第三十二話 ヴェリエス
「アイツ……!?」
ヴェリエスがゲートを通って新宿に降り立った場面は、決死のテレビクルーの活躍によって、日本全国に放送されていた。多くの人が、不安と恐怖からその様子を視聴し、手に汗を握っていた。
そしてその中には、自宅で和花の無事を祈るしかない、琴音とルーナも含まれていた。
赤銅色の女が画面に映った瞬間、ルーナが息を呑んだ。
そのただならぬ様子に、琴音はクールな美貌に不安げな表情を浮かべながら尋ねる。
「……誰なの?」
「アイツはヴェリエス・インペラトール。暴力一辺倒の獣魔族の中で唯一、魔導十姫入りを果たした女よ」
「獣魔族?」
「悪魔族や妖魔族より、身体機能に優れている種族よ。アイツは、その中でも随一の能力を持っていて、近接格闘戦のスペシャリストなの。大した魔術は使えないけど、体術でヴェリエスの右に出る者はいないわ」
「そんな奴が……」
「近接戦メインの和花には、正直、少し厳しい相手かもしれないわね」
一人と一匹は、息を呑んで放送を見守るしかなかった。
***
「ほらほらほらぁ! 逃げてるだけじゃ、アタイは倒せないよ!」
「くうっ……!」
琴音とルーナがテレビ越しに見守っている向こう側で、和花はヴェリエスに苦戦していた。
ヴェリエスは強かった。
魔獣兵や蜘蛛怪人とは比べ物にならないほどのスピード。
それは、かつて戦った序列九位のオリヴィアにも匹敵する。あるいは、それ以上。
そして一撃一撃は、とてつもなく重い。
彼女が手や足を振るうたび、地面が抉れ、暴風が巻き起こる。
拳の1発1発が、まるで大砲の直撃を受けているかのようだ。
ローズも必死に手甲や脚甲でブロックしているが、ヴェリエスの拳や蹴りはそれを貫通して彼女にダメージを与えてくる。
もちろん、ローズも隙を見て反撃するが、
「……なんだいその甘っちょろい拳は!? 本気で来い、ローズ!」
彼女の攻撃は、大したダメージになっていない。
ヴェリエスの肉体は、まるで筋肉の鎧に覆われているかのようだ。
マギア・ローズの怪力を持ってしても、まるで歯がたたない。
素手でゴムタイヤを殴っているかのような感触に、ローズの表情も自然と厳しくなる。
それ以上にローズを焦らせれいるのは、周囲にまだ残っている人々の存在だった。
真っ先に、近くにいたテレビクルーたちから引き離すように移動しているが、まだあちこちに逃げ遅れたり隠れたろしている人々が残っている。
もちろんヴェリエスは、そんなことを考慮してはいない。
ローズは、そんな人々のことを気遣い、時に逃し、時に庇いながら、新宿の街を必死に守り続けていた。
それに痺れを切らせたのがヴェリエスである。
彼女の格闘センスは、リ・ヴァースでも上位に入る。
そんな彼女の感覚は、ローズが本気で戦えていないことを強く訴えかけてきていた。
ヴェリエスは忌々しげな表情で叫ぶ。
「そんなに弱者どもが心配かい!?」
「みんなのことを守るって、決めたんだもん!」
叫び返すローズに、ますます忌々しそうな表情を浮かべるヴェリエス。
彼女にとって闘争とは生きる意味そのものだ。
肉体同士のぶつかり合いと、それに伴う痛みが、彼女を戦闘へと駆り立てている。
だからこそ、そんなヴェリエスにとっては、強者との戦いは崇高なものなのだ。
弱者のくせにそれを妨げる人々にも、そんなことにかまけて集中力を欠いているローズにも、彼女は腹を立てていた。
その時、あることを思いついたヴェリエスは、ニヤリと笑った。
守るべきものがあるから弱くなるのだ。ならば、それを破壊してしまえばいい。
魔族らしく邪悪な笑みを浮かべた彼女は叫んだ。
「そいじゃあ、先に守るものをぶっ壊してやるさね!」
「何する気……」
「ーーオラァ!!」
ドガン! という轟音。
ヴェリエスの拳は、ローズではなく、周囲の建築物へと向けられていた。
一瞬で崩れ落ちて瓦礫になる建物。
粉塵がもうもうと舞い上がり、飛び散ったコンクリートの破片が、更なる破壊をもたらしていく。
「ちょっと!? やめて!!」
「やめてやらないさね! そら、もうひとつ!」
もう一度、耳障りな轟音。
今度はヴェリエスの蹴りが、その隣の建物を粉砕する。
和花は、見てしまった。
崩れ落ちる建物。その陰に、まだ隠れていた人々がいたことを。
直撃を受けたわけではないから死んではいないだろうが、早く手当をしないと危険かもしれない。
「〜〜っ!? やめてって……いってるでしょっ!」
「ーーぐうぅ!?」
穏やかなローズは、普段滅多に怒ったりはしない。
しかし、ヴェリエスの行動は、珍しく彼女の怒りに火をつけていた。
怒りのままに放たれた、ローズのパンチ。
それは、あのヴェリエスをよろめかせるほどの威力を誇っていた。
「……くっくっく! クッハッハッハ! これだよ、これ! これがたまらないさね!」
嬉しそうに笑うヴェリエスを見て、ローズはその表情を歪めた。
彼女にとって戦いとは守る手段であり、目的ではない。
だからこそ、戦うことそのものが目的であるヴェリエスの思考回路は、ローズには理解のできないものだった。
「さぁ……気を取り直していくさね!」
「ーーいくよ!」
二人の拳が激突する。
余波だけで周囲を破壊しかねない威力の拳は正面からぶつかり合い、ビリビリと空気を揺らした。
ローズの拳がヴェリエスの頬を抉ると、お返しとばかりに返された蹴りがローズの身体を穿つ。
肉体と肉体がぶつかり合う、ドゴン! ゴガン! という轟音が、無人の新宿に連続して響き渡った。
何分……いや、何十分経っただろう。
ローズとヴェリエスは、まだ殴り合っていた。
息を吸う暇、瞬きをする隙すらない。
高速で交わされる拳撃、打撃。
わずか数秒の間に、何十発という連撃が飛び交うさまは、はたから見ても異次元の戦いだった。
ただし、そのコンディションは真逆と言ってもいいだろう。
ヴェリエスは一撃一撃ごとに生き生きとし、時には狂ったように笑いながら、攻撃を続けている。
彼女にとっては、闘争こそが生きる意味。
今この状況こそが、ヴェリエスが真に望んだものだ。
しかし、ローズの動きは、明らかに精彩を欠いていた。
徐々に動きが鈍くなり、反応が遅くなってきている。
それもそのはずで、彼女はヴェリエスとは違い、変身前はただの女子中学生に過ぎない。
獣魔族であるヴェリエスと比較すると、素の身体能力で大幅に劣っている。
身体強化術式をブーストして使用することで、ようやくヴェリエスに追いついている状態だ。
一時的に拮抗しているように見えているが、その実、部の悪い持久戦になりつつあった。
その時だった。
かくんと、ローズの膝が落ちる。
気力と根性で支えてきた身体が、とうとう限界を迎えたのだ。
(ーーッ!? まず……!?)
「ーーオラァ!!」
その隙を見逃してくれるヴェリエスではなかった。
彼女の渾身の一撃がローズの華奢な身体に突き刺さり、彼女を大きく吹き飛ばす。
吹き飛ばされたローズの身体は、周囲の建造物を何棟も倒壊させて、ようやく止まった。
「うう……」
「クハハッ! 久しぶりに楽しかったさね!」
瓦礫の中でうめくローズ。
その意識は朦朧としており、既に指一本すら動かせない有様だった。
それを見たヴェリエスは、獰猛な表情で舌なめずりした。
彼女は強い相手との戦いを好んでいたが、魔族らしく、弱者をなぶることも好んでいた。
そして、目の前には、既に動けない様子の好敵手。
「……それじゃ、トドメを刺してやるさね!」
そういうが早いが、ヴェリエスは倒れているローズに向かって、拳を叩き込んだ。
否、叩き込もうとした。
「……? なんだ、これは?」
彼女の身体に、光でできた鎖のようなものが巻き付いていた。
それが、彼女の動きを阻害しているのだ。
「……拘束術式、【捕縛光鎖】。そう簡単には、動けないでしょ」
動けずにいるヴェリエスの背後から姿を現したのは、ここにいるはずのない、ルーナの姿だった。
***
時刻は、10分ほど遡る。
「だから、今すぐ、助けに行くべきだと思う」
「……それはできないって言ってるでしょ! アンタを守るって、ノドカと約束したんだもの!」
琴音の部屋で、部屋の主人はルーナと言い争っていた。
今なお放送中のテレビの中では、和花がヴェリエスと殴り合っている場面が大きく映す出されている。
琴音の表情は硬い。
画面の中で、和花が苦戦しているのが分かったからだ。
言い返すルーナも、チラチラとテレビに映し出されている和花の様子に視線をやっており、不安げな気持ちを隠せてはいない。
どうやら彼女の気持ちも揺らいでいるようだ。
そう判断した琴音は、最後の切り札を切ることにした。
「……私も新宿に行ったら?」
「……はっ?」
「ルーナだけじゃなくて、私も新宿に行く。そうすれば、ルーナは約束を破ったことにはならない」
「でも……それじゃ、アンタが危ない目に遭うのよ!」
「別に構わない。……それに、ルーナが守ってくれるんでしょ?」
「〜〜ッ! 分かったわよ! 今すぐ向かうわ!」
***
飛行術式を最大限にブーストして、わずか数分で新宿まで辿り着いたルーナは、まず一緒に連れてきていた琴音を結界で隠した。
そして【幻想】で姿を隠してヴェリエスに近づいて、拘束術式を叩き込んだというわけだった。
「アンタ……ルーナかい!? こんなところで会えるとはねぇ……!」
「そ。アンタが油断してくれてて助かったわ」
「くそ! 背後からなんて卑怯じゃないかい!? 流石は裏切り者さね!」
「ハ! 好きに言いなさい。こっちが有利であることに変わりはないわ」
「……ぐっ!? こんなもの……!」
「無理に解かない方がいいわよ。その術式、少しアレンジしてるから、破壊されたら爆発するわ」
「くっ……くそォォォォ!」
「それじゃ、少し眠っててもらおうかしら。【睡眠】!」
ルーナがヴェリエスを対象に【幻想】を発動すると、ヴェリエスはカクンと頭を傾けて動かなくなった。
しかし、動きを止めたのはヴェリエスだけではなかった。
「……はぁ、はぁ……実は結構、キツイのよね……」
ルーナもまた、肩で息をしながら、その場に崩れ落ちる。
彼女は少々無理をして、琴音と自身を新宿まで飛行術式で運んできていた。
それに加え、力自慢のヴェリエスを完全に動けなくするほどの強度にまで高めた拘束術式に、【幻想】を使用した睡眠術式と、強力な魔術を連続で使用したことで、一時的に魔素が欠乏しているのだ。
「はぁ……でもこれで……! ノドカ! ノドカ、しっかりしなさい!」
ルーナは荒く息をつきながら、拘束術式を解除すると、意識を失ったままのローズに駆け寄った。
それは、少し迂闊な行動だった。
普段の彼女だったら、もっと慎重に立ち回っていたかもしれない。
しかし、和花が倒れているという状況が、彼女の視野を狭めていた。
ルーナがローズに駆け寄った時だった。
ヴェリエスがバチッと目を覚まし、足元にいたルーナへと視線をやる。
そして、油断していたルーナのことを、思い切り蹴り上げた。




