第六十六話 解呪
「あー……。それ、私のせいかも……」
和花が、恐る恐る手を挙げた。
それを見て、オリヴィアが怪訝そうな顔をする。
「どういうこと」
「私の必殺技……幸福なる光の奔流って言うんだけど……それをオリヴィアさんに撃ったの」
「……? それで?」
「私も最近わかってきたんだけどね。この魔法は、きっと攻撃するためのものじゃないの」
「違うの?」
和花の言葉に、琴音は驚いたように聞き返した。
彼女はこれまで、和花が幸福なる光の奔流でリ・ヴァースの怪人を倒すところを何度も見てきている。
それだけに、「攻撃技ではない」と言う言葉は意外なものだったのだろう。
「うん。幸福なる光の奔流は……なんていうか、悪いものを綺麗にするみたいな……そんな魔法なの。だから、オリヴィアさんのことを傷つけずに助けることができたんだよ」
「……それ、もしかして……」
「あん? なんか知ってんのか?」
呟くルーナに向かって、美香が質問する。
思案顔のルーナは、それに回答した。
「多分だけど……それ、浄化魔法じゃないかしら」
「浄化魔法?」
問い返す和花に向かって、ルーナは頷いてみせる。
「私も自信はないけど……多分そうだわ。浄化魔法は回復魔法の派生術式で、あらゆる状態を原初の状態に巻き戻してしまうの。理論上はどんな弱体化や状態異常も解除できる、強力な魔法よ。浄化魔法なら、リブに掛けられたモルガナの呪術でも消し飛ばせるはずだわ」
「そうだったんだ……」
「全く……自分で使ってる魔法じゃないの。……でもまぁ、仕方ないかもね。浄化魔法の前提となる回復術式自体、適性者がほとんどいない、希少な魔法だもの。浄化魔法に至っては、あくまで“理論上は可能”ってだけ。魔導十姫はもちろん、魔導四妃にも使えるヤツはいなかったわ」
「……私、結構すごいってこと?」
目をキラキラさせて尋ねる和花。
それを見て、ルーナは苦笑した。
「ええ。かなりすごいわ。……でも調子に乗らないこと。アンタ、すぐに調子に乗って失敗するんだから」
「えへへ……」
和花が少し恥ずかしそうに笑う。
それを見て、ルーナも、琴音も美香も、釣られて笑った。
「ちょっと待って」
その時、口を挟んできたのは、今まで黙っていたオリヴィアだった。
「それ……試してみた?」
「……? 何が?」
きょとんとする和花。
そんな和花の方を、オリヴィアは怖いほど真剣な目で見据えた。
「もしかしたら……ルーナの呪いも、浄化魔法で解けるかもしれない」
***
「……準備はいい?」
「い、いつでも行けるよ!」
和花と美香が暮らす、寮の部屋。
その中央で、和花とルーナが向かい合っていた。
和花は既にマギア・ローズに変身しており、ピンクのバトルドレスを身に纏っている。
何があるか分からないので、念のため、琴音と美香も魔法少女に変身して、そばに控えていた。
オリヴィアは、ベッドに身体を起こした姿勢のまま、ローズに声をかける。
「いい? ローズのタイミングで、ルーナに浄化魔法を撃って。
……絶対、ルーナを傷つけちゃダメだから」
「わ……わかった」
「いつでも行ける」などと言ってはいたものの、和花は緊張していた。
先ほどもオリヴィアに向けて幸福なる光の奔流を撃っているが、あの時とは状況が違う。生身で、かつオリヴィアよりも身体的に劣るルーナに向かって、必殺技を撃たなければならないのだ。
もし失敗すれば、ルーナのことも消し飛ばしてしまいかねない。
文字通り、彼女の命がかかっているのだ。
ガチガチに固まっているローズを見て、ルーナが小さく吹き出した。
「何を緊張してるのよ。さっきリブにやったみたいにすればいいのよ?」
「わ、分かってるよぉ……」
それでも緊張が解けないローズ。
そんな彼女を、ルーナは真摯な目で見つめた。
「大丈夫。私、ローズを……ノドカを信じてるもの」
「……うん。ありがとう、ルーナ」
ローズを見上げてくるルーナの目には、一片の曇りもなかった。
心の底から、ローズのことを信頼しているのだ。
それを見たローズは、とうとう覚悟を決めた。
精神を集中させて、掌にパワーを込めていく。
ローズの手甲に包まれた手の中に、光が、集まる……収束していく。
やがてそれを放つばかりとなったとき、和花の脳裏にひらめくものがあった。
ただ光を放つのではなく、そっと相手の中に浸透させていく。
そのためには、二人の距離をゼロにしなければならない。
ローズは直感に従い、床でこちらを見上げていたルーナのことを、そっと抱き上げた。
少しだけ驚いたような顔をするルーナだったが、すぐにローズに小さな身体を預けてくる。
その微かな体重に心地よさを感じつつ、ローズは願った。
(……私は、守りたい。ルーナのこと……私の大事な、友達のことを……!)
彼女が念じると同時。
ローズの手の中で、収束する桜色の光がひときわ眩く輝いた。
(……行ける!)
「……幸福なる光の抱擁」
パアァァッ! っとローズの腕の中で、桜色の光が溢れ出した。
そして凝縮した光の渦が、ルーナの小さな身体の中に、そっと染み渡っていく。
「……んっ」
ルーナが、暖かいようなくすぐったいような不思議な感覚に、微かに声を上げる。
その時だった。
彼女の小さな身体から、黒いモヤのようなものが溢れ出した。
それを見たリリィとデイジーが、咄嗟に身構える。
オリヴィアも、ベッドの上で身体を硬張らせた。
ドロドロに汚れて、ひどく悍ましい気配を漂わせる、それ。
それはまさしく、オリヴィアを浄化した時と同じような現象だった。
ローズはますます魔力を込めていくが、それはしぶとかった。
コールタールのようにルーナの身体にへばり付き、なかなか離れてくれない。
まるで綱引きのように、ローズはルーナの身体から出てきた黒いモヤと格闘する。
ルーナの負担にならないよう、彼女の小さな身体にありったけの光を注ぎ込んでいく。
しかし……ローズの限界が訪れる方が先だった。
とうとう、彼女の魔力が尽きてきたのだ。
ただでさえ、ローズの浄化魔法は燃費が悪い。
やがて、桜色の光が揺らぎ始めた。今にも消えてしまいそうだ。
もうダメか、と思った、その時だった。
「ローズ。私の魔力を使って」
「ローズ! アタシの魔力も使ってくれ!」
変身して待機していたリリィとデイジーが、そっとローズの身体に触れた。
その掌から、サファイアのように美しい青と、トパーズのように鮮やかな黄の光が、ローズの身体に流れ込んでくる。
ローズの身体に、熱が戻り始めた。
彼女の手の中で、桜色の光は、その強さを刻一刻と増していく。
(ーーこれなら、行ける!)
ローズが、最後の力を振り絞る。
直後。
黒いモヤが、ルーナの身体から完全に引き剥がされた。
そして、怨嗟の音と共に、ジュワッと溶けるようにして消滅していく。
どこかで、女の絶叫が聞こえたような気がした。
「はぁ……はぁ……!」
ローズは、ぐったりと床に崩れ落ちた。
ただし、その手には、しっかりとルーナのことを抱いている。
「どうだった!?」
勢い込んで尋ねてくるオリヴィア。
ローズたちも、すがるような気持ちでルーナの方を見る。
ルーナはしばらく目を瞑って、自分の中を探るように精神を集中させていたが……。
やがて、彼女は目をぱちっと開けて……。
噛み締めるように、つぶやいた。
「……大丈夫みたい」
「ホント!?」
目を輝かせて聞き返すローズ。
そんな彼女に向けて、ルーナは微笑んでみせた。
「心配いらないわ。呪いの気配が消えてるもの。
死の呪いは……〈死〉は、完全に消滅したわ」
「うう……よかった……よかったよぉ……」
それを聞いたローズは、思わずといった様子で涙をこぼした。
もちろん、嬉し泣きである。
リリィもそのクールな表情にうっすらと涙を浮かべ、その隣でデイジーも目元を拭っている。
そして……。
ベッドの上で一部始終を見つめていたオリヴィアも。
「……よかった」
そのエメラルド色の瞳から、一筋の涙を流すのだった。
***
「ぎぃぃぃぃ……!!」
リ・ヴァースの中心、魔皇城。
その最下層にある広大な研究室で、一人の女が悶え苦しんでいた。
それは、赤いドレスを身に纏った女だった。
美しく、そして扇状的なプロポーションをした女。
臀部から伸びた巨大なサソリの尻尾を除けば美女にしか見えない。
彼女の名前は、モルガナ・スカルフォン。
魔導十姫の序列二位にして、ルーナに死の呪いをかけた張本人である。
そんな彼女が、自身の研究室の床にひっくり返り、無様に痙攣を繰り返していた。
その様子は、さながら殺虫剤をかけられた羽虫のよう。
普段の余裕のある姿からかけ離れた姿は、いっそ哀れだ。
「……ぐぅぅぅ! くそ! くそ! くそ! よくも……わた、私の術を……!」
モルガナが苦しんでいる理由。
それは、至極シンプルな理由だった。
和花が浄化した死の呪いが、術者であるモルガナに跳ね返ったのだ。
人を呪わば、穴二つ。
あらゆる呪術は、それをかけた瞬間にあるリスクを伴う。
それは呪い返し。
呪いは解呪された瞬間に、苦痛となってその術者にフィードバックするのだ。
和花が強引に〈死〉を払ったことで、その死の呪いが返ってきたのである。
もちろん、モルガナクラスの呪術師は、呪い返しの対策を備えている。
そこらへんの呪術なら、例え解除されても何のダメージもなかったはずだ。
実際、オリヴィアにかけていた呪いが解除されても、モルガナにダメージはなかった。
しかし、跳ね返ってきた呪いが問題だった。
〈死〉は、あらゆる耐性や防御をすり抜けて効果を及ぼす呪いだ。
そして、必ず対象を死に至らしめる効力を持つ。
文字通り、必殺の呪いなのである。
〈死〉は非常に強力な呪いであり、そもそも解呪できるような代物ではない。
原則として、この呪いが解除される時は、対象が死んだ時だけなのだ。
それを、強引に解呪された。
当然、フィードバックも、それに応じて強いものになる。
もちろん、和花は狙ってそうしたわけではない。
が、結果的に術者であるモルガナに、思いがけぬ痛撃を与えることに成功していた。
モルガナは、研究室の床で荒く息を吐きながら、怨嗟の声を漏らした。
「くそっ! くそっ! くそっ! 私に恥をかかせた罪! いずれ、償わせてあげますわ……!」




