第七十話 オリヴィア・ユースティティアという少女
「貴様……魔力を失っておるな?」
「ーーッ」
ルヴィアの言葉に、オリヴィアはわずかに息を呑む。
それは、事実だった。
今のオリヴィアに魔力はない。
それどころか、身体を動かすのでさえ負担になるほどに弱っている。
原因は、おそらくモルガナによってかけられた呪いだ。
オリヴィアがかけられた呪術は、大まかに分けて3つ。
一つ目が〈操り人形〉。
この呪いを掛けられた者は、術者によって自在に遠隔操作されてしまう。
本人の意思に反したことでも強制できるので、対象者に大きな負担がかかる。
二つ目、〈狂戦士〉。
自我を失う代わりに、戦闘力と攻撃性が急上昇する魔法である。
強制的にかけられたこの術によって、オリヴィアは自我を封じられていた。
最後に……〈生命の残火〉。
魔力を全て燃やし尽くすことで、急激に生命力や戦闘力を上昇させる呪術。
それを無理やりオリヴィアにかけたことで、彼女の魔術回路はメチャクチャになっていた。
通常、これらの術を外部から解除することは不可能に近い。
いずれの呪術も、対象者の精神や魔力回路と複雑に絡み合っているためだ。
しかし、ローズの浄化魔法が、オリヴィアの精神と複雑に絡み合っていたこれらの術を、まとめて解除してしまった。それによって、今のオリヴィアは、一時的に魔力を練ることができなくなっているのである。
ルヴィアは言った。
「どうりで、貴様の存在に気づかなかったわけだ。
そして、貴様……」
ルヴィアは、オリヴィアに顔を近づけた。
その真紅の瞳には、隠しきれない憤怒の色がある。
「……私を、謀ったな? 貴様は今、転移を使えんのだろう」
「ーーっ、そんなことはない。私は、転移を……」
必死に言い募るオリヴィア。
しかし、ルヴィアは目を怒らせながら言った。
「ならば、試してやろう」
言うが早いがルヴィアは、ルーナに空いている左腕を向けた。
そして、ルーナに向かって、ピンと人差し指を伸ばす。
何をするつもりが気がついたオリヴィアは、必死に嘆願した。
「やめて……お願い、やめて!」
「〈火炎弾〉!」
オリヴィアの声を無視して、ルヴィアは焔の弾丸を放った。
高速で射出された、真紅の弾は……。
ルーナに命中して、火炎を撒き散らしながら爆発した。
彼女の小さな身体が、爆発によって地面をバウンドして、転がっていく。
「だめぇぇぇぇ!」
オリヴィアが悲鳴をあげる。
その視線の先でで、ルーナがぐったりと力なく横たわっていた。
彼女のビロードのような毛皮が黒く焦げ、シュウシュウと白煙が上がっている。
明らかに重症だ。
しかも、ルーナは魔法少女たちと違い、バトルドレスも装甲も身につけていない。
ルヴィアの得意術式である上級魔法ーー獄炎と比べると、火炎弾は下級魔法に分類される。
しかしそれでも、彼女の負ったダメージは、傍目から見ても深刻なものだった。
ルーナの元へ向かおうと、オリヴィアが必死に身体を捩る。
しかし、身体機能が著しく低下している今の彼女には、ルヴィアの手から抜け出すことなど、到底不可能だった。
ルヴィアは、オリヴィアの反応を見て、ニンマリとほくそ笑んだ。
「クク……その反応からして、本当に魔力を失っておるようだな。それに加え、身体能力も低下していると見える」
「くそっ……離せ!」
「貴様に逃げられる心配がない以上、予定変更だ。私は貴様を連れ帰るが……。
そのついでに、目障りな天導衞姫と、裏切り者も始末する。
ククク……エルフューザ様も、きっと私をお褒めくださる。
そうなれば、下げられた序列も、元に戻してくださることだろう」
「ーーッ!? やめ、やめろっ」
「……うるさいぞ」
必死に暴れるオリヴィアを、ルヴィアは思い切り地面に叩きつけた。
抵抗できないオリヴィアは、ろくに受け身も取れず、背中をしたたかに打ち付けてしまう。
肺の空気が強制的に追い出され、呼吸できなくなったオリヴィアは必死に喘いだ。
「これより、処刑を実行する。……貴様は、そこで黙って見ておれ」
悠然とした歩みで、地面に倒れ伏すルーナとローズに近寄っていくルヴィア。
その背中を、オリヴィアは涙で霞んだ目で追いかけることしかできなかった。
ーーいったい、何が悪かったのだろう。
オリヴィアは自問した。
ルヴィアの前に姿を見せたことか?
モルガナの研究室に忍び込んだことか?
それとも、サヘラの実験台になったことか?
あるいは……ルーナと友人になったことが、そもそも間違いだったのだろうか?
オリヴィアには、わからなかった。
きっと自分は、どこかで道を違えたのだ。
家族を殺され、リ・ヴァースの奴隷になり、実験台にされ……。
挙句、モルガナに操られて親友を襲って、今まさに目の前で彼女を喪おうとしている。
これは、罰なのだろうか。
オリヴィアは自嘲した。
強要されたこととは言え、魔導十姫として、彼女は悪事を重ねてきた。
オリヴィアの任務は、主にライト・ヴァースにおける諜報活動や裏工作。
時には、要人や権力者の暗殺を命じられることもあった。
そして……彼女は、それを実行した。
ルーナのため、そして自身の保身のため、彼女は殺人にすら手を染めた。
最初に人を殺めた時は、自身の犯した罪の重さに、思わず嘔吐した。
彼女の肉体は魔族に改造されたものの、元は東欧の田舎に住む純朴な少女にすぎない。
見た目は成熟していても、その精神は、幼い少女のままだった。
手にした刀に伝わる感触、吹き出す血の香り、死者の虚な瞳……。
それら全てが、オリヴィアを苛んだ。
やがて、彼女は“正義”を忘れた。
ルーナを守るという目的だけを支えにして、自身の心すら殺してきた。
悪事に手を染めながらも、必死に生にしがみついてきた。
しかし、それも全て無駄だった。
こうして彼女は、今まさに、全てを失おうとしているのだから。
オリヴィアの翡翠の瞳に、じわりと涙が浮かぶ。
彼女は、全てを諦めようとして……。
否、できなかった。
諦められない。
ルーナのことを、見殺しにできない。
ルーナが、目の前で死ぬ。
そんなことは……耐えられない!
「ーーうわァァァァ!」
オリヴィアは、立ち上がった。
息のできない身体、力の入らない四肢、朦朧とする意識。
それら全てを、意思の力だけで押し殺して。
そして、ルヴィアめがけて突進する。
「チィ! 煩わしい! 貴様は黙って寝転んでおれ!」
ルヴィアは、埃を払うかのように腕を振るい、オリヴィアを跳ね飛ばした。
硬いコンクリートの上で、オリヴィアの身体が何度もバウンドする。
強く打たれた腹を押さえて、オリヴィアは身体を丸めて呻いた。
内臓が傷ついたのか、喉の奥からドス黒い血液が迫り上がってくる。
全身を貫く痛みに、思わず挫けそうになるが……。
オリヴィアは、再び立ち上がった。
必死に足を動かしながら、ルヴィアにしがみつく。
ルヴィアは、理解できないものを見るような目で、オリヴィアを見た。
「……なんだ、貴様は? 何がしたいのだ?」
「ぐぅぅ……! 守るんだ……ルーナを……死なせない……!」
「無駄なことを。今の貴様には、何もできはしない」
「できなくても……やってみせる!」
必死にルヴィアを止めようとしたオリヴィアだったが……再び、地面に叩きつけられる。
彼女の身体の中で、骨の砕けるような、鈍い音がした。
しかし……立ち上がる。
魔族に改造された身体は、幸いにも人間のものよりも耐久力に優れている。
まだやれる。
オリヴィアは強引に立ち上がると、自身の血で真っ赤に染まる視界に映るルヴィアを、思い切り睨みつけた。
「……ふーっ! ふーっ!」
荒く息を吐くオリヴィアを見て、思わずルヴィアは、一歩退いてしまった。
直後、どう見ても瀕死のオリヴィアに臆した自分を恥じるかのように、思い切り舌打ちする。
「……こうなってしまっては、仕方あるまい。貴様は、今ここで始末する」
「やって……みろ……!」
「燃え尽きろ。……〈獄炎〉!」
業火の渦。
それが天から降り注ぎ、オリヴィアを直撃した。
轟音。
コンクリートをすら塵にするほどの膨大な熱量が叩きつけられ、暴れ狂う熱風が周囲で荒れ狂う。
既に瀕死のオリヴィアに、抵抗の術はない。
真紅の火炎に飲まれ、灰も残らず消滅する。
そう、そのはずだった。
ーーゴォォォォ!
しかし……彼女は、無事だった。
オリヴィアの全身から、美しい緑色のエネルギーが噴き出している。
それがバリアのように、彼女を焔から守っていた。
やがて緑のエネルギーは、柔らかな光となって、オリヴィアの身体にも染み込んでいく。
(……あたたかい)
直後にオリヴィアは、傷ついていた彼女の身体が、急速に回復していくのを感じていた。
折れた骨が元のようにつながり、メチャクチャになっていた魔力回路が新たに引き直されていく。
空っぽだった魔力も、猛スピードで充填されていった。
「……なに、これ」
「こ……れは……!」
不思議そうな顔をするオリヴィアとは対照的に……。
ルヴィアは、自身の喉が干上がっていくのを感じていた。
これは、かつて自分が経験したことのある感覚だ。
彼女の苦い記憶が蘇る。
似ている。
かつて、マギア・ローズが覚醒した時と……!
オリヴィアは微かな痛みを感じて、手の甲に刻まれた邪痕を見た。
2本の刀が交差した、黒い刻印。
それが、ぺりぺりと音を立てて剥がれていく。
その下から現れたのは、天導衞姫と同じ、白い刻印。
聖痕だ。
今度の刻印は、刀ではない。
台座から伸びる支柱から、二枚の皿がぶら下がっている図形。
それは、古代の天秤を模した紋章だった。
自分は、改造されて、魔族になった。
身体は魔族だが、心までは変えられてはいない。
自分の中には、まだ正義の心が残っている。
ーールーナを、守るんだ。
そう決めた途端、オリヴィアの胸の内に、微かな火が灯った。
ただしそれは、ルヴィアの焔のように、全てを燃やし尽くすようなものではない。
もっと弱々しくて……だけど、もっと暖かい炎だ。
「ルヴィア、私は……」
「……ッ」
完全に傷の癒えたオリヴィアが、ルヴィアに向かって一歩踏み出した。
それを見たルヴィアが、微かに息を呑む。
今、相手を圧倒していルのは、オリヴィアの方だった。
「ルーナを……私の大事な人を、守ってみせる」
オリヴィアの右手。
そこには、いつの間にか、小さな機械が握られていた。




