死のために手術台に上げ、鉄片が脳の主要な部分を引き裂き、潰しているのを確認した後、胃の中身を洗いざらい吐き出している助手に彼女の後頭部を含む損傷個所を縫い上げるように命じてから、検死報告書を仕上げにかかった。

 数十分後には、甲板に棺が一つ。従軍神父が祈りを捧げ、栄えあるユニオンジャックを被せられた棺が、海へと投げ出される。ヴィクスを含む士官たちが敬礼し、棺は飛沫を上げて着水した。国から離れ、彼女は海原へと帰ったのだ。疲労していただろう海兵隊が僅かな時間で伝統的な正装であるレザーネックに着替えていた。彼女のために弔銃を放ち、この北極圏で防寒着も付けずに、儀礼通りに水葬を取り持ってくれた彼らには、感動で言葉が詰まった。ライオネル・カーンというあのキザな海兵隊指揮官は、軍人としてはともかく、人格者で人情深い。彼の周りに何人もの女が寄ってくるのも納得だ。


「疲れたな」


 間接が軋む音を聞き流しながら、ヴィクスは一人囁いて眠った。

 浅い眠りの中で見た夢は、煙草を吸いながら暖炉の前で安楽椅子に座り、夫と談笑する何気ない日常の一幕だった。

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