第四十七話 桐生院美香という少女
マギア・ローズは、亀怪人と交戦中。
そしてルーナは、あちこちにばら撒かれた魔獣兵の処理に奔走していた。
そんな中、孤独な戦いを続ける者がいた。
和花の新しい友人……ヤンキー少女の美香である。
「……チッ! イッテェ……!」
美香は顔を歪ませながら、妹の美奈を抱えたまま、その場に蹲っていた。
彼女は、トルトゥーガから美奈を庇った際に、脇腹に大きな傷を負っていた。
今も、真っ白なシャツが、彼女自身の血で真っ赤に染まっている。
「みぃ……待ってろ……! すぐに、病院に連れていってやるからな……!」
すぐ近くで、和花がトルトゥーガと戦ってくれている。
彼女が敵を引きつけてくれている間に、なんとか逃げなければならない。
美香は、痛む身体に鞭を打って、なんとか立ちあがろうとする。
しかし、現実は非情だった。
「ゲッ! ゲッ! ゲッ!」
逃げ出そうとする美香の前に現れたのは、魔獣兵だった。
トルトゥーガによって呼び出されたうちの一匹が、美香と美奈の近くに落ちたのだろう。
この時、運の悪いことに、ルーナは反対方向で複数の魔獣兵と交戦中だった。
魔獣兵は、魔法少女クラスにとっては大した相手ではない。
それこそ、パンチの1発で倒せてしまうほど、大きく実力が隔たっている。
しかし、体長が3m近くあり、銃弾さえも弾きかえす魔獣兵の存在は、一般的な人間にとっては十分な脅威である。
武器もなく、酷い手傷を負った中学生の少女が相手なら尚更だ。
しかも今は、気を失った美奈も一緒である。
まだ幼児とはいえ、力の抜けた身体は、それなりの重さだ。
いくら美香の身体能力が優れていると言っても、怪我をした状態で美奈を抱えて逃げるのは、確実に不可能だろう。
美香の前に現れた、一匹の魔獣兵。
それを見た美香は、その勝気な顔に、強い狼狽を滲ませた。
そこには、隠しきれない恐怖の色があった。
(コ、コイツ……あの時の……!)
和花や琴音が通っている学校は、そう言った少女を集めて保護するために、新たに作られた学校だ。
美香もまた、魔獣兵による全国的な少女襲撃事件の生き残りだった。
巷では、「魔法少女狩り」と呼ばれているその事件のせいで、今もトラウマを抱える生徒も多い。
だからこそ、彼女は知っていた。
目の前にいる、この魔獣兵の恐ろしさを。
脳裏に、過去の記憶がフラッシュバックする。
彼女の心の弱い部分が、「今すぐ逃げろ」と囁く。
「ぐっ……オラァァァァ!」
しかし、美香は逃げなかった。
傷ついた身体を無理やり動かし、痛みに耐えながら、魔獣兵の前に立ち塞がる。
震える足を必死に押さえつけ、魔獣兵を睨みつけた。
「ゲッ! ゲッ! ゲッ!」
それを見た魔獣兵は、嬉しそうに嗤った。
魔獣兵は、凶暴であるのと同じくらい、嗜虐性も高い。
美香のことを、甚振り甲斐のある獲物と認識したのだろう。
ゆっくりと、美香を嘲笑うかのように近づいてくる。
美香はよろめきながら、魔獣兵に立ち向かっていった。
魔獣兵は、美香のことを舐めているのか、防御も反撃もしようとしない。
(舐めやがって……!)
無防備な魔獣兵に目掛けて、思い切り拳を叩きつける。
そのパンチには、重傷を負っているとは思えないほどの力がこもっていた。
「……チッ! くそ……!」
しかし、銃弾さえも弾き返す魔獣兵の外皮を、ただのパンチで貫けるはずもない。
逆に傷ついたのは、美香の方だった。
鋼鉄を全力で殴ったかのように、彼女の拳が裂け、ボタボタと血が滴り落ちる。
「ゲッ! ゲッ! ゲッ!」
魔獣兵は、美香の懸命な攻撃を嘲るように嗤った。
そして、大きく腕を振りかぶると、無造作に振るう。
「ーーがっ!?」
ぼぐ、という鈍い音が響き、美香が地面を転がった。
新たに滲み出した彼女の血が、地面を黒く濡らしていく。
「げほっ……! まだまだァ!」
ごぼりと血を吐きながら、美香は再び立ち上がった。
背後には、守るべき存在がいる。
ここで諦めるわけにはいかなかった。
「……オラァァァァ!」
「ゲッ! ゲッ! ゲッ!」
再び、美香のパンチは命中した。
しかし、当の魔獣兵は、何の痛痒も感じてはいない。
今回もまた、ダメージを負ったのは美香の方だった。
再び魔獣兵がその巨大な腕を振るい、美香が殴られて地面を転がる。
自動車に撥ねられたような衝撃が全身を襲う。
美香は確かに、身体の中で自分の骨の砕ける音を聞いた。
全く同じ結末。
まるで、先ほどの焼き直しだった。
しかし、明確に異なる点がある。
それは、美香に蓄積されているダメージの量。
平均よりも高い運動神経を持ち、体格も平均を大幅に超えている美香。
それでも、魔獣兵の攻撃を生身で耐え切れるほど、彼女は頑丈ではない。
いや、むしろ、美香はよく持ち堪えている方だった。
手加減されているとはいえ、魔獣兵の一撃に何度も耐えて見せているのだから。
例え成人男性であっても動けなくなるほどのダメージを、彼女は既に負っている。
しかし、それでも、彼女は立ち上がった。
「ぐぅぅぅ……! がぁぁぁぁ!」
全身に走る激痛に脳みそを焼かれながら、意志の力だけで立ち上がってみせた。
「みぃ……待ってろよ……!」
再び魔獣兵に立ち向かう美香。
彼女は、全力でパンチを叩き込んだ。
その拳は既に砕けており、例え魔獣兵が相手でなかったとしても、何のダメージも与えられなかっただろう。
拳を叩きつけた際、「ごつん」ではなく「べちゃり」という音がしていることからも、それは明白だ。
しかし、美香の必死の攻撃も、魔獣兵には通用しない。
殴り飛ばされた彼女は、三度、地面を転がった。
(なんで……こんなことになったんだっけ……)
朦朧とする意識の中で、過去の記憶がフラッシュバックし始める。
これを走馬灯と言うのだろうか。
そんなことを自嘲気味に思いながら、美香は流れてくる記憶を見送った。
美香は、桐生院家の長女に生まれた。
父親はいない。桐生院は母親の苗字だ。
元々は名家の生まれだったそうだが、15歳で妊娠したため、家を追い出されたのだという。
父親は母親の妊娠を知って逃げたため、母親は一人で子どもを出産して、育てることになった。
それが美香である。
美香は、小さい時は普通の子だった。
友人もそれなりにいたし、クラスではそこそこ人気もあった。
昔から、なぜ父親がいないのか、不思議に思っていた。
真相を知ったのは、「両親に自分が生まれた時の話を聞こう」という宿題が出た時だ。
迷った母親は、美香に本当のことを話した。
しかし、まだ幼かった美香は、その事実を受け止まれれるほど大人ではなかった。
妊娠を知って逃げ出した父親も、若くして孕んだ母親も、大嫌いになった。
同時期に母親が再婚したことも、日に油を注いだ。
自分は祝福されていない存在なのだと、そう思い込んだ。
美香は、自分の人生というものに、すっかり嫌気がさした。
次の日、彼女は、万引きした染料で自分の髪を金色に染めた。
いくつもピアスをあけ、粗暴な言動をとるようになった。
それから美香は、学校にも行かず、悪い仲間とつるむようになった。
友人の家に泊まり込み、タバコを吸い、酒を飲む。
若くして妊娠した母親を嫌っていた彼女は、そういった行為だけはしなかったが、それも時間の問題だったかもしれない。
遅かれ早かれ、彼女は取り返しのないところまで行っていただろう。
そんな彼女の価値観を変えたのは、両親の新しい子ども……美奈との出会いだった。
生まれてきたばかりの美奈が、小さな手をそっと絡めてきた時、彼女は全てどうでもよくなった。
意地を張っている自分のことも、ちっぽけに思えた。
次の日から、美香は学校に行くようになった。
久しぶりに登校してきたヤンキー少女を相手に、最初は誰も関わりを持とうとしなかった。
それは教師でさえ同じだった。
金髪に、いくつもあいたピアス、長期欠席。
呼び出す口実はいくらでもあったのに、事なかれ主義の教員は、最後まで美香を指導しようとはしなかった。
そんな中、一人だけ、美香に話しかけてくれた少女がいた。
美香は邪険に扱っていたが、諦めずに、何度も話しかけてくる。
とうとう根負けした美香は、次第にその子と一緒に過ごすようになっていった。
ある日、その少女と下校している時に、魔獣兵が現れた。
3mの巨体に、歪な身体、鈍く緑色に光る目。
「逃げろ! ここはアタシが……!」
悪夢のような存在を相手に、美香は戦いを挑んだ。
一緒にいた少女のことを守るため、囮になるつもりだったのである。
もちろん、魔獣兵相手に勝てるはずもない。
腕の一振りで薙ぎ倒され、強く頭を打った美香は、気を失った。
次に目覚めたときは、病院のベッドの上だった。
慌てて、一緒にいた少女がどうなったか尋ねると、看護師は言葉を濁した。
後日、身元確認のために安置所に通された美香が見たものは、変わり果てた少女の姿だった。
そして、彼女が亡くなったのだと、ようやく理解できた美香は、幼児のように声をあげて泣いた……。
……守れなかった。
今回も、また守れないのか?
ふざけるな。
そんなのはごめんだ!
「う……おォォォォォォォ!」
気を失いかけていた美香は、雄叫びとともに、再び立ち上がった。
身体中からぼたぼたと血が溢れ、食い縛った奥歯が砕ける。
「アタシが……アタシが守んだよ!!」
瀕死の重症にも関わらず、力強く吠える美香。
魔獣兵は首を傾げた。
いくら嗜虐心が強いとはいえ、何度でも立ち上がる美香のことを、不審に思い始めたのだ。
しかし、やがて魔獣兵はのしのしと歩き出した。
美香の存在が、次第に煩わしくなってきたのだろう。
大きく腕を振り上げて、邪魔な美香のことを叩き潰そうとする。
美香は、逃げなかった。
もはや逃げ出すような体力が残っていなかったのもある。
しかし、例え万全な状態であったとしても、彼女は逃げなかっただろう。
逃げるわけにはいかなかった。
彼女の背後には、美奈がいる。
もはや美香の頭の中には、恐怖は微塵も存在しなかった。
命よりも大切な存在を、守りたい。
ただ、それだけだ。
美香は、魔獣兵のことを睨みつけた。
殴れぬならば、視線だけで射殺してやると言わんばかりに。
それを見た魔獣兵が、不満げに唸る。
そして、思い切り、巨大な腕を振り下ろした。
麗かな公園に、肉がひしゃげて潰れる音が響いた。
ご安心ください。
胸糞展開にはなりません(盛大なネタバレ)。




