第五話 橋本和花という少女
「……今朝、午前6時ごろ、関東地方で震度四の地震を観測しました。震源地は山梨県・富士五湖周辺です。この地震による津波の心配はありません……」
その少女は、トロンとした眠そうな目で、テレビの音を聞いていた。
彼女の目の前には、ご飯に味噌汁、焼き魚、漬物といった一般的な朝食が並んでおり、それをモソモソと口に運ぶ様子は、いかにも寝起きといった様子である。
もう6月に入ったのにも関わらず梅雨が続いているせいで、やや薄手の淡いピンク色のパジャマを着ている彼女は、少しだけ寒そうだ。今も心許なげに、両足を椅子の下でキュッと絡めている。
彼女の名前は、橋本和花。
中学校2年生に上がって間もない、14歳の少女。
まだまだあどけなさが残る幼い顔立ちは、とびきりの美人というわけではないが、本人の優しく明るい性格が滲み出しているのか、どこか愛嬌がある面持ちである。
黒のショートカット。身長153cm、体重42kg、Bカップ。
50m走のタイムは9.1秒。入学時の学力確認テストの成績は、学年114人中58位。
運動神経はそこそこ。部活は園芸部。得意科目は生物と音楽。彼氏はいない。
趣味はスマホゲーム、ドラマ視聴、友達と遊ぶこと。
最近ハマっていることは、小さなプランターで植物を育てること。
好きな食べ物はイチゴのタルト。苦手なものはセロリ。
公務員の父と会社員の母に育てられた一人っ子で、マンション住まい。
ちなみに、中学生になっても密かに魔法少女に憧れがあって、休日はアニメを見たり、小さい子たちに混ざってイベントに参加したりしていることは、誰にも言えない乙女の秘密である。
容姿はそこそこ可愛らしいが、それを除けばいかにも平凡で、どこにでもいる女の子である。
「……最近多いね、地震。ちょっと怖くない?」
朝のニュースをぼんやりと眺めながら、和花はつぶやいた。
それを聞いていたのか、和花の母――ほのかが、台所でバタバタと動き回りながら返事をする。
「この国では地震なんて珍しくもないでしょ。そんなことより、海外で起こってる連続失踪事件の方が心配。社会問題になってるのは知ってるでしょ? ラサー共和国連邦の陰謀なんじゃないかって話もあるくらいだし……この国だって安心とは言えないんだから、あまり遅くならないように帰ってくるのよ?」
「もう、分かってるってば。……でもさ、海の向こうで鎖国中の国のことより、やっぱり地震の方が怖いよ。何でも、最近では世界的に地震が観測されているらしくて、大災害になるかもって、テレビで言ってたよ」
「ワイドショーのコメンテーターなんて信じちゃダメよ。大袈裟なこと言って、国民感情を不安定にさせるのが仕事みたいなものなんだから」
「うわあ、辛辣……。でも、ママもテレビ関係の仕事してるのにいいの? そんなこと言っちゃって」
「私はデスクだからいいの。……それよりいいの? のんびりしてると遅刻するわよ?」
「……いっけね! 行ってくる!」
「ちょっと! 片付けなさい!」
「チコクチコクー」
「こらぁ! ……今日は雨だから、傘持って行きなさいよ!」
「分かってるー!」
適当に母親の言葉を聞き流すと、乱暴に残りの朝食をかき込んで、和花はバタバタと二階の自室へと走っていった。それを見送ったほのかは、小さくため息をつく。
「全くもう……。落ち着きのない子ねぇ。一体、誰に似たのかしら……。わわっ! 会社に遅れるぅ!」
***
「オハヨー! 今日も雨だね!」
「おはよ……。月曜の朝から元気だね……。和花ってば、中学生になっても全然変わらないねー」
「ええー!? 琴音だって、中身は全然変わってないじゃん!」
「私はホラ、成長してるし。4月の測定だって、また伸びてたし?」
「私だってすぐ追い越すから!」
「……」
「何その可哀想な子を見る目は!?」
「あー、今日も肩が凝るなー」
「露骨な巨乳アピール!? 絶対、私の方が大きくなるし!」
「へー、ほー、ふーん」
「もう! 琴音!」
先ほどから和花と気の置けないやりとりをしているのは、白石琴音。
小学生からずっと一緒にいる、彼女の親友である。
和花よりもかなり背が高く、身長は167cm。中2の女子にしては、かなり高い方だろう。
あと、かなりスタイルがいい。メリハリのある、健康的なプロポーションである。ちなみにDカップ。
黒髪を縛ってポニーテールにしており、本人のキリリとした目元と相まって、涼しげな雰囲気を醸し出していた。幼少期から弓道を習っており、都の代表に選出されて全国大会に出場するなど、その腕前はかなりのものだ。
加えて、成績もかなりいい。実際、前回の中間テストでは学年11位をマークしている。
まさに文武両道を地でいくような、才色兼備な少女なのだ。
家庭環境が少し特殊なので、実家は豪邸なのだが、今はマンションで一人暮らしをしている。結構な生活費が毎月振り込まれているらしいが、琴音は無駄遣いするどころか、あまり金銭に興味がないようだった。
そんな琴音の性格は、冷静かつ合理的。
そんな琴音は、和花とは性格も外見もかなり違うが、なぜか気が合い、小学生の頃からずっと一緒にいるのだった。
和花の華やかな桜色の傘と、琴音の落ち着いた深いブルーの傘が、触れたり離れたりを繰り返しながら、灰色の景色の中をふわふわと漂う。
小雨の降る憂鬱な月曜日の通学路も、親友と一緒なら楽しく過ごせるもの。
そんなふうに二人で話しながら歩いていくと、やはり学校まではあっという間だった。
校門をくぐり、教室へと向かう。
「一時間目って何だっけ?」
「古典」
「げ。私、予習してないよ? 古典の網沢、予習してかないとめちゃキレるじゃん。……ね、琴音?」
「知らんよ。頑張れ、和花」
「な、薄情な! それが親友に対する優しさか!?」
「親友だからこそ、時には厳しくせねばならない時もあるのだよ……。知らんけど」
「最後ので全部台無しだよ!?」
「あー、もー、うるさいなぁ。……ホラ、さっさと写しな」
「おお……。神様……!」
「放課後、「カシス」のパフェ、奢りね」
「そ、そんなご無体なぁ! 中学生には痛い出費ですよ!?」
「ふふ。ばーか。明日は、ちゃんとやってきな」
喧嘩しているようでも、全くそんなことはない。
琴音も、からかうように「ばーか」などと言っているが、その目は優しく笑っている。
入学して一ヶ月も経てばクラスメートも慣れたもので、今も「まーたイチャイチャしてるよ」と笑いながら二人の掛け合いを見ていた。
せっせとノートを写している和花に、ふと思い出したように琴音は話しかけた。
「……そーいえばさ」
「うん? 何?」
「最近さぁ、なんか異常気象が多くない? って思ってたんだけど」
「あ、そうそう! 私もテレビ見て思った!」
「小規模だけど、世界中で、地震とか、台風とか、干ばつとか、洪水とか、山火事とかさ。まあ、偶然かもしれないけど」
「怖いよねぇ」
「……なんか、大災害の前触れみたいな?」
「変なこと言わないでよ、琴音。怖いなぁ、もう」
「ふふ、ごめんごめん」
「でもさぁ、テレビで、お家を無くした人とか出ててさ。……大丈夫かなあ」
「お人好しもいいけど、まずは自分の予習を心配したら?」
「うわ、やばっ!」
地獄の古典と、激動の数学。それに悪夢の歴史・英語のダブルパンチを凌ぎ切った和花は、ぐったりと机の上に突っ伏していた。その様子を面白そうに観察しているのは、もちろん親友の琴音である。
「月曜からこの時間割とか……。マジで死ぬ。ていうかもう死んだ」
「死んでるなら、和花の弁当もらうわ」
「ストーップ! これでお弁当まで取られたらホントに死ぬから!」
「お、唐揚げウマーイ」
「あ、どうも……じゃなくて! こらあ! それ以上は本当にダメぇ!」
いつも通り、二人がわちゃわちゃと弁当をつついていた、その時である。
唐突に、校内放送のチャイムが鳴った。
昼休みは始まったばかりだし、放送部の活動の時間にもまだ早い。
不思議そうな顔をする和花と、訝しげにスピーカーを見上げる琴音。
「……え、何だろ?」
「とにかく、聞いてみよ」
『……失礼いたします。諸事情により、突然ですが、本日の午後は休校になりました。部活動も中止となります。先生方は昼休み終了後、速やかにホームルームを行ってください。また、生活指導の先生方は、下校指導の徹底をお願いします。繰り返します……』
教室の反応はさまざまだった。
素直に喜ぶ者もいれば、急に部活動が中止になって困惑している者もいる。
とはいえ、大半の生徒が、降って湧いた幸運に笑顔になった。
もちろん、単純な和花も、そのうちの一人である。
「やったぁ! 琴音、お茶して帰ろ! ……琴音?」
「……急すぎない? 何かあったのかな」
「えー、絶対、考えすぎだよぉ。どーせ、職員会議とかでしょ?」
「でも、そしたら下校指導を徹底しろなんて言う?」
「あ、確かに」
「……不審者とか? あるいは脱獄犯が逃げてるとか」
「え、やだ。怖いこと言わないでよー!」
「……今日はやめとかない?」
「ええー!? 折角、琴音と遊べると思ったのに! ……先生に話を聞いてからでも良くない?」
「……まあ、危ないことなら、流石にホームルームで説明くらいあるか」
「そうそう! それ聞いてからでも良いじゃん! ……琴音と、一緒にいたいの。……だめ?」
「……ばーか。まあ、最悪、近場じゃなければ大丈夫かな。センセもいないだろうし」
「やったぁ! さっすが琴音、話が分かるぅ!」
「和花の奢りね?」
「うぐぐ……はい……」
「ちなみに、「カシス」のパフェは別カウントだから」
「えええええ! 琴音のケチ! 金持ちのくせに!」
「私じゃなくて、親の金だし。和花のワガママ聞いてやるんだから、安いもんでしょ?」
和花はプウと頬を膨らませたが、実の所、嫌がってはいないようだ。
顔は怒っていても、目は笑っている。
琴音もそれを分かっているので、和花の頭をグリグリと乱暴に撫でた。
二人の微笑ましいやり取りは、結局、昼休みが終わってすぐに教室に入ってきた担任が、慌ただしくホームルームを始めるまで続いた。
バタバタとホームルームが終わり、二人は腑に落ちないまま、雨の降り止まない通学路を帰っていた。
「……結局、よく分かんなかったね? 近所で事件が起こったって言ってたけど」
「……やっぱり、なんか隠してるんじゃない? ニュース見ても、ここらへんで物騒な事件があった、みたいなことは何処にも書いてないし」
「やっぱり、何か怖いなぁ……。……ごめんね? そんな中、付き合ってもらっちゃって」
「ばーか。別にいいっての。私も、久々に和花と遊びたかったし?」
「えへへ……」
「まぁ、隣町なら大丈夫でしょ。……こないだ駅ナカにできた「星箱カフェ」、新しいフレーバー出したでしょ。行ってみない?」
「行く行く! やったあ!」




