第三話 僕は夢を叶えたい
かなり幼いが、間違いなく人間である。
まだ5歳ぐらいだろうか。
全身ボロボロで、かなり痩せている。
猛吹雪の中、氷の洞窟の中で弱々しくうずくまっている様子からは、お世辞にも元気そうだという印象は受けない。それに、極寒の地で暮らしているにしては、かなり薄着である。足などはほとんど裸足に近く、凍傷で指がほとんど欠けていた。それどころか、あらゆる生物の命を容赦なく削り取っていく冷気が、凄まじい速度で全身を蝕み始めており、顔や胸などを除けば、ほとんど紫色に変色しつつあった。まだ生きているのが不思議なくらいだ。
なんでまだ生きてるんだろ……という疑問は、よくよく彼女の様子を観察していたら、すぐに氷解した。
まだ幼く、小さな彼女が未だに命を繋いでいられているのは、彼女の「姉」のおかげだった。
――いや、「姉」だったもの、と言うべきか。
少女に覆いかぶさるようにして凍りついていたのは、10歳程度と思われる、もう一人の少女だった。
命を懸けて妹を温めようとしたのだろう。彫像のようになりながらも、硬く鎖された彼女の腕は、妹の細い身体をしっかりと抱きしめ続けていた。
少女を発見した僕は、喜ぶよりも先に慌てた。
せっかく見つけた生き残りである。
この子が死ねば、僕もお先真っ暗だ。
ここは貴重な悪の組織幹部候補生として、是非とも生きたまま回収しておきたいところ。
彼女こそが、最後に残った道しるべ。
人類を復活させるにしても、別の方法を模索するにしても、この子は必要だ。
僕は慌てて回復魔法を使った。
魔術でサンプル以外の人体に直接干渉するのは初めてだが、実験体を散々いじくり回した僕からすれば、こんなものはお茶の子さいさいである。
必要最低限の身体機能を確保してやると、半ば氷漬けになっていた少女の呼吸がわずかに楽になったようだった。
とは言え、全快はあえてさせてない。
まあ、これも考えあってのことだ。ぶっちゃけ、恩を売っておきたいんだよね。
瀕死のところを助けた構図ならば、感謝してもらえそうだ。
そうすれば色々と協力してもらいやすくなるかもしれないし。
何とか、間に合ったみたいだ。かなりギリギリだったけど。
取り敢えず直ぐに死んでしまうことはない。
安心した僕は、思念を伸ばして、命を失いつつある少女にテレパシーを飛ばした。
こいつ、直接脳内に――! というやつである。
実験体以外に話しかけるのは初めてだし、何ならちゃんとした人間と会話をするのも久しぶりだ。
僕はいささか以上に緊張しながら、そして、それ以上に興奮しながら、少女に話しかけた。
『――ねぇ、聞こえているかい?』
少女は、閉じかけていた目をうっすらと開けた。
「……だ、れ……?」
僕は彼女の問いに答えず、すぐさま要件を切り出すことにした。
今は僕の魔法で生命機能を維持しているので、とりあえず死ぬことはない。
それよりも、彼女には僕の元で働いてもらうつもりだからね。ここはしっかりと恩を売っておきたい。
最終的には脳改造して叛逆の意思は奪うつもりだけど、僕を嫌っていたり敵視していたりすると上手くいかないことも多い。下手に記憶や情動を丸ごといじると、ストレスからかバグが生じる可能性もある。
合意形成することで、そういったリスクを防げるのだ。
ここは、彼女自身の口から助けを求められる、というシチュエーションを作り出す必要があった。
『君の願いを、一つだけ叶えてあげる。どんな願いでも構わない。……さあ、君の望みはなんだい?』
「あな、たは……、かみ……さま……?」
『……あははっ!』
僕は思わず笑ってしまった。
神様だって?
そんなわけない。もしそんなのがいるなら、少なくともこの世界は滅んでいなかったはずだ。
だけどそうだな、僕という存在を例えるなら、さしずめ――。
『――僕は……〝悪魔〟だよ』
「あく、ま……」
……このいかにもな状況や、久々に出会った人間との会話ということにテンションが上がって、余計なことを言ってしまった。まずったなぁ。怖がられたら、折角のチャンスがフイである。
いやでも、僕にとっては数千年ぶりの、生きた人間との会話だよ?
テンション上がるぐらいは許してほしい。
そんなわけで、若干焦りながら少女の返答を待っていた僕。
だけど、心配は無用だった。
「あくま……でも、いい。お姉ちゃん、を……助けて……!」
僕は、もう一度笑った。
今度は、おかしくて笑ったのではない。もちろん、今度は嬉しくて笑ったのだ。
今のところ、僕の思い通りに事が進みつつある。
『代償は?』
「だい、しょう……?」
ありゃりゃ。難しかったか。そういえば、相手はまだ5歳児だった。
平易な表現で言い直すことにしよう。
『君のお姉ちゃんは、助けてあげる。……その代わり、僕の言うことを聞くんだ。できるね?』
「でき……る! なんでも、する! だから……!」
『いいだろう。契約成立、だ』
え、今なんでもって言った?
などと言いたくなったが、我慢した僕、えらい。
そういうわけで、僕は最初の「幹部候補生」を手に入れた。
彼女を手に入れた僕は、狂喜した。もちろん、僕の計画に必要なピースが手に入ったってこともそうだけど、ここにきて新しい可能性が見えたからだ。
――この大陸には、他にも生き残りがいるかもしれない。
そう考えた僕は、一層気合いを入れて、この氷の大陸を探し回った。
すると驚くべきことに、他にも生き残っていた人類が、確かに存在していたのである。
小さなシェルターを作って、そこで細々と保存食を消費するだけの集団ではあったが。
……いや、うん。ほぼ過去形なんだよね。
もう、ほとんど滅んでしまって、生存者はこの少女2人を含めて、わずか数名だけ。
それも、軒並み瀕死の状態だった。
一体、どうやって生き残ってきたんだよ……とも思ったが、どうやら前回まで使用していたシェルターが魔物に襲われ(余談だが、地上の巨大な生き物は「魔物」と呼ばれているらしい。捕らえた少女の記憶を調べて分かった)、子どもを優先的に逃した結果のようだ。
その際に、残り数名まで減少していた大人たちは全滅。
予備のシェルターになんとか逃げ込んだ子どもたちは、そこで数年を過ごしたものの、徐々にわずかな食糧を消費していき、徐々に困窮状態へと陥っていったらしい。
緊急事態に大量の食糧なんか、わざわざ持ち出せるはずもない。まあ、当然の流れだろう。
そんな中、そこにトドメを刺すように、シェルターの中で病が流行った。
もちろん、この極寒の地において、ウィルスのようなものは存在していない。
これは私見だが、どうやら魔物が襲撃してきた際に、外部の放射能にも似た毒物を持ち込んだのだろう。
次々に子どもたちは倒れ、次々に命を落としていったようだ。
最後に残ったのは、あの姉妹だった。
そこにきて、とうとう姉が「病」にかかった。
唯一、健康だった妹が、食糧や医薬品を求めてシェルターを飛び出した。
それに気付いた姉が慌てて妹を追いかけて……というのが、先ほどの真相のようである。
二人にとっては間違いなく悲劇だろうが、僕にとっては非常に運の良い展開だった。
取り敢えず、僕は少女を治療し、保護した。今は安全なラボの一角を改造し、そこで眠らせてある。
妹ちゃんの願いは、きちんと叶えたのかって?
まあ、見てなよ。死者蘇生は無理だけど、その他のことはなんとでもなる。
こうして、僕は新しい希望を手に入れた。
僅かな生き残りの近くを隈なく調べ直したら、コールドスリープ状態の半死体が数百体手に入ったのも、僕にとっては追い風になった。日頃の行いが良かったんだろうね。さすがは僕だ。
一つ、僕は新しい発見をすることになった。
生存者がいたことよりも、むしろこちらの方が重要と呼べるかもしれないほどの発見である。
この惑星を隈なく探索して行く中で、大きく大地が抉れていたり、いくつかの大陸が地盤ごと粉砕されたりしているような光景を、何度も目にした。たぶん、大戦が起こった時に、大量破壊兵器を使った跡だろう。くわばらくわばら。地下深くに潜っていて正解だった。場合によっては、寝ているうちにラボごと粉砕されていた可能性もあったのだ。おっかないにも程がある。こんなふうに争って滅ぶなんて、人間はやっぱり救えないよ。
いや、話がずれちゃったな。
まあとにかく、そういった強力な兵器が炸裂したと思われる箇所で、僕は世界の不自然な綻びを発見した。
なんというか、綻びというか、つついたら揺れる箇所を見つけたというか……。
感覚的には、魔術で作り出した空間を、薄皮一枚隔てていじっているような感じだ。
早速、何度か観測したり、魔術で働きかけてみたりして、子どもたちの改造・教育を進めながら、急ピッチで研究を進めていくことにした。何せ、事態は深刻である。
些細なことでも、この状況を打破するきっかけになるかもしれない。
研究を継続して数年が経過したとき――僕は新たな世界を垣間見た。
いや、これは比喩表現ではないよ?
文字通り、次元の向こうに、新しい世界を発見したのだ。
僕が生まれた時代よりもかなり原始的ではあるが、十分に社会と呼べるような文明が、そこにはあった。
僕の祖国にそっくりな島国――どうやら「ヤマト」というらしい――の中ではちょうど、貴族同士の権力争いが発生し始めた頃だった。あと数百年ぐらい待てば、蒸気機関や無線といった技術も生まれてくるかもしれない。
最初は過去の世界を見ているのかとも思ったが、大陸の形や歴史、言語など、細部がかなり異なっている。
ここで、僕はピンときた。
あれは、異世界だ。
僕が学生の頃にもあったよ、異世界ものの小説が。
妹の蔵書の中にも結構あった。あんまり読んでないけどさ。
多分、並行世界というやつだ。
世界は多重に存在しているが、お互いの世界を観測することはできないという、アレだ。
本当にあったのか。
僕は驚きと共に深く納得していた。
我々のいるような世界が一つだけだ、というのはおかしいと、僕は常々考えてきた。
単一世界なんていうけれど、並行世界が存在しない、という根拠はどこにある?
それが今回、図らずも証明された形である。
多分だが、強力な兵器同士が衝突し、空間に揺らぎが発生したのだろう。
僕が学生だった頃も、対象物を分子レベルで分解するような兵器が既に存在していたんだ。そこから数千年経った世界だよ? その程度の武器なら今の僕にだって作れるし、さもありなん、といったところだろう。意図的ではないにせよ、人間たちがそうやって争い、兵器をぶつけ合ったことによって、世界と世界との壁が揺らぐことになった、ということだ。
で、その揺らいだ空間を僕が見つけて干渉した結果、本来なら観測不可能なはずの別の世界は、こうして僕の目の前に広がっているというわけである。
人類が滅び去ってしまった世界に絶望していた僕の前に、その生き残りと、まさにこれから興隆しようとしている新しい世界が姿を現したんだ。神なんて信じちゃいないけど、今だけは信じてもいいとさえ思えるほどの僥倖である。
となれば……あとは、この素晴らしい世界に直接干渉する手立てを確立するだけだ。
そして、僕にかかれば、それは実現不可能なことではない。
事実、見ることはできたのだ。こちらから干渉したり、移動したりすることもできるはず。
当然というべきか、更に数年後には、僕はこの新しい世界への移動方法や干渉方法を確立させることに成功していた。魔法で空間に干渉し、強引に世界に繋がるゲートを繋げることで、安定して行き来ができるようになったのである。ほら、僕って天才だし。
異世界について調べ、そうやって研究を進めている最中に気がついたのだが、向こうの世界には魔術がない。
いや、魔術だけでなく、魔力そのものがないのだった。
こちらの世界のように、誰も存在に気がついていないんじゃない。
そもそも、その源泉たる魔素がほとんど漂っていないのだ。
最初は焦った。向こうで魔術が使えなければ、戻ってくることもできないじゃないか。それに、魔術なしでは悪役として活動するのに差し支える。不可能ではないが、かなり制限がかかってしまうだろう?
だけど、心配は要らなかった。
ごく小規模のゲートを開き続けることで、元の世界から魔力を引っ張ってくればいいことが、実験の結果分かったのである。蛇口を細く開いておけば、水が少量ずつ流れて出していくよね。あんな感じだ。
うん、うん。これで万事解決だ。問題なさそうだね。
ここでようやく、僕は「黒幕」としての具体的な計画を練り始めた。
構想そのものはずっとあったが、ようやく実現可能なところまで来たのだ。
まず、僕は「黒幕」。
これは譲れない。
そして、世界征服を掲げて、いわゆる「悪の組織」を立ち上げるつもりだ。
異世界からの侵略者……なかなかそそるものがあるよね。
僕のポジションは、いわゆる組織のリーダー……ではない。むしろ、その背後にいる存在である。
ニチアサでも、序盤の敵のボスが交代して背後にいる存在が動き出す、というような展開はよくあった。
更に、魅力的な悪の幹部を作り出す。
勿論、入社試験などするつもりはない。幸い、素体もノウハウもたくさんあるので、人材そのものは何とかなる。
それに、異世界の人々にも「協力」してもらえるだろうさ。
美的センスはないが、代わりに技術の粋を尽くして、最高の「悪役」を作り出そうではないか。
それに主人公たちをぶつけていく。
そう、主人公「たち」。僕が想定しているのは、ソロではなくユニットでの活動なのだ。
また、ベースはやはり、「マジカル・キュアーズ」。つまりは、戦う変身ヒロインである。
妹が憧れていたみたいだからね。コレクションも一番多かったし、やっぱりこれでしょ。
これにスーパーレンジャーズのチーム感に、マスクドライバーのクールさを加えようと思う。少女だけでなく、少年心もくすぐる仕様。これは完全に僕の趣味だが、お約束を踏襲しつつ、「戦闘」を重点に置いた、リアリティある展開にしたい。子ども向けの番組ではないので、多少バイオレンスでもOKだし、玩具促販を気にする必要もないのもいい。変身キットや武器などのアイテムも、気兼ねなく実用性と浪漫を兼ね備えたデザインにできる。一年間という時間制限がないのもいい。
主人公になるヒロインたちだが、これは僕自身がプロデュースし、育成していくつもりだ。そこら辺はうまくやる。それこそ数千年越しの、僕の悲願だからね。
主人公TUEEEEさせるつもりはない。適度に苦戦しながら、成長していく姿をじっくりと堪能させてもらおう。さまざまなピンチとイベントを乗り越え、幹部たちを下し、一度は強大な敵――この場合は僕だ――に心折れかけるも、最後には愛と友情の力で、「黒幕」を打ち破る。テンプレではあるが、何とも燃える展開ではないか。テレビで見るのとは違い、自分でこれらのイベントを調整できるのは、実に大きなメリットである。
嗚呼、何と素晴らしい。
僕はニンマリと笑った。(敢えてもう一度言うが、僕は精神体なので、モノの例えである)
ようやく、始まるのだ。とうとう僕の夢が叶う時が来た。
凄く、凄く、楽しみだ――。




