第九話 ルーナとの出会い
(……え?)
その生き物は、既に暗くなっている道の途中にうずくまっていた。
サイズは一般的なイエネコぐらい。
尖った大きな三角耳に、ピンと伸びたヒゲ。
しなやかなしっぽと、艶やかな毛並み。
やや頭が大きく胴体が小さいようだったが、外見は和花の知っているネコに酷似している。
だが――。
(にゃんこ……じゃ、ない……?)
――この「ネコ」が、決定的に普通とは違っている点があった。
全身が、ほのかに発光していたのである。
月の明かりのような、柔らかな燐光。
その淡いプラチナブロンドに輝く柔らかな体毛は、シルクのような光沢を放っていた。
最初は、月や街灯の光を反射しているのかと思った。
だが、その子の周りだけ照らされていれば、明らかにそうではないことが分かる。
そもそも、和花がひっそりと暗がりにいたこの生き物に気がついたのは、何だかその周辺だけ光っているように見えたからだ。
――妖精。
和花は、自然とそう感じた。
ネコをディフォルメしたようなシルエットに、全身を包む仄かな光。
それは、まさに妖精とでもいうような、不思議で、神秘的な生き物だった。
更に言えば、もう一つ、普通の状態ではないことがあった。
その美しい全身が、今は見る影もなく、血と泥に汚れていたのである。
ぐったりと壁にもたれかかり、息も絶え絶えといった様子だった。
何よりも、その愛らしい表情が、苦痛と疲労に歪んでいた。
和花は、慌ててその「ネコ」を抱き上げた。
本来、こういった動物を触るのは、衛生面から見れば好ましくない。
こういう場合、まず連絡するべきは医療所か、さもなくば保健所だろう。
加えて、正体不明の「光るネコのような生物」などという得体の知れないものには、関わらないことが一番である。
しかしながら、和花の頭の中からは、そんなことは綺麗さっぱり消え失せていた。
少し前に「事故」にあった自分や琴音と、無意識に重ね合わせていたのもある。
しかし今は、「とにかく助けなきゃ!」という強い思いが、彼女にそうさせたのだった。
和花はその生き物を大慌てで家に連れ帰ると、家の風呂場で丁寧に洗って、全身の汚れを落としてやった。
身体を洗ってやっている最中に、その胸元に黒い月に似た模様があることに気がついた和花は、ちょっとテンションが上がった。和花が好きな魔法少女シリーズ、「マジカル☆スターズ」のマスコットが、ちょうどこんな感じだったからである。
その後タオルで水気を拭き取ってからドライヤーで乾かしてやると、気持ちよかったのか、「ネコ」は手の中で無意識にうっとりとした顔をしている。
例の事故で琴音が昏睡状態に陥ってからの和花は、これまで通りに上手く笑うことができずにいた。
だが、「ネコ」の可愛らしい表情を見た和花は、微笑ましい気持ちになって、思わずクスクスと声を上げて笑った。
一時間後。
和花は、見違えるほど綺麗になった「ネコ」を眺めながら、これからどうするか迷っていた。
今は重ねたバスタオルの上に寝かせてあるが、苦しそうな表情も和らぎ、呼吸も穏やかだ。
どうやら衰弱しているようだが、取り敢えずは大丈夫そうだ。
少なくとも、命に関わるような大怪我をしている、というわけではないらしい。
更に、その「ネコ」は、名札やタグなどをつけていなかった。
唯一、毛並みと全くあっていない、無骨な銀色の首輪をしていたが、そこにも何の情報もなかった。
こう言う場合には、住所や連絡先、そうでなくともこの子の名前くらいは書いてありそうなものだが。
その首輪には何だか高価そうな金色の宝石がはまっていて、どこか粗悪で不恰好な首輪と比較するとチグハグであり、漠然とした違和感を和花に与えた。
首輪をしている以上、誰かのペットという可能性はあるが……何となく、和花はそれも違うような気がしていた。
うまく言葉にはできないが……目の前ですやすやと眠っているこの「ネコ」は、大人しくペットとして飼われてはくれないような、何だかそんな雰囲気がするのだった。
……もちろん、和花の勝手な想像でしかないが。
――元の場所に戻してやるべきだろうか。
和花は迷った。
だが、この不思議な生き物は、かなり弱っているようだった。
このままコンクリートの上に放置していくのは、何だか可哀想な気もする。
動物病院や医療所に連れて行きたくても、生憎と近所には、この時間に受け入れてくれるような場所はない。
(保健所に連れて行くつもりは、和花には最初からなかった)
家の中に置いてやるには、当然ながら両親に許可を取らなくてはならないが……生憎と、二人とも忙しい。
帰ってくるのは、日が変わってからだろう。
いや、そもそも、この生き物はなんなのだろうか。
確かに和花は魔法少女アニメが大好きだが、流石に本物の妖精が現れたのだと信じるほど子どもではなかった。
となれば、和花の知らない生き物だろうか。少なくとも、動物図鑑では見たことがない。
それどころか、全身が光っている生き物など、和花には一切、心当たりがなかった。
「――ねぇ。君は、何処からきたの……?」
手持ち無沙汰になった和花が、戯れに「ネコ」の頬をぷにぷにと突いていた時である。
その生き物は、パチリと目を覚ました。
そして、その金色の瞳で、和花の顔をギョッとしたように見上げて――声を上げた。
「――人間!? なんで!?」
「――しゃべったんだけど!?」
そう、しゃべったのだ。
しかも、結構可愛い声だ。
アニメ声というのか……甘く鼻にかかるような、どこか幼さを残した女の子の声である。
その生き物も驚いたような様子だったが、それ以上に和花も驚いていた。
いや、というか、14年間生きてきて、一番驚いたかも知れない。
都会のド真ん中に、こんな動物がいるということも驚きだ。
しかしながら、それが人間の言葉を発するなどということは、いよいよ和花の理解の範疇を超えていた。
「――すごい! お話しできるの!?」
「どうなってるの!? 説明しなさい、人間!!」
「……か」
「――はぁ? “か”?」
「――んぎゃわいぃぃぃ!!」
「は? アンタ、何言って……ええい、触るな! 撫でるな! 抱き上げるなっ!」
「スゥゥゥゥゥゥ……!」
「いやあぁぁぁ! 吸うな、バカっ! 死ねっ! この、離しなさいよっ! 大体、どうやってここまで……というか、何処よここ!?」
小さい身体のくせに、何だか偉そうな喋り方をしている姿は、なんとも言えない愛らしさだ。
可愛い物好きの和花のハートは、今やすっかり鷲掴みにされていた。
見た目が完全にぬいぐるみだったので、思わず速攻で抱き上げて頬擦りしてしまったが、和花にとっては半ば無意識的な行動だった。
だって可愛すぎたのだ。
まるで、それこそアニメに出てくる妖精のようではないか。
一方その「ネコ」はというと、怒鳴りながらジタバタと力なくもがくだけで、和花の拘束から逃れることはできない様子だった。
先程まで静かだった和花の家は、一転して、ドタバタとした喧騒で溢れかえった。
……興奮した一人と一匹が落ち着くまで、しばし時間を要した。
「ハァ……ハァ……。バカじゃないの、アンタ……!」
「……だって、可愛かったので。私は悪くないので」
「この……! 死ね、バカっ! はぁ……。もういいわよ……」
疲れ切ったようにため息をつく姿に、流石に罪悪感が湧いてきた和花。
そもそも家まで連れてきたのは、彼女が血と泥に汚れていたからで、それを先ほどのように乱暴に撫でくりまわすのは、褒められことではないだろう。まあ、今更ではあるが。
「あ、あの……さっきはごめんね? 怪我はしてない? どこか痛くない?」
「……そういえば。アンタが、私を助けてくれたの?」
「え? うん、まあ……」
あまりに唐突な返しに、和花は思わず目を白黒させた。
別に怪我をしていたわけではなかったので、和花は結果的に汚れていた彼女を洗って乾かしただけである。
少なくとも、和花には「助けた」という認識はあまりなかった。
彼女にとっては、ごく当たり前の行動だったのだ。
そのため、なんとか返事はしたものの、何だか歯切れが悪くなってしまった。
やはりというべきか、それを聞いた相手は、警戒したような訝しげな顔をしている。
どこか不審なものを見るような目で、「ネコ」は和花に尋ねた。
「……どうして?」
「ええ!? どうしてって……なんでだろ。だって、怪我してたし……。なんとなく……じゃ、ダメ?」
「……意味わかんない。バカみたい。死ねばいいのに」
「……うん、そうだよね……なんかゴメンね……」
「興奮したり落ち込んだり、忙しい子ね、アンタ……」
その「ネコ」は(かなり口は悪かったが)まるっきり人間のように話し、時には怒ったり、ため息をついたりさえした。外見が動物っぽいだけに、傍目から見れば、すごい違和感だった。
とはいえ、和花にとっては、そもそもこの状況自体が不可思議の連続である。
夜道で発光している謎の生き物を連れ帰ったら人語を話したのだ。
素直に受け入れられるものではないだろう。
というか、もしこれを全て素直に飲み込める人間がいたら、そっちの方が喋る動物よりも希少である。
可愛いネコのような生き物に罵倒されるという極めてレアな体験に、ちょっとだけテンションを上げつつも落ち込むという器用なことをしていた和花だったが……勇気を出して、色々と聞いてみることにした。
「あ、あの!!」
「……何よ」
明らかに警戒している顔で、嫌そうに聞き返してくるネコ(仮)。
「貴女は、誰なの? 何処からきたの?」
「……アンタから名乗りなさいよ」
「あ、ごめんね。……私は、和花だよ。橋本和花」
「ふぅん。……さっきは、助かったわ。お礼を言っておくわ、ノドカ」
おや? と和花は思ったが、黙っていた。
口は悪いが、お礼をきちんと言えるあたり、それほど悪い子ではなさそうだ。
「……何よ?」
「なんでもないです」
……どうやら、和花の考えていたことは、すっかり筒抜けだったようだが。
釈然としない顔をしながらも、彼女は名乗った。
「……まあいいけど。私は、ルーナ。ルーナ・ハイランダーよ」
和花が幼い頃に見ていた、とある変身ヒロインのアニメ。
それに出てきた妖精そっくりな名前に、和花は思わずテンションが上がった。
「うわぁ、カッコ可愛い名前! よろしく、ルーナ!」
「……よろしく」
「……」
「……」
「…………」
「…………何?」
「…………それだけ?」
「そうよ」
「………………(ジー)」
何も言わずに、ルーナを見つめ続ける和花。
ルーナは明らかに気乗りしなさそうだったが、こんな体験、なかなかできるものではない。
和花は、彼女の態度にめげることなく、じっとその金色の目を見ながら、ルーナが話し始めるのを待っていた。
「……………………(ジーー)」
「……………………」
「…………………………(ジーーーー)」
「…………………………」
「………………………………(ジーーーーーー)」
「……………………ああもう! 分かったわよっ! 話せばいいんでしょっ!」
「わーい!」
「なんなのよ、アンタ……」
和花の無言の圧力に屈したのか、ルーナは渋々話すことに決めたようだった。
深いため息をついて……少しずつ、彼女は話し始めた。
「私は……ネコ。そう、何かこう、突然変異的なネコよ。頭が良くて人語を話すし、ちょっと光ってるけど、ただのネコなの」
「へぇー、そうなんだ。……妖精さんかと思った!」
「な!? ななな何を言ってるのかしら!? 私は純度100%のネコよ! ネコなんだからっ!」
……明らかに怪しい。
というか頭が良くて人語を介して光っているネコは、もはやネコではないだろう。
こんな話を信じるくらいなら、いっそ潔く「妖精です」とでも言われた方が、まだ信じられるというものだ。
だが……。
「うわあ、そうなんだ! すごいネコなんだね!」
……和花は、単純な子だった。
決してお馬鹿ではないのだが、彼女は人の善性を疑わない。
近年稀に見るほどの、超純粋な14歳なのだった。
彼女がこういう風に育ったのは、両親の愛を一身に受けて健やかに育ってきたことは勿論、彼女の親友である琴音の存在が大きく関係しているのだが……ここでは割愛する。
ともかく、和花は「ネコ」の言葉を信じた。
「……は? え、それでいいの?」
「はぇ?」
「い、いや、何でもないわよ……」
あまりに素直な和花を見て、ルーナが軽く引いていた。
だが、キョトンとした顔の和花を見て、まあいいかと気持ちを切り替える。
信じてくれるに越したことはない。




